第5話 突然の逃避行
「ミレーヌ、どこか行くの?」
村長宅を出ると、柵に寄りかかり暢気にトラヴィスが立っていた。
そういえば、なぜ自分たちは無事なのだろう。村全体は静まり返り、誰一人氷の仕打ちから逃れられた者は、見当たらないというのに。
「ミレーヌ? 聞いてる?」
「……トラヴィスはこの状況を見て、なんとも思わないの?」
「この状況? ああ、綺麗に凍らされちゃってるよね。まるで闇夜ノ国にある氷雪国みたいだ」
「トラヴィス、闇夜ノ国に行ったことがあるの!?」
「行ったことあるもなにも……オレ、魔族だよ」
「えぇ!?」
確かに犬歯が生えていたり、違和感のようなものは覚えていたけれど……。
「なんで魔族が人の国へ?」
「ちょっとね……小旅行的な感じ。ミレーヌは、オレが魔族だって聞いて怖くなった?」
一歩後ずさったミレーヌとの距離を詰めることはなく、トラヴィスはこちらを伺っている。
怖い。怖いに決まっている。魔族など人族をいたぶったり食べたり、野蛮なことをしてくる種族という印象しかない。
昔、ミレーヌの両親を襲ったのも、住んでいた村を壊したのも、平和協定を破った魔族たちだった。
だけど今、目の前にいるトラヴィスはどうだろうか。ちゃんと言葉も通じるし、乱暴なことはしてこない。なかなか癖が強く困った性格ではあるけど……。
「怖くないわ」
「ミレーヌ!」
トラヴィスは、嬉しそうに両手を広げ、ミレーヌをまた抱きしめてこようとしていたようだが。
「怖いというより……今のわたしには、好都合かも!」
「は?」
ミレーヌの反応が予想外だったのか、抱きつく前に動きを止めた。
「お願いがあるの。わたしを、闇夜ノ国へ連れて行って」
「本気? ミレーヌって変わり者だね」
「どーしても、行きたいの。でも、不法入国とかになったら困るし、わたしこの村の外のことは、あまり詳しくないから……あなたが案内してくれたら心強いなって」
「ふーん……いいよ、別に。そのぐらい、お安い御用だ」
「本当!?」
あまりにもあっさりと頷いてくれたので拍子抜けしながらも、ホッとした。
伝手もない自分では、途方もない旅になることも、覚悟していたのに。一気に道が開けた気分だ。
「ありがとう、嬉しい!」
ミレーヌがあまりにも喜ぶものだから、トラヴィスもそれに釣られたのか、穏やかな笑みを浮かべる。
「うん、オレも嬉しい。一人で帰るのも、味気ないと思ってたところだったから……(あわよくば、キミを連れ帰りたいって思ってたしね)」
最後にトラヴィスは、なにか不穏な独り言を呟いていたようだが、ミレーヌの耳には届かなかった。
「これで入国まではバッチリね。あとは、グレン王子に会えたらいいんだけど」
「……ん? 今、なんて言った」
トラヴィスはなぜか固まった笑顔のまま首を傾げる。
グレン王子。その名を聞き、心なしか眉がピクリと引き攣った気がした。
「グレン王子って言ったのよ。わたし、彼に会うために闇夜ノ国に行きたいんだもの」
「え~っと……念のため確認するけど、それは魔王の息子の?」
「そうよ」
「なんのために会いたいの?」
「村を、こんな風にしたのが、その王子かもしれないから」
「……それはどうだろう。だって、こんな貧村凍らせて、王子になんの得があるんだよ」
貧村とは失礼な。そんな言葉は呑み込んで、ミレーヌは手短な説明をした。
「氷づけにされた弟の足元に、こんな紙切れが落ちていたの」
トラヴィスは。訝しげな表情で、その紙切れを眺める。
「今のわたしには、これしか手がかりがないんだもの」
トラヴィスは、必死に訴えるミレーヌの言葉を聞いているのかいないのか、なにか考え込むように、例の紙切れを暫く眺めてから、それをミレーヌに返してくれた。
「それが、キミの闇夜ノ国へ行きたい理由なんだ」
「そうよ」
「怖くない?」
「怖いなんて思ってられないから」
「ほんとうに~。食べられちゃうかもよ。闇夜ノ国には、野蛮な輩がゴロゴロいるし。それにキミ……とても美味しそうな匂いがするんだ」
威すように意地の悪い笑みを浮かべながら、トラヴィスはミレーヌの反応を楽しむ。悪趣味だ。
「こ、怖いけど……それでも行くわ。わたし、キアのためなら」
キアを助ける代償として、この身を望まれたなら、きっと自分は……。
「自分の命より、弟が大事なんて……理解しがたいね、人族って」
そう言いながらもトラヴィスは、興味深げにミレーヌを眺めていた。その時。
「トラヴィス王子! やっと見つけました」
「……あ~あ、最悪。レイドのお出ましか」
急に頭上が影に覆われ、見知らぬ男が現れる。
「だ、誰、ですか!?」
素っ頓狂な声を上げてしまったのは、その見知らぬ男性が乗っている動物に驚いたから。
彼は馬に乗っていた。だが、普通の馬ならば、ミレーヌだって手伝いでよく手入れをしていたので、驚いたりしない。
その彼が乗っている白馬には、美しい羽が生えているのだ。
(ペ、ペガサス?)
おとぎ話でしか見たことのない生き物だった。
彼はトラヴィスの知り合いなのだろうか。けれどトラヴィスはレイドがペガサスから軽やかに降り登場したのを見て、あからさまに眉を顰める。
「まったく、どこへ消えたかと思えば、こんな貧村でなにを……というか、寒っ!?」
失礼な人が増えた。ミレーヌはそう思ったけれど、寒いという言葉には激しく同意だ。
「おや、このお嬢さんは?」
レイドは、今の今までミレーヌの存在など眼中になかったようだが、ようやくこちらに気付き一瞥する。
野蛮な雰囲気はしないのだけれど、なんだかその射抜くような視線が怖かった。
品の良い顔立ちにメガネをかけた二十代後半に見える男性は、長いローブを纏っている。まるで魔法使いのようだが、トラヴィスの知り合いなら、おそらくは魔族なのだろう。
「無闇に人間居住区へ進入してはいけませんと、いつも言っていたというのに。こんな貧村の貧相な小娘相手に、無駄な時間を過ごすなど言語道断。早く帰りましょう」
「ひ、ひどい……」
完全無視のあげく、貧相と連呼される言葉がミレーヌの心を抉る。
「はぁ……わかったよ」
さっきの反応を見るに、レイドの申し出を拒絶するのかと思ったのだが、トラヴィスは意外にもすんなりそれを受け入れた。
「王子の馬も連れて来ています、早く乗ってください」
トラヴィスは気だるそうに返事をすると、頭上から舞い降りた白いペガサスの背へ。
それをきょとんとしたまま眺めていたミレーヌに、手招きして手を差し伸べる。
「闇夜ノ国へ行くんでしょ? さあ、おいで」
「わたしも、その子に乗っていいの?」
ペガサスなんて初めてで、動物好きのミレーヌは、胸を高鳴らせたのだけれど。
「なにを、バカ言ってるんですか。人族の娘なんて、拾われては困ります」
「オレの拾いものに、指図するな」
「あの、わたし、トラヴィスに拾われたわけじゃ……」
「ああ、そうだね。拾われたのは、オレの方だった」
そのままトラヴィスに腕を掴まれて、ミレーヌはペガサスの背へ乗せられた。
「妾が欲しいなら、もっと良い女をいくらでもっ」
レイドがなにか言っているけれど、トラヴィスはそれを遮るように、ミレーヌの耳元で囁いた。
「しっかり掴まってて」
ぐんぐんと地上を離れる感覚にミレーヌは「きゃあ」と声を上げたが、空を駆け出したペガサスの翼の音やらでかき消され、振り落とされぬようトラヴィスにしがみ付く。
「コラッ! 逃がしませんよ。待ちなさい、お二人とも!」
レイドが鬼のような形相で後を追ってくるけれど、ミレーヌは必死でそれどころではなかった。
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