第20話 愛し方を知らない王子

「っ……」

 両手がびりびりと痺れる。

 恐る恐る目を開けて、なにが起きたのか確かめると……ミレーヌの目の前には、ぎょっとした表情のサイラス。


 気がつけばミレーヌは、落ちていたトラヴィスの剣を拾い上げ、無我夢中でサイラスの剣を受け止めていたのだ。


 トラヴィスを背に庇うようにして……そんな自分に、自分でも驚く。


 初めて持った剣は想像よりもずっと重くて、きっと今こうしていられるのは、火事場のバカ力というやつだと、ぼんやり人事のように思った。


「バカか貴様、そこをどけろ!」

 サイラスもミレーヌの行動に、動揺している様だが、すぐに我に返り怒鳴る。


「でも、わたしがどけたら、サイラス王子はトラヴィスのことを……」

「ああ、倒す。だが安心しろ、そんなに嫌なら、半殺し程度にしてやるよ」


 そんなのちっとも安心できない。

 動かないミレーヌに、サイラスは「なぜだ」と問う。


「お前だって、トラヴィスをこの世から抹消したかったんだろう。あの目に嘘はなかったはずだ」

「っ……」

 その通りだ。自分は一体なにをしているのか、自分で分からない。


(どうして、わたしは……こんなどうしようもない人のことを……)


「ミレーヌ……オレのこと嫌いになったんじゃないの? 本当にお人好しだね」

 紅蓮の目でこちらを見上げてきたトラヴィスは、試すような笑みを浮かべた。


 なんで自分は、こんな魔族を……。


(なんで……ほうっておけないんだろう)


「余所見など、している余裕貴様にはない!」


 サイラスの力に敵うはずもなく、ミレーヌの持つ剣は、あっけなく弾かれた。

 そして、頬にひやりとした刃先の感触……ミレーヌの額から冷や汗が流れ落ちる。


「どうする。まだ俺に刃向かうというなら、貴様ごとトラヴィスを斬り捨ててやろうか」

「わたしは……」

 迷う必要なんてないはずなのに。見捨ててしまえばいいだけなのに。


「いい加減愛想つかせろ。攫われたなんて、真っ赤な嘘だったんだぞ。現にこいつ、怪我一つしてないじゃねーか」

 そういえばそうだ。元はと言えば、トラヴィスを助けるためにここまで来たのに。


「トラヴィス、また嘘だったの?」


「そう……全部、嘘」

 脱力した。トラヴィスにもだが、何度もひっかかる自分にも。


「心配したのに……」

「ごめんね……」


 口だけの謝罪を言う彼は、けれど、どこか嬉しそうに見えた。

 かわいそうな人だと思った。こんなやりかたでしか、誰かの気を引けないなんて。


「わたしのことが憎いから、こんな意地悪するの?」

「…………」


 トラヴィスは、なにも答えてくれなかった。


 ミレーヌがトラヴィスを許せないように、彼にとってもまたミレーヌは、自分の力を封印した憎むべき相手のはず。


 ミレーヌはそんな決定打の台詞が、聞きたかったのかもしれない。本人の口から。


 そうしたら、自分は迷いなく家族のためだけに、トラヴィスを倒すべきだと心を決められる気がするから。


「もういいだろう。こいつはこういう男。庇うだけ無駄だ」

 分かったら、とっととそこをどけろとサイラスは言う。

 でも……どうしようもないこの人を、今見捨てたら、なぜか後悔する気がするのだ。


「……できません。まだ、彼の口から聞きたいことが残っているから」

「この俺が、せっかく忠告してやったのに、どうやら無駄だったようだな」


 サイラスが再び剣を振り上げた瞬間、ああもうダメだとすぐに思った。

 この人の本気を、自分が受け止められるはずがない。


「避けろ、ミレーヌ!」

 叫びトラヴィスは、重たい身体を起こし、ミレーヌを自分の後ろに隠そうと手を伸ばしてくる……なんでだろう。


 ミレーヌをお人好しと言いながら、そんな弱った身体で、自分だって他人を庇おうとしているじゃないか。


 お互いに都合がいいのは互いの死なのに、なのに庇い合うなんてバカみたいだ。


(なんで……なんで、今ごろわたしを守ってくれるの? そんなに、ボロボロになってまで……)


 そんなトラヴィス、見たくない。


「もう、やめて! いつもみたいに、わたしの後ろに隠れればいいじゃない!」

 叫んだ瞬間、頭の中が真っ白になる。ミレーヌの身体から光が放たれた。






「はぁ……はぁ……」

 次に目を開けた時には立っていることも出来ず、ミレーヌはその場にへたり込む。

 そしてサイラスも、倒れ動かない。


「どういう、こと?」

 もう自分を守ってくれていた腕輪はないのに。


「さすが聖なる星を持つ者。サイラスの剣を受け止めるし、倒しちゃうし」

 見上げると、瞳の色が戻ったトラヴィスが立っている。


「トラヴィス……本当にあなたは、どうしようもない人だわ」

 言いたいことは山ほどあったのに、それだけ言うのが精一杯だった。

 じわりとミレーヌの瞳に涙が滲む。


「うん、キミの前ではダメ王子だから」

 睨んだはずなのに、トラヴィスは嬉しそうに笑っていた。腹立たしい。

 いつものトラヴィスだ。そう思ったら、ぼろぼろと涙が止まらなくなる。


「なんで泣いてるの?」

「トラヴィスが泣かせたんでしょう」

「またオレが? そうなんだ。じゃあ、その涙は……オレのためのものだって、思ってもいい?」

「っ!」

 頬を伝う涙を舌先で舐められ、ミレーヌは飛び上がる。


「な、なにするの!?」

「美味しそうだったから」

「美味しくないわ! だいたい、あの部屋の血溜まりはなんだったの。わたし、本気で心配したのに」

「ふふ、あれは血のりって言ってね、演劇とかで使われる作り物の血だよ」

「なっ!?」


「だってミレーヌが、サイラスなんかと仲良くしてるのが気に食わなくて。ちょっぴり困らせてやろうと思ったんだ。なのに……ここまで来てくれたキミの第一声ときたら、サイラスの名前だし」

 不貞腐れたように言うトラヴィスに呆れる。

 まるで拗ねる子供のようだ。


「なんか無性にイライラして……最近、イラつくと、封印が綻ぶから……。今日は、さすがにもうダメかと思ったんだけど」

「なんで、元に戻れたの?」

「分かんない……でも、やっぱりきっとキミのおかげかな」

 トラヴィスはくすりと笑った。


「前にも言っただろ。ミレーヌの優しさは、オレのイライラとストレスを、無くす力があるんだよ」

「なにそれ」


 前にも言われたが、どうせそれも嘘だ。

 そう思うのに……トラヴィスが無事で、ほっとしている自分がいる。


「キミの優しさの中にも、聖なる星の力が宿っているのかもね。だからこれからもいっぱい優しくして、オレだけに」


「もう、あなたに振り回されるのはうんざりだわ」


 この人のわがままに、なぜか弱い自分にも……。


「残念だけど、星を持つ者同士は、惹かれ合う運命なんだよ」


「それも嘘?」


「これは、嘘じゃなくて……オレの希望」


 そう言って抱きしめてきたトラヴィスを、ミレーヌは拒むことができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る