第6話 ドラゴンと遭遇

 必死でトラヴィスにしがみつく。そんな状況がどれくらい続いただろうか。


 まだ朝方だったはずなのに、雨雲のような薄暗い雲のトンネルの中に入ると、まるで周囲は夜のよう。

 そしてやがて、ずっと続いていた雨雲のトンネルの先に、光が見え始める。


「レイドさんが、ずっと追いかけてくるけど……どうして、逃げるの?」


 トラヴィスのことをなぜか王子と呼んでいるし、トラヴィスの身なりを見るに、恐らく彼はどこかの王子で間違いなさそうだ。

 帰る場所があるのに、心配して迎えに来てくれた者に対して、逃げる理由が思いつかないのだが。


「あいつは……魔王の手先なんだ。オレは追われてる身なの。かわいそうでしょ」

 その時、ペガサスで追いかけて来たレイドが、こちらにようやく追いついた。


「逃げているのかと思っていましたが、闇夜ノ国へ戻るのですね。安心しました。あとは、そこの貧相なお嬢さんを捨てていただければ、ありがたいのですが」

「っ…………」


 何回貧相と言われればいいんだと思ったが、ミレーヌはぐっと耐える。

 トラヴィスも、そんなレイドの相手なんかせず、無言を貫いているから……そう思っていたのだけれど。


「……トラヴィス?」

 なんだかトラヴィスが、苦しそうだ。彼の腕の中から顔を見上げ、それに気付く。


 もしかして熱が上がってきたのだろうか。そう心配になったのは、ミレーヌだけではなったようで。


「顔色がすぐれませんね。一体どうなさったのですか?」

「なんのこと?」

「とぼけないでいただきたい。まさか……」


「うるさい……オレをイライラさせるな、レイド。オマエの小言を聞いてると、ストレスが溜ま、る……っ」

「王子!?」


 何事か!? 突然、トラヴィスに抱きすくめられたかと思えば、視界が反転した。

 そしてトラヴィスは、なんの躊躇もなくペガサスから飛び降りる。


「え、きゃー!?」

 正気ですか!? と、ミレーヌは叫びたかったが。


(いや、でも、きっと、なにか考えがあっての行動なのよね!)


「落馬しちゃった。どうしよっか、このままだとオレたちぺしゃんこだね」


 ぺしゃんこだね~、ぺしゃんこだね~、ぺしゃんこだね~……トラヴィスの爽やかな声が、頭の中で繰り返される。

 なんの策略もなく、馬から飛び降りるなんて、ありえない。


「バカバカバカ、トラヴィスのバカ! どこの国の王子様か知らないけど、ダメダメ王子ー!」


 落馬しちゃったって、あきらかにわざとだったでしょう、と言ってやりたい。


 だが、トラヴィスは、少し驚きの顔を見せた後、なぜか目を輝かせ笑った。


「すごい! そんなこと言われたの、生まれて初めてだ」

「こんな時に、新鮮な気持ちにひたらないでー!」


 ミレーヌの絶叫が、広い広い大空に空しく響き渡る。もう怖くて目も開けられない。


 ボフッ――。


 だが、地面に落ちた衝撃は予想より遥かに軽く、ミレーヌは特に痛みを感じなかったことを不思議に思い、恐る恐る瞑っていた目を開けた。


「あ、れ?」


 ぺしゃんこになってない。

 そして、当たり前のようにトラヴィスが下敷きになってくれている。

 

「ト、トラヴィス、大丈夫」

「ああ、落ちた場所が良かったみたいだ」


 涼しい顔をしている彼を見て、ミレーヌもほっとした。


 周りを見れば、自分たちは絶壁の岩の隙間に出来ている、なにかの巣に受け止められ助かったようだ。


「二人とも無事でよかったね」

「本当だわ……」


 下敷きになって庇ってくれたトラヴィスに、一瞬だけ感謝しかけたが、もとはといえば全部彼のせい。

 そう思い直し、ありがとうの言葉は引っ込めた。


「それにしても高い……どうやって、ここから降りたらいいの?」


 見下ろすと、遥か地上に広がる景色は一面森のようだ。

 突風が吹くと、巣は軋む音をたて大きく揺れるし、怖い。


「なんとかなるよ。あ、一応ここは、もう闇夜ノ国だ。入国成功だね。まだ昼間だから、殆ど皆お休みの時間だろうけど」


 こんな状況なのに、相変わらず飄々としているトラヴィスを見てると、一人で慌てふためいているのが、馬鹿らしいと思えてくる。


「入国させてくれたのはありがとう。だけど……ずっと、ここにいるわけにもいかないし」

「ミレーヌ、見て。向こうにドラゴンが飛んでるよ」


「もう、そんなことより! 魔王の手下に追われてるってどういうこと?」


 魔王とはつまり、ミレーヌが会いに行くグレン王子の父君。そんなすごい人と、トラヴィスは交流がある国の王子なのだろうか。


 ならば、ミレーヌにとっては、非常に都合が良いのだが。幸運の女神が、味方してくれているのではと、思えるほどに。


「ドラゴンはやっぱり大きいね」

 だが彼はまったく質問に答えてくれる気がない。遠くを眺め話を逸らすだけだ。


「……話したくないの?」

「……頷いたら、キミは何も聞かないでくれる?」


 彼の反応を見るに、あまり良い関係ではないのかもしれない。ならば……。


「ええ、聞かないわ」

「コネを使えば、グレン王子に会えるかもしれないのに?」

「えっ……」


 試すような目で、見られている気がした。

 確かに、そんなコネがあるなら、王子に会わせてほしい! 今すぐ! けれど……。


「なにか事情があるんでしょ? なら、無理に頼んだりしないわ」

「どうして?」

「そんなの、心配だからに決まってるじゃない」


 追手から逃げているぐらいだ。捕まったら、痛い目に遭うのかもしれない……。それなら、無理をしてほしくない。


「オレが魔族だって聞いても、昨日みたいに心配してくれるの?」

「当たり前だわ。魔王の手下に追われてるなんて、ただ事じゃないもの」


「ふーん……ミレーヌって、本当に理解不能レベルのお人好し」

 そう言うトラヴィスは、極上の笑みを浮かべている。


「面白い。もっと、深く知りたいな……キミのこと」

「っ……な、なに!?」


 突然間近で顔を覗かれ、キスされるのかと思った次の瞬間――突然の強風を背中に浴び、ミレーヌは驚いて振り返る。


 大きな翼をひるがえし、ミレーヌたちの頭上スレスレを、円を描くように飛んでいるのは。


「ドラゴンーー!!」

「だから、さっきからドラゴンがいるって言ってただろ」

 てっきり話を逸らされているだけかと思っていたが……。

 ミレーヌは低く唸るように響く、ドラゴンの声に身を強張らせる。


 だって、見たこともない大きさなのだ。

 硬い灰色の鱗で覆われた前足には鋭い爪があって、一撃で串刺しにされそう。

 蛇のものともトカゲとも違う大きな腹を見せ、ミレーヌたちの頭の上を何度も円を描き飛んだ後、ドラゴンは大きく三日月のように光る瞳をこちらに向けた。


 国境があるとはいえ、同じ世界のはずなのに、ミレーヌの育った村とは生態系まで違うのが闇夜ノ国なのか。


「も、もしかして、この巣ってこの方のお家なんじゃ……」

「ああ、そうみたいだ」

 地響きでも起きているような唸り声をあげられ、ミレーヌはドラゴンが怒っているのだと思ったのだけれど。


「地上まで連れて行ってくれるって」


 トラヴィスはドラゴンの鼻あたりからよじ登り、なんの戸惑いも無くその背に乗った。

 そしてミレーヌも早くおいでと、手を差し出すけれど。


「乗るのっ、そのドラゴンの背にっ!?」

「グオォオォオォッ」

「きゃあ、やっぱり怒ってる!?」

「怒ってないよ、ほら、早く」


 早くと言われてもこの迫力満点な声を聞くと、身が竦んでしまう。

 しかし躊躇するミレーヌに痺れを切らしたのか、ドラゴンが鼻先でミレーヌをすくい上げ、ぽーんと背に放り投げた。


「わぁっ」

 そして有無を言わせず、ドラゴンは地上に向かって急降下する。


「やっぱりドラゴンは速いね。ほら、ミレーヌも褒めてあげて。いい子いい子」


(無理~、今しゃべったら絶対に舌噛んじゃう~!)


 余裕でドラゴンの背を撫でるトラヴィスと、必死にしがみ付き黙るミレーヌ。


 地上に到着した頃、ミレーヌの意識が半分お花畑に旅立っていたのは、言うまでもない。

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