第9話 ペテン師

 森を抜けミレーヌたちは広い荒野を進んでいた。

 もう日も暮れ始め疲れ果てていたので、宿を探してみたのだが、荒野のどこにも村すら見当たらない。


「トラヴィス、まだ村には着かない?」

「そうだね。この辺はオレも詳しくなくて。ごめん」

「ううん……ならトラヴィスの国に行ってみるっていうのはどう?」

 ここから行ける距離ならだが。それなら確実に寝床を確保できると思ったのだけれど。


「国には……今は、帰れない」


「どうして? でも、レイドさんだっけ。あの人に、帰ろうって言われてたわよね」


「言っただろ、アイツは魔王の手下だって。オレを魔王の城に連れて行かないと、自分のメンツが潰れるから必死で追ってくるんだ」


「そんな……トラヴィスは王子なんでしょ? それが、どうして魔王に追われる身になってしまったの? あ、話したくないなら、大丈夫よ」


 なにか、魔王を怒らせるようなことでも、したのだろうか。

 トラヴィスには悪いけど、彼なら有り得るかもと、思ってしまう。


「理由なんてないよ。ただ、捕まったらいずれ殺される……可能性もある」

「な、なんで?」

 不安な表情を浮かべるミレーヌを見て、トラヴィスは少し考えるように黙ったけれど、物憂げに空を見上げ話し出した。


「……オレの育った国を支配するためだよ」

「トラヴィスの国を?」

「そう。闇夜ノ国でも、あまり名の知られていない小さな国だ。人族を襲う者もいない、むしろ友好的な交流を望む、穏やかで平和な国だった」


「そんないい国を、どうして」

「魔王は面白くなかったんだろうね。人との交流を持とうとするのが。だから、レイドという監視をつねにオレに付けてた。そして、先日手をくだしたんだ」


「まさか……じゃあ、トラヴィスの国は……」

 黙って首を横に振る彼を見て、なにも言わなくても察しがついた。


 トラヴィスの生まれた国は、もう滅ぼされてしまったのかもしれない。

 おそらくは、帰らないんじゃなくて、帰りたくても帰れないのだ。


「だから、わたし以外、心配してくれる人がいないって言ったの?」

 トラヴィスは黙ったまま頷く。


「トラヴィスはその国で唯一残された王子だから、魔王とその手下に、今も命を狙われて逃げているのね」


「そう。国が襲われたのに、オレはなにもできなかった。昔から病弱で、剣も揮えない無力なオレを逃がすため、両親も従者もみんな命を落としたんだ」


 一日で村を奪われたミレーヌは、今のトラヴィスの気持ちが痛い程に理解できた。

 じわりと涙で視界がにじむ。


「なんでミレーヌが、泣きそうな顔をしてるの?」


「だって、そんな思いをしていたなんて。それなのに、グレン王子のところへ連れて行ってなんて無理なお願い、どうして了承してくれたの?」

 魔王の下へ自分から飛び込むことになるというのに。


「……キミは命の恩人でしょ。看病してくれたお礼に、せめて魔王城が見える場所まで、キミを送り届けてあげたいと思って」


「トラヴィス……ありがとうっ」


 トラヴィスも辛かったはずなのに。今の自分の境遇と重なり、ミレーヌは、いつの間にか涙を流していた。


「だから、オレにはもうキミしかいないから……側にいてよ、ずっと」

「それは……」


 その時だった。ミレーヌたちの上に大きな影が現れ、翼をもつ白馬から飛び降りた、ローブ姿の男が現れたのは。


「レイド……」

「探しましたよ、トラヴィス王子。まったく、あんな高さから飛び降りるとは」

 レイドはミレーヌを一瞥し、メガネを人差し指でクイッとあげる。


「まだその娘と一緒でしたか。仕方ありません。取り敢えず、あなたも一緒に来ていただきましょう」

 レンズの奥の淡い紫色の瞳が、炎のように妖しく揺らめく。


 怖いけれど、先程の話を聞いたら、トラヴィスを守らなくてはと思う。

 ミレーヌは彼を後ろに庇い、レイドの前に立ちはだかる。


「トラヴィスを、あなたには渡しません」

「なんのつもりか分かりかねますが、くだらない追いかけっこはおしまいですよ」


 トラヴィスを捕まえ、魔王城に連れて行くのがこの人の仕事。

 ならば魔王城に行きたいミレーヌにとっては、好都合だったが……。


「手荒な真似はしたくないのですが」

 レイドが取り出したのは、腰に装備されていた黒くて長い鞭。

 叩かれたなら、肌が赤く腫れあがりそうだと想像し、ミレーヌは顔を引き攣らせた。


 それでもトラヴィスが戦えないなら、自分が守るしかない。

 今まであまり好きになれなかった腕輪の力も、今なら役に立てられる。


「さあ、行きますよ!」

 ミレーヌは、トラヴィス目掛けて放たれた、生き物のようにうねり迫る鞭に、彼が絡み取られないよう突き飛ばす。


「逃げて、トラヴィス!」

「ミレーヌは?」

「わたしは、この人が追ってこないように、時間稼ぎをするわ」

「時間稼ぎって、どうやって」


「潔く私と共に来なさい、お二人とも」

 再び鞭がミレーヌたちを絡めようと、こちらに向かって放たれた。


「っ、わたしは元々魔王城に行くのが目的だったんだもの、だから捕まっても大丈夫。でも、トラヴィスは逃げなきゃ! せっかくみんなが守ってくれた命でしょう」


「なに分けのわからないことを、おっしゃっているのです」

「っ!」


 ミレーヌは両手をクロスさせ、力を貸してと腕輪に祈った。

 光の防壁がレイドの鞭を弾き飛ばす。


「なっ!? その力は……」

 驚愕の表情を浮かべたレイドの鞭を伝い、光が彼を襲った。


「はぁ……はぁっ」

 よかった、上手くいった。

 肩を撫で下ろしたミレーヌは、足がガクガクとして力が入らなくなる。


 いつもならこんなことはないのに。疲労感に襲われ、しかし、なんとか意識を保ち倒れないように堪えた。


 倒れるレイドは動かないままだったが、確認すると息はしていて安心する。

 さすがに命を奪う覚悟など、ミレーヌにはない。


「ミレーヌ!」

 トラヴィスがミレーヌに、抱き着いてきた。

 いつもと同じ、なにを考えているのか読み取れなくて、でもどこか憎めない笑顔を浮べ。


「さすが。惚れ直しちゃいそう」

「冗談言ってる場合じゃないわ。トラヴィスは逃げて」

「逃げるなら、ミレーヌも一緒だよ」

 ミレーヌは静かに首を横に振る。


「わたしの目的は魔王城に行って、グレン王子に会うことなのよ。この人に捕まった方が好都合だもの」

 だから自分は、ここに残るのだと言ったミレーヌに、トラヴィスは小さく「そうきたか」と呟いた、気がした。


「でもさ……オレがキミを連れているから、さっきは一緒に連れて行くって話になっただけで、キミ一人で残っても相手にされないんじゃない?」

 確かに。ごもっともな意見を言われ、ミレーヌは黙り込む。


「ほら、だからオレと一緒に行こう。オレが城まで連れて行ってあげるから」


 そう言われたら、拒めない。

 トラヴィスに手を引かれ、走り出す。

 当ても無くどこか休める宿を求めて。

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