第2話
彼の名前は大野将平。歳は四十四歳。身長は百八十一センチで、高校生の時はバレーで春高にも出たのだとか。趣味はキャンプとか山登りとか、とにかくアウトドアが好きで、でも人で賑わうところには行きたくないと言う。
「一人で自然と向き合える時間を他人に邪魔されたくないからね」とのことだ。
じゃあ、こうして話している今は一人の時間を邪魔していることにならないのかと訊くと、「はは、まあ……とはいえ、たまには寂しくもなる時があってね」と頭を掻く。「今日は最高の息抜きになりそうだな」と付け加えたのは取り繕う為だったのだろうか。
それと、ポリシーは『挨拶を忘れない』だそうだ。
「おはよう、おやすみとかね。食事する時はいただきますも必ず言うよ」
まあ俺も最低限は気をつけてはいるけれど、ポリシーとまでは言えないし、もしかしたらそういうマナーとかに煩い人なんだろうか。
まあ、どうせもう二度と会うこともない人だし、面倒くさい態度を摂られたらすぐにお暇すればいいだけだ。
「えっと、じゃあ、俺も――」
お返しというわけでもないけれど、まあ会話をする上で相手の名前を知らないわけにもいかないだろうと、俺も簡単に自己紹介。
「名前は菅原陸です。りくは陸上の陸。先月二十四歳になったばっかりです。背は……まあ小さいです。部活はやってなかったし、趣味は特にありません」
事ここに至って、まだ不貞腐れたような態度を崩さない自分が少し恥ずかしくなって、取り繕うかのように「大野さんは……なんでここにきたんですか?」と話題を逸らす。
「今日はね、本当にたまたまなんだよ。仕事が休みだと大体どこかにフラッと出かけるんだけど、今回は少し遠出してみようと思ってね」
「住んでるのはこの辺じゃないんですか?」
「家は山梨だよ。群馬は何度か来たことあるけど、この辺りに来たのは今日が初めてかな」
変わった人だなーというのがこの時抱いた印象だった。
休みの日に身体を動かすなんて、疲れが残って次の日の仕事に差し障ったらどうするんだろうとか余計なことを考えていると、「菅原くんは仕事、何してるの?」と聞かれる。
「あー……今は、プールの監視員です」
おー! 凄いね! と身体を軽く仰け反らせながら言う大野さんのオーバーリアクションを見て、一瞬馬鹿にされてるんだろうなとかネガティブな考えが脳裏を過ぎるけれど、当の大野さんは全く他意はないようで、「泳ぎ得意なの? 水泳経験は? バタフライできる?」などと矢継早に質問攻めをしてくる。
「得意ってわけではないですけど……小学生の頃、一年くらいスイミングスクールに通ってたことがあって。……あと、バタフライはできます。遅いですけど」
「へー、立派な特技だよ、それ。うんうん、若い人のそういうエネルギッシュな話を聞くとさ、自分も腐ってられないなーって思うし、なんか元気もらえるよね」
基本がダウナーな俺からすると十分元気に見える大野さんだけれど、まだこれ以上の元気を欲しているらしい。
「で?」
「え?」
「なんで死のうとしてるの?」
「…………」
大野さんのストレートな質問に、俺は何も応えず俯く。俺の腹に巻かれているロープに気付いたのか、それとも、俺が醸し出す負のオーラみたいなのを感じ取ったのだろうか。
「まあ、言い難いことはあるよね。――はい、コーヒー淹れたよ」
手渡されたマグカップに入れられた熱いコーヒーを、俺は無言で見詰める。すぐに飲まなかったのは、猫舌なのもあるけれど、潔癖気味な性分だから、他人が触れた飲食物に口をつけることにやや抵抗があるからでもあった。
「さっきも言ったけどさ、僕らがこうしてここで出会ったのも何かの縁だよ。僕は君の地元の友達でもなければ職場の上司でもない。一期一会を楽しもう。――あっつ!」
人懐っこい笑顔でそう言った大野さんは、淹れたてのコーヒーで舌を火傷したらしく、「実は猫舌でね」と照れくさそうに笑う。
俺は自分の口元が少しだけ緩んでいるのに気付く。大野さんの人柄のお陰なのか、緊張感が解けてきているのを感じ、一期一会という言葉の意味を考える。
確かに、今日たまたまここで出会っただけの人に、どう思われたってこの先の人生に何の影響もない。――いや、というか、俺はどうせもう死ぬつもりなんだから、誰にどう思われたって関係ないはずだ。
ならば、恥ずかしいとか、見下されたくないとか、そんな風に考える必要なんて全くないということでもあって、どうせ死ぬならせめて死ぬ前に動機を他言するのも悪くないのかもしれない。
「……人生に疲れたっていうか。もうなんか、何をしても上手くいかないし、やってられないっていうか」
独り言みたいにブツブツと語りだした俺の言葉を遮らないように、大野さんは手振りだけで話の続きを促す。
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