第2話 急に懐かれても、困惑します


「うぅん……」

 次に彼が目を覚ましたのは、ミレーヌの藁で作ったベッドの中だった。


「あ、よかった。目が覚めたのね」

「っ、ここは……?」

「無理に起き上がらないほうがいいですよ。あなた、熱があって……風邪かしら?」


 必死で考えた末、お医者様を呼ぶお金などないので、とりあえずミレーヌは、彼を自分の家へと運んでいた。家といっても貧乏ゆえ、子豚が三匹いる豚小屋に、居候中の身なのだが。


 見ず知らずの、しかもなぜか犬歯を持つ青年を連れ込んだなんて、弟に知られれば絶対怒られるだろうから内緒だ。


 幸い今日は入学が決まったお祝い会の日。

 キアは朝まで村長に付き合うと聞き、ミレーヌ一人で家に帰る途中での出来事がこれだったため、今夜この青年が追い出されることはないだろう。


「ここはどこだって聞いてるんだけど。答えろ」

 また威嚇するみたいに睨む青年。一時間ほど眠って少し体力を取り戻した様子だが、頬は熱で火照り、瞳は少し虚ろだ。


「ここはわたしのお家です。突然あなたが倒れてしまったから、台車に乗せて運んだの」

「……ここが家? 豚小屋じゃないのか」

「し、しつれいな。家ですよ、一応」


 実際には子豚三匹に居候させてもらっている身なので、ここはれっきとした豚小屋だったが、一応人が住めるよう改築してもらっているし、ミレーヌは『家』と言い切った。


 三匹の子豚たちは、めずらしい来客にきゅぴきゅぴと鼻を鳴らしながら、青年の足やら身体を突いている。

 青年はその整った顔を崩すことなく、無表情のまま豚小屋を軽く見渡し溜息。

 そしてミレーヌに視線を戻すと、やはり冷たい目つきで口を開いた。


「で、オレをここに連れ込んで、なにが目的だ」

「え?」

「金でもせびるつもり?」


 そりゃあ、自分は貧乏だけれど。別にお金をもらうために、助けたわけじゃないのに。なんだか悲しい気持ちになった。


「たしかに、こんな酷い環境で生活してちゃ不満も溜まるな。助けられたのは事実みたいだし、少しなら援助してやってもいいけど」

「なっ!? 結構です。おあいにく様、別にお金に困ってませんので」

 嘘を吐いた。本当は、喉から手が出るほどお金に困っている。

 だが、しかし、自分を見下してくるような人の援助など、受けたくない。絶対に。


「へー、目的が金じゃないんだ。じゃあ、オレの身体目当て?」

「か、身体!?」

 何を言うのかと慌てるミレーヌを、青年は鼻で笑った。

 なんだか得体の知れない人だけど、一つだけ分かったことがある。この人、かなり性格が悪そうだ。


「そうだな、お礼のキスぐらいしてあげようか?」

 グイッと、長く美しい指で顎を掴まれ、顔が近付く。


「なんか、オマエ……甘くて美味そうな匂いがする」

「なっ!?」

 身の危険を感じたミレーヌは、近付いてきた青年の頬を掴み、そのままむに~っと伸ばしてやった。


「な、なにするんだよ」

 ミレーヌからの反応が予想外だったのか、青年が初めてきょとんとした表情をみせる。


「風邪がうつると困るので、あまり顔を近付けないでください」

「……なんなんだよ。ホント、なにが目的でこんな」

「目的って、そんなのあなたの風邪を治すためです」

 ミレーヌの言葉に、青年は拍子抜けしたようだった。


「……本当にそれだけ?」

「なにをそんなに驚いてるの? お金や身体目当てって、得体の知れないあなたに要求するわけないじゃない。弟に男の人を連れ込んだなんてバレたら、怒られちゃうんだから。変なこと考えてないで、早く元気になって出てってください」


「………得体の知れない。そっか……ここ、人間居住区側だっけ」

 青年は、ぶつぶつなにか言っている。

「はは……そっか。そうだった」

 そしてなぜか、急に柔らかい表情になる。

 威嚇されるよりは、笑っていてくれたほうがいいけれど。


「それじゃあキミって、かなりお人好しのお節介だね。見ず知らずのオレなんか拾っちゃうんだから」

 さっきまでの威圧的で嫌な雰囲気は、急になくなったけれど、やっぱりどこか失礼な人だ。


「……自分でもそう思うけど。でも、仕方ないじゃない。いきなり目の前で倒れられたら、心配しちゃうでしょ?」

「心配……まさかキミ、オレのこと心配してくれたの? ……面白い」

 なんだろう。急に素直というか、ぱぁ~っと嬉しそうに微笑まれると、どう反応していいのやら逆に困ってしまう。


「ねえ、キミの名前は? オレはトラヴィス」

「わたしは、ミレーヌ」

「ミレーヌ……ふーん」


 どこにでもある名前のはずだが、トラヴィスはなぜか一瞬だけ考え込むように顎に手を当て、でもすぐに笑顔に戻った。


「可愛い名前だね」

 さっきまでとは、別人のような爽やかな笑顔に、ミレーヌの頬が反射的に赤らむ。


(うぅ、不覚だわ。失礼な態度も忘れてドキドキしちゃいそう……)


「わ、わたし、なにか軽食を作ってくるので、ゆっくり寝ていてください」

「え、どこ行くの? 置いてかないでよ……」

 トラヴィスはミレーヌの腕を掴み、まるで捨てないでと言いたげに瞳で訴えかけてくる。


(な、なに、その子犬並みに母性本能を擽る眼差しは……さっきまでと別人すぎる)


 人格が入れ替わったんじゃないかと疑いたくなるような、態度の変わりようだ。


「だ、大丈夫。ササッと作ってすぐに戻ってきますから、ね」


 寂しそうなトラヴィスを部屋に残し、ミレーヌは明日の自分の朝食無しを覚悟して、なけなしの食料を駆使し、胃に優しいリゾットを作ってあげることにしたのだった。

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