満天の星空に啼く
入月純
第1話
ほとほと自分に愛想が尽きた。
思えば二十四年も生きていて、心から楽しいと感じたことなど一度もないし、いつだって誰かに劣等感を抱き、妬み、嫉み、自分の矮小さを噛み締めながら、ただただ流されるような人生だった。
だから俺は自殺を決意した。
まだ若いのにとか、もったいないとか、一度くらい真剣に何かに挑戦してみろとか、もっと足掻いて生きてみろとか、俺が自殺を予告したらみんな好き放題言うだろう。
一番腹が立つのが、「よくあるよね」という言葉だ。
よくある? ねーよ、お前らには。
俺だけがこんなに惨めな思いをしながら生きていて、俺だけがこんなにも無能で、いつでも俺だけが嘲笑されるんだ。
誰にも理解なんてできやしない。
死に場所は決めていた。そして死に方も。
誰の邪魔も入らないところが良いという条件でリサーチしたが、すぐに見つかる。
そこは地元にある、割と慣れ親しんだ山だ。
実際は別に親しんではいないけれど、小さい頃に家族で中腹まで登ったことがあるし、ロープウェイがあって、一気に二千メートルくらいの高さまで登れるから、時間を掛けずにかなり上の方がまで行くことができる。
なぜこの山を選んだかというと、俺の望む死に方が、景色の良いところで死にたいというものだからだ。
辛酸を舐めることしかできずに這い蹲って生きてきた俺が、最期くらいはそれなりに勝景の元で死んでいきたいと願うことくらいは許されてもいいはずだろう。
とはいえ、他県まで遠征する資金も体力も精神的余裕も持ち合わせていないし、だったら身近なところで……となった。
準備も特になかったし、俺は財布とスマホと首吊り用のロープだけを持って登山に向かう。ロープウェイを使用するのに金はかかるし、いざという時に金がないと死ぬことができない可能性もあるので、財布には全財産を入れ、スマホの充電も満タンにしていった。
ただ、縊死の場合、身体中の体液が垂れ流されると聞くし、できるだけ食事は摂らず、水分すら朝から何も飲んでいなかった。
時刻は午後八時。もうこの時間にはロープウェイも動いていないから、誰かが来ることもないだろう。
俺は真っ暗な山道をひたすら歩いていく。
登山用に舗装された道は、特に障害もなく、暗闇でも躓くことなく進んでいける。
静まり返った山中は、虫の鳴き声や風で草木が揺れる音だけが聞こえ、人間社会独特の雑踏の鬱陶しさなんて微塵も感じられない。
こういう時に振り返られる様な大層な人生を送ってこれなかったのは自分が悪いのかもしれないが、感慨深さは欠片もなく、ただ死に場所に向かい黙々と足を動かすだけの自分が哀れで惨めで、苦笑いをしそうになるけれど、同時に泣いてしまいそうな気もして俺は表情を固くしながら、歩くことだけに集中する。
頂上まであと少しというところで、木々の間に灯りを認める。
恐らく焚き木でもしているのだろう、それはランプ等の光ではなく、火を用いたものであることは遠目にでも判った。
こんな時間に……? いや、こんなところでキャンプしてるのか?
ここはキャンプ場でもなければ、お世辞にもキャンプに適したとは言えない、何の変哲もない普通の山中で、枯れ木に燃え移って山火事にでもなったらどうするんだとか、これから死ぬというのに随分と的外れな疑念を抱きながらも、見て見ぬふりをすることに決め、歩を進める。
すると「すいませーん」と、灯りの方から声が聞こえた。
こちらは懐中電灯ひとつ持っていないし、向こうの方が明るいんだから多分俺の姿は見えていないはずで、だったら自分に声を掛けられたわけではないんだろうなと思ってスルーしようとした俺に、「すいません、そこの方」と、明確に俺に対して声掛けをしてきたのは、四十歳くらいの男だった。
最初は火の隣に座っていたけれど、こちらにゆっくりと近付いていくる男に対し、俺は少しだけ警戒するけれど、どうせ死ぬのに今更身の危険を案じるなんてこんな馬鹿らしいことあるかよと、今度は苦笑を止めることが出来ずに俺は口元を厭らしく歪ませる。
数秒で男は俺の数歩前まで来ていて、「ああ、よかった」と、安堵したように息を吐く。
「……なんですか?」
ちょっと棘がある言い方になってしまったのを反省しかけたけれど、別に下手に出ることもないし、こんな怪しい男なのだから、少しくらい突き放す感じにした方が、むしろ向こうも警戒してくれるだろう。
「あ、いや、いきなりすいません。あの、お酒持ってませんか?」
「は?」
明らかに年上である目の前の男に、俺は眉根を上げて失礼なリアクションをしてしまうが、男は「お酒です。なんでもいいんですけど……」と、頭を掻きながら申し訳なさそうに酒が欲しいと繰り返す。
「いや、持ってませんよ。見ての通り、手ぶらです」
俺は両手を前に出し、ポケットには財布とケータイしかないと告げた。
自殺用のロープは嵩張るのでお腹に巻き付けてある。暗いこともあって、多分目を凝らしても見えないだろう。
「あー、……ですよねー」
心底残念そうに、でもなんか別にどうでもいいかーみたいな楽観的な様子もあり、なんとも言えない表情で「ま、いっか」と言う。どうやら納得したらしい。
「じゃあ俺はこれで」
「ああ、ちょっと待って」
踵を返して一歩歩き出した俺の肩を軽く掴み、「折角だから少し話でもしません?」と柔和な笑みを浮かべる男。
俺は露骨に面倒臭さをアピールし、「何の話ですか?」と、必要以上に悪態を吐く。
「別に深い意味はないんだけど……こんなところで出会えたのも何かの縁ということで」
「たまたま見かけただけじゃないですか。縁なんてありませんよ」
「まあまあ、そう言わずに。よかったらコーヒーでもどう?」
いかにも優しそうなその男は、結構身長が高くて、多分百八十センチくらいはありそうで、百七十センチもない俺は十センチ分以上首を上げて話す。
ただ、明らかに見下ろされてはいるけれど、見下されている感じはなくて、ただ単純に若者と話したいという感じでもあって、おじさんの暇つぶし相手に選ばれてしまったらしいことに気付いた俺は、面倒だけど少しだけ付き合ってやるかと思い直す。
正直、本当にただの気まぐれだった。
死ぬ前に――最期に善行のひとつでも積んでやるかみたいな、そんな軽い気持ちで「……少しだけなら別にいいですけど」と、尚も憮然とした表情のまま、焚き火が煌々と燃えている方へ歩き出した。
「ありがとう! いやー助かるよー」
そんな風に軽い感じで感謝をされ、男は軽く自己紹介をした。
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