第8話 刻印
歩いても、歩いても、森を抜ける気配がないなか、それでもミレーヌはめげることなく歩き続けた。
グレン王子の住まう、魔王城を目指して。
「さっきの話だけど」
「えっ……な、なに!?」
突然トラヴィスが、ミレーヌの首筋に顔を近付けてくる。
「……確かにキミは、魔族を引寄せやすい体質だ。甘くていい匂いがするから」
首筋に掛かる吐息がくすぐったくて、ミレーヌはなんとも言えない緊張を感じた。
「ここは闇夜ノ国。これから、もっと襲われる確率が上がるかもしれない」
脅さないでと言いたかったけれど、トラヴィスは恐らく本当の事を、教えてくれているだけだろう。
「こんな困った体質、いらないのに……」
「いや?」
「いやに決まってるわ。魔族を誘き寄せるなんて」
「じゃあ……オレがどうにかしてあげようか」
「え?」
そんなこと出来るのかと問う前に、ふわりと優しく抱き寄せられたかと思えば、突然の痛みに驚いてミレーヌはすぐに声をあげる。
「ひっ、い、たい……」
トラヴィスが首筋に噛みついてきた。
このまま食べられてしまうのかと思った。魔族の前で気を許した自分が、バカだったのだろうか。
しかしミレーヌを食い殺すことなく、トラヴィスはなにかを施してすぐに顔を上げた。
「で~きた」
「な、なにを、したの?」
恐る恐る首筋を指でなぞると、不思議なことに噛み付かれていたはずの首筋の痕は、すでに塞がり血もでていない。
「なにをしたと思う? ミレーヌがオレのものだっていう刻印を付けた」
「わたしが、あなたのもの?」
「丸腰で美味しそうな匂いをぷんぷんさせて。それじゃあ、この国では、食ってくださいって、言ってるようなものだ」
ミレーヌは不審に思いながら、ポケットに常備している手鏡を覗き込む。
噛み付かれたと思っていた鎖骨の少し上辺り……そこに浮かび上がっていたのは、決して噛まれた痕ではなくて。
「綺麗だろ。紅く色付く刻印」
見覚えのない模様が、美しく花開くように浮かび上がっていた。
「な、なんなの、この証……」
「だから、ミレーヌがオレのものだっていう証だよ。知らないの? 魔族は、自分のものに印を与えるんだ」
「自分のものに?」
「オレのものに手を出すなって、意味もこめて。自分の魔力を流し込んで、ね」
トラヴィスの魔力の匂いに紛れ、ミレーヌの匂いは薄まるはずだと言う。
確かにこれで、魔族に狙われる確率が減少されるなら、今のミレーヌにはありがたいかもしれない。けれど。
「この国を出るときに、印って消してもらえる?」
「……一度つけたものを、消すのは難しいかな」
さらっと言われれたが、そんなの困る、
「嬉しくないの、オレからの贈り物」
「嬉しくないわ……だって、わたし勝手にトラヴィスの所有物にされちゃったってことでしょう?」
魔族の言う所有物というのが、どういう扱いなのか分からないけれど、あまりいい気はしない。
そして、一時的ならまだしも、証が消せる方法があるのかさえ、ミレーヌには分からないのだ。不安にもなる。
「魔族の女の子ならみんな欲しがるのに、キミって変わってるね。それとも、人間の女の子だから?」
「だって、わたしトラヴィスのものじゃないのにっ」
その言葉にトラヴィスは、スッと表情を無くし……なにかボソッと呟いた。
――逃さない。
と言われた気がした。恐怖から、ぞくりと背筋が冷える。
「あ、あの……」
ミレーヌの表情が引きつった。
だが、次の瞬間、トラヴィスは何事もなかったかのように、いつもの笑みを見せ、張りつめた雰囲気は消えた。
「そんな冷たいこと言わないで、オレのものになってよ」
「っ」
擽るように首筋の痣を撫でられ、ミレーヌは後退する。
「ミレーヌが必要なんだ。キミが傍にいてくれないと、オレ……きっと、もうすぐ幽閉される。それどころか……」
「え……どこかの牢屋に閉じ込められちゃうってこと?」
「そう。オレを救えるのは、この世界でキミだけ。だから傍にいてよ」
よく分からないけれど幽閉なんて恐ろしい。
「わたしが必要って……いったい、なにをしたらいいの?」
「助けてくれるの?」
「わたしで力になれるなら」
「ありがとう、キミってホントに……いい子なんだね」
トラヴィスはニッコリとした笑顔を見せた。
なのに、ミレーヌの心は、なぜかざわざわと騒ぎ、不安になってくる。
「そばにいてくれるだけで大丈夫だよ」
その刻印を受け入れ、ただ側にいてと彼は言った。
「今は、ミレーヌの優しさが、オレを救える唯一の力だから」
「なにそれ……」
優しくしてくれれば、幽閉されないなんて意味がわからない。さすがのミレーヌも訝しんだ。
また質の悪い冗談のつもりなのか。
「……本気で心配したわたしがバカみたい、もう知らない。こんな刻印早く消して」
ミレーヌは眉を寄せ抗議したのだが。
「うっ……」
「ど、どうしたの?」
いきなりトラヴィスが、胸を押さえ地面に蹲る。
そうだった。忘れていたが、トラヴィスは昨日熱があって寝込んでいたのだ。
こんなちゃらんぽらんな人だけど、熱があるのは嘘じゃない。
「どこが苦しいの? 大丈夫?」
「ミレーヌが優しくしてくれないから、病気が悪化したのかも……」
「……また、そんなことを。いい加減怒るわよ!」
「本当なんだけどな」
「うっ…………」
突然、悲しげに見つめられ、罪悪感を覚える。
「信じてくれないんだ……」
「だって……」
それでも、まだ疑っていたミレーヌだったが……いつまでもトラヴィスに見つめられ……。
「分かったわ。どうしたらいいのか分からないけど、優しくする」
根負けするように、ミレーヌは頷いた。
「…………ホント?」
優しくするの言葉を聞いた途端、トラヴィスに元気が戻る。
「約束だよ」
「……また、騙したでしょ」
「騙してないってば」
その笑顔が、よけいに疑わしい。
何度もこの魔族を信用してしまう自分にも責任あると思うけど、困った顔されると、どうしても無視できなくなって敵わない……。
いったい、今彼が言ったどこまでが本気なのだろう。
「刻印があるかぎり、キミはオレのものだよ」
なにを考えているのか分からない笑顔に、たまに恐怖を感じる。
首筋に浮かぶ証が、じくじくと疼いた気がした。
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