第4話 突然壊れた日常
朝、目が覚めると、目の前にあった麗しい寝顔にミレーヌは固まった。
そして昨日、空から降ってきた青年を、家に連れてきてしまったのだと思い出す。
天窓から、サンサンと朝日が差し込んでいる。
いつのまにか、すっかり朝方だ。
無防備な彼の寝顔を眺め、ミレーヌは溜息を付いた。長いまつ毛に、絹みたいに触り心地よさそうな金髪。ホントにいったい、彼はどこから来たのだろう。
そっとトラヴィスの額に触れ熱を測る。やっぱりまだ少し熱かった。
「……ん、ミレーヌ?」
「おはよう。風邪、まだ治らないみたいね。熱もあるし」
「風邪……ああ、そうだったね。まだ治らないから、今日も泊めてよ」
そう言われても、困ってしまう。
「ごめんなさい……無理なの。弟にバレたら大変だし、あなたの家族もきっと心配してるわ」
「まさか。なんの見返りもなくオレを心配してくれるのは、ミレーヌだけだよ」
なんてことないような顔で、なんて寂しいことを言うんだろう。
「どうしたの? 悲しそうな顔して」
トラヴィスがまた抱きついてくるものだから、ミレーヌは驚いてバタバタもがく。
「ちょっ、離して。こんな所、キアに見られたら誤解されちゃう」
「……キアって誰?」
抱きしめてくる腕の力が強くなり、急に背筋が冷えるような声音で聞かれ、ミレーヌはビクッとした。
「わたしの、弟だけど……」
「なんだ、弟か」
よくわからないけど、トラヴィスの雰囲気が和らいだようで、ほっとする。
「そう、自慢の弟。わたしたちの両親って、魔法使いだったんだけど、弟は二人に似て才能があるのよ」
「ふーん、ミレーヌは?」
「わたしは……似なかったみたい。村長にも、おまえは魔法の才がないから、その分野に触れるなって言われてるの」
「才がない……そっか。ねえ、そんなことより、オレとぬくぬくしよう」
「ぬくぬくってなに!? もう朝よ。起きなくちゃ」
というか、弱っていたとはいえ、見知らぬ男と一夜を共にしたうえ、ぐっすり寝てしまった自分の図太さを、今更ながらミレーヌは内心反省する。
キアにバレたら、絶対絶対怒られるだろう。
「なんだ、まだ朝なの? 良い子は寝る時間じゃん。オレ寒くてここから出たくないな」
「良い子は起きる時間です! もう、離してってば!」
言い返しながらも、確かに今日は肌寒いと思った。
まだ花冷えの季節なので、朝方は気温が低いことも特に珍しくはないのだが、それにしても春とは思えないほどに。
「みぞれでも降ってるのかしら」
トラヴィスの腕から逃げ、藁のベッドを出ると子豚三匹も部屋の隅で震えている。
「寒いのにどこへ行く気?」
「っ!?」
くっつき虫のようにミレーヌの後を追い、また後ろからトラヴィスが抱きついてきた。
「ここで待ってて。村長のお家で台所を借りるから、きゃっ」
腕の中から逃げ出し、たてつけの悪い戸を思い切り押し開け、小屋の外に飛び出したミレーヌは、なにかに滑って転倒する。
「いたたたた……え」
そして、辺りを見渡し絶句した。
「一面雪景色、いや、氷景色って感じ?」
トラヴィスが暢気にミレーヌの隣で一言。
その言葉の通り、氷の世界がそこには広がっていた。
「なに、これ……」
食費を浮かそうと自給自足している畑も、豚小屋とは目と鼻の先にある村長宅も、柵を越えれば建ち並ぶ村人たちが住む家も……すべて氷に包まれており、光を反射して輝く世界に、ミレーヌは目が慣れるまで眩しくてチカチカした。
昨夜まで雪などなかったし、たとえ猛吹雪の次の日だって、村がこんな状態になったことは今までない。
状況が把握できないまま、ただキアのことが心配で氷に足を滑らせながらも駆け出す。
「走っちゃ危ないよ」
トラヴィスに注意されても聞いてられなくて、ミレーヌは村長宅までの一本道を走った。
そして鍵の掛かっていない木の戸を引き、キアの名を呼びながら家の中に飛び込む。
家の中も外同様氷の世界が広がっていて、色んな意味で寒気がしたけれど、小屋の中にいた自分も、トラヴィスも平気だったのだ。キアだって無事でいてくれる事を願い、昨日お祝い会をしていた広間へ飛び込んで。
「そんな……」
ミレーヌはその場に崩れ落ちる。
テーブルを囲っていた皆の姿が、そのまま氷づけになっていた。
「キア!」
村長とキアだけは、なにかに抵抗したように、テーブルから少し離れた場所で凍りついている。
蹲る村長を庇うように立ちはだかり、宙を睨み付けたまま、凍らされたキアの姿を見つけ、ミレーヌは冷たいその塊に抱きついた。
「なんでっ、誰がこんなことをっ」
抱きしめた弟は固くて冷たくて、何度呼びかけても、ミレーヌを抱き返してくれることはない。
「キア、元に戻って。わたしを独りぼっちにしないで」
ミレーヌは、涙さえも流せないほど気力を無くし項垂れる。
すると凍る弟の足元に、なにか紙の切れ端のような物が落ちていた。
「これは……」
村が急変したこの状況に関する、何らかの手がかりかもしれないと、ミレーヌは縋る思いで古びた紙切れへ手を伸ばす。
『紅蓮―王子――破壊―覚醒――』
それは途中で破けていて字も滲み、よく意味の解らない暗号のようだった。
弟が残してくれたメッセージなのか、手掛かりかどうかも定かではないが、ミレーヌは頭をフル回転させ考える。
「ぐれんおうじ……たしか、闇夜ノ国の王子の名前はグレン……」
それは噂でしか聞いた事の無い、異国の王子の名だ。
この大陸にはミレーヌたちが住む人間が政をしている国と、砂漠を隔て魔族が住まう闇夜ノ国がある。
相反する二つの種族は、その昔、争いが途絶えなかったと聞く。だが今は、平和協定があるため、互いに腫れ物を扱うように交流を殆ど持たない。そんな異国の場所だ。
たまに協定を破り人間を襲いに来る魔族もいるが、一応は向こうの国の魔王が、そんな魔族を裁き治安維持に努めてくれている。
しかし協定を守ってくれている現魔王の息子は、そんな考えを真っ向無視し攻撃的な性格をしているのだと、噂でミレーヌも聞いたことがあった。
『闇夜ノ国で次期魔王候補と謳われる王子は、美しい銀の髪に、魅惑的な紅蓮の瞳と美貌で女性を虜にしてしまうんだって。けれど、一夜で村を崩壊させてしまうほど、凶暴な一面があるらしい。この大陸を壊そうとする、破壊王の生まれ変わりじゃないかって。彼が覚醒したら、この国は――』
そしてその彼は『グレン王子』と呼ばれている。
だからといって異国の王子が、こんな小さな村を凍らすために、わざわざやってくるなど普通なら考えられないが。
「グレン王子……」
紙切れに書かれている単語は、どれもグレン王子に関連するワードのようだ。
きっと、なにか関係があるはず。
しかし、こんな紙の切れ端一つでは、近くの町に行って誰かに相談しても、誰も動いてくれないだろう。
この辺りを治めてくれている領主様だって、魔族が関係してるとなると、無視してなにもしてくれない可能性が高い。
じゃあこのまま、奇跡が起きて戻るのを、ただ待っていることしかできないのか。
そんなのいやだ。
ミレーヌは氷の中に閉じ込められ、動くことのない弟を見つめ……決意した。
「行こう……闇夜ノ国へ」
無謀な考えだということは、分かっている。
魔法も使えない人間が、誰も好き好んで向かう場所ではない。しかし、今の自分にはそれしか思いつかない。
本当は魔族と係わるなんて恐ろしいけれど。
「行かなくちゃ。そしてグレン王子が犯人なら、元に戻してもらわなくちゃ」
なにもしないでいるよりは、行動に移したほうが気も紛れる。
「待っていてね、キア。絶対に、お姉ちゃんが助けるから」
ミレーヌは立ち上がりずんずんと力強い足取りで、村長宅を後にしたのだった。
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