第19話 孤独な王子

 水と共に押し上げられたミレーヌは、なんとか酸欠寸前で地上に打ち上げられた。


「げほっ、けほ。はぁ、はぁ」


 見渡すとそこは草原だった。穏やかな夜風が緑の波を作っている。


 少し離れた場所に黒煉瓦の塔が見えた。あれがおそらく魔王城で、どうやらミレーヌは、草原の真ん中に作られた、巨大な噴水から飛び出してきたようだった。


 しかし、一緒に流されたはずのサイラスが見当たらない。


「サイラス王子、どこですか?」


 自分が踏んづけてしまった装置のせいで、彼になにかあっては居た堪れない。

 ミレーヌは名前を叫んで辺りを見渡した。と、背後に気配を感じ、振り向こうとした瞬間、後ろから抱きしめられる。


「なんで、アイツの名前を呼ぶの?」

 もう聞きなれた声に反応して、ミレーヌはすぐに「トラヴィス」と彼の名前を呼んだ。


「キミなら来てくれると思ってた」

「よかった、生きてたのね」

 振り返り確かめる。そこには無傷のトラヴィスがいて、しかしミレーヌの顔は強張る。


「瞳の色が、違う」

 幼い日の思い出が一気に蘇ってきた。


(この人はやっぱりあの時の、魔族なんだわ)


「どうしたの、そんな怯えた顔して。オレに会いに来てくれたんでしょ?」

 ミレーヌは怖くなって後ずさる。


「震えてるの?」


(封印が解けかけている?)


 ここで彼の魔力が爆発してしまったら……想像しただけで足が竦んだ。


「おい女、トラヴィスから離れろ!」

 二人を見つけたサイラスは、そう叫ぶとこちらに両手を翳し詠唱を始める。

 漆黒の矢が幾本も雨のように、空から降り注ぎトラヴィスを狙った。


 ミレーヌは言われた通り、慌ててその場から離れたが、トラヴィスは攻撃を避けようともしない。

 ただ空に向かって手をあげると、光の盾で簡単にそれを弾いた。


「サイラス王子、無事だったんですね!」

 流れ着いた出口は別だったようで、お互いずぶ濡れだが助かったようだ。


「お前のせいで、とんだ目に遭った」

「す、すみません……流されついでに、怒りも水に流してくださると助かるのですが……」

 遠慮がちに言ってみたのだが「アホか」と小突かれた。


「なんでサイラスなんかと……さっきも部屋で楽しそうにしていたし」

「やはり、俺の部屋の窓ガラスを破壊したのは、お前だったか」

 サイラスが衣服の水を絞りながら眉をより顰める。


「あいつの封印、かなり解けかけているようだな」

 ボキボキと指を鳴らし、サイラスは再び戦闘態勢に入っているようだ。


「怪我をしたくなかったら、この場から離れてろ」

「な、なにをするおつもりですか?」

「決まってるだろ。トラヴィスをぶっ倒すんだよ。封印が完全に解ける前にな!」


 目にも留まらぬ早業で剣を抜き取ったサイラスは、そのまま人間では真似できない跳躍力で、空高くからトラヴィスに向かい剣を揮い襲い掛かる。


 表情一つ変えないトラヴィスは、無言のまま自分の剣を抜き、その攻撃を受け止めた。


 ぎりぎりと剣を押し合いながら、互いの出方を窺っているようだ。

 兄弟なのに、二人は本気の戦いを始めてしまった。

 ミレーヌは、はらはらとした思いで、その場に立ち尽くすしかない。


「グッ……」

 しかしトラヴィスの表情が苦しげに歪んだ瞬間、均衡が崩れた。


「フッ、どうした。やはり今にも爆発しそうな魔力を、無理矢理身体の中に封じ込まれている感覚というのは、相当の苦痛か」


 剣が何度もぶつかり合う。

 その光景は、互角だった先程とは打って変わって、サイラスが有利なのだと、素人のミレーヌが見ても分かる。


 トラヴィスはどんどん追い詰められ後退し、剣を受け止めるのがやっとの様子だ。


「はぁ……はぁ、クソ、もうどうでもいい。封印も、オマエも全てを破壊してやる」


 トラヴィスの足元に、大きな闇色の魔法陣が浮き上がる。


 その瞬間、ミレーヌは、心臓を握りつぶされるような痛みを覚え、真っ青な顔をして蹲った。


 トラヴィスが魔力を解放すればするほど、刻印によりそれはミレーヌにも流れ込んでくるようだった。


 人の身で、トラヴィスの魔力は受け止めきれない。その言葉の意味を、ミレーヌはまざまざと感じた。


 苦悶する表情のまま顔をあげると、こちらを観察しているトラヴィスと目があう。


(トラヴィス……力尽くで封印を壊すつもり、なの?)


 声も出せない。そして、もう子供の頃のように、彼に太刀打ちできるような力は湧いてこなかった。


(あの時の力はきっとまぐれで、神様がもう少しわたしを生かそうと奇跡をくれたに違いないわ)


 ならば、今この瞬間が自分の寿命のように思えた。

 幼かったあの日と同じ相手によって……ここで終わるのか。


「そんな目で、そんな顔で、全て諦めたような顔しないでよ……。キミは、オレの希望なんだから」

 トラヴィスがなにか呟くと同時に、魔法陣が弾けて消える。

 すると、ミレーヌの胸の圧迫感も急に消えた。


「ぐぁっ」

「トラヴィス!?」

 だが、今度はトラヴィスが呻き声をあげ倒れる。


「ククッ、残念ながら封印を解くことは、できなかったようだな。珍しく情でも湧いているのか、その女に」

 サイラスが、倒れたトラヴィスの方へ再び近付く。


 その手にはしっかりと剣が握られている。苦しんで抵抗もできない弟に、この人は手を掛けるというのか。


「継承権を返してもらうぞ、トラヴィス」

 サイラスが振り上げた剣が、月の光を鋭く反射する。


 これで村が元に戻る。これで全てが解決する。自分はトラヴィスから解放されるのだ。


 これでいい……はずなのに。


「やめて!」


 ミレーヌは、思うより先に身体が勝手に動いていた。

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