日常に潜む怪奇

@Ransom1804

暗闇に潜む者

 薄汚れ黴臭い部屋、温かみのない白色を発する蛍光灯はこの息苦しい部屋の空気を更に狭苦しくするものだった。現在進行形で行われている事情聴取は既にある点において完全に行き詰まっていた。5回目となる同じ質問をダメ元で投げかけてみるが、結局答えは同じ判然としないもので、質問した刑事は深いため息を吐いた。覗き窓から様子を見守る刑事も進まない取り調べに手をこまねいていた。


「取り調べはどうだ、状況は変わらないか?」


「はい、依然として片瀬の供述は判然としない点がありますね…」


 この仕事を長くやっていることが顔に刻まれた皺からもわかるような刑事が早くから取り調べを見ていた若い刑事に進捗を聞いていた。


「心神喪失って訳か…こいつが結局やったってことなのか?…それとも現場を見たショックで思い出せないのか?」


「いえ…どうにも私には心神喪失って言う訳には見えないんですよね…片瀬の供述は事件の前後関係や時間感覚はかなり一貫性があってほとんど裏も取れています。もちろん話し方や内容にも多少の慌ただしさやたどたどしさはあるんですが…。しかしなぜか山崎が居なくなったそのときとその状況に関してだけは供述があやふやになるというか…彼にトラウマがある様で激しく恐怖し全く会話にならないんです。」


「まあ完全にそこに原因がある訳だな。そこを聞き出せるかどうかだが…一体奴が山崎と森に入り洞穴を探索しに行ったそこで何が起きたんだ。」


 現在取り調べを受ける片瀬藍は完全に自身の供述、いや陳述に関して諦めていた。話しても理解できないであろうし、全く自分でも言語化出来るか自信が無い。行方不明となった山崎にも家族がいるから放っておく訳には行かないため警察に捜索願を出したが彼は見つからないだろう。最初から警察に相談したら面倒なことになることは分かりきっていたが。


 私は東京の大学に通う普通の大学生で、山崎と出会ったのはサークルだった。彼のサークルはたまに集まってフットサルをしたり、バスケやテニスをするような軽いもので、山崎はそこで出会った1学年上の先輩だった。2人とも奥手な人間ではないが特段前に出る訳でもない普通の人間であった。そんな2人だがその2人が仲良くなった最大の原因がオカルト好きという点だった。私はネットや本、雑誌で都市伝説などを好む一般的なファンだった。一方山崎は日本各地の風習や民俗学にも明るく、津々浦々の古文書も蒐めるような人間であった。そのため博識で私の知らない都市伝説なども知っている山崎は私にとって非常に面白い人物であったため、2人はすぐに距離を縮め2人で夜な夜な語り明かすことも多かった。山崎は大学の長期休みの間に日本の地方信仰の実態を確かめるために実際に足を運ぶことが多々あり、この夏は長野県に行くとのことで私は着いていく運びとなったのであった。


 茹だるような暑さの東京に比べて5度ほど気温が低い長野は、青田の上を川から涼し気な湿り気を帯びた風が吹くために、気温よりもさらに数度涼しく感じた。私はほとんど避暑地への旅行気分で来たためにこれだけでも十分満足だったのだが、普段から口数の多い山崎はこの日に限っては口数が少なく、何となく緊張しているようで、しかし一方では腹の奥底で興奮が湧き上がっているのを抑えているような様子だった。どうしたのかと尋ねても気にするなとはぐらかされるだけであった。


 2泊3日の旅行の初日は軽く繁華街を散策し温泉に入るだけで特に何をするわけでもなかったのだが、2日目に山に入るとだけ伝えられていた私は山登りの装備を揃えていたために、これがはぐらかしていたメインイベントなんだと考えていた。隠す理由は分からなかったが何となく面白い遺跡などがあるのだろうかと予想していた。温泉に入ったあとに夕食を済ませ、部屋で寛いでいるときに誰に聞かれているという訳でもないはずだが声をワントーン落とした山崎が話しかけてきた。



「山に入ると言ったがこの旅館から北東に3キロ行った所にある山に登る。なあに1000mちょっとの里山さ。大したことは無い。それに登ると言っても登頂する訳じゃあない。中腹の峰々の間の深い森の中にひっそりと佇む横穴があるんだ。なあ、前に日本の地方に細々と伝わる信仰について言っただろう?古来から伝わる日本の神のその大体は平安時代にかけて延喜格において管理されたんだ。神々の格式が整えられ統合された。それによって地域の小さな神はより大きな神に吸収されるか淘汰されるかして忘れられていったんだ。君は世界各地で仄めかすほどに止められている人類誕生の前の文明や神の存在、いや神とも言えない大いなる存在については知っているよね?そう、あのアラビア人が書き残した狂った詩に仄めかされているようなやつだよ。あれは東アジア、特に日本についての話は全くもって出てこないが、存在しなかったはずは無いんだよ。そうだろ?日本が有史以来の世界で1番長い単一国家だぜ?


「俺は色々な地方の伝承などを調べていくうちに、そこで伝わる信仰や禁忌が実は今は信じられなくなった神が由来となっているものなんじゃないかと思ったんだね。そこで今回行くところの話になる訳だが、今回行く森は入らずの森と言われていて、まあ今は地域の高齢者がその人たちの祖父母から聞いたというような古い小話なんだけどね。内容は北東の森の茂った暗いところに無闇に入ると出て来れなくなる、化け物に連れていかれるぞっていうありきたりな話だけどな。」


「でも注目するところはこの話がこの村の神社に保管されている郷帳っていうのかな?ここの地域の歴史をまとめた私文書があるんだけど、ここの山に入った若者の多くが帰ってこないという記載があったんだ。そこにはなにか良からぬ存在がいると仄めかされていて、それは昏き者と呼ばれていたんだ。ここまで言えば君はわかるだろう?なにかこの呼び方が世界の禁忌の呼び方と似ているんだよ。そこで明日はこの洞穴を探索しようと思うんだ。心配するな、どうせただの洞穴で発見があったとしても石造の遺跡が見つかったら万々歳って所だろう。オカルトが好きだと言っても俺は民間伝承の研究が好きなのであって、科学が発展した今は信じたくても信じられないのが現実さ。本当に何かいる訳じゃあるまい、居たとしたら熊か?だとしたらそこの対策はしっかりしていこうか。もしかしたらただ洞穴に住んでる熊にやられた人間を神の禁忌に触れて帰ってこなくなったとでも思ってたのかもな!」


 私は人の入らざる森や洞穴に入ることに一抹の不安はあったが、どれも"昏き者"への心配よりも野生動物や遭難への現実的な不安が勝っていた。しかし山崎の圧倒的な話に圧倒され、自身にとって初めて実地に足を踏み入れる経験も後押しとなって、好奇心が恐怖を圧倒していた。


 翌日朝食を済ませると早速山へ向かった。山は明るく山道も整備されていたために当初の不安は薄まっていた。道が別れる所へ着き、一方は今までの道がそのまま続くようだったが、もう一方は旧山道とも言うべき草木が生い茂る道だった。まさかここを通るのではないかと不安になったが予想通り山崎はそちらへ歩を進めた。しかし意外なことに山崎はその道に入ってすぐの所で脇の道無き道に分けいって入って行った。大丈夫かと尋ねると山崎曰く旧山道の脇に入ったすぐのところに小さな石碑があるらしく、そこの獣道を行った先にあるそうだ。心配になりながらも進むのだが横道に入ってからというもの、急に雰囲気が変わり、木々や種々も生い茂ていて、まるで我々の歩を阻むようだった。


 山をひとつ越え谷に向かって降りていく際に私は気づけば全く野生動物の声や虫の音が全く聞こえないことに気がついた。小動物や虫の音が聞こえないときは近くに大型の生物がいるなどの話はよく聞くことに加え、この場の不気味な雰囲気も相まってすぐにでも引き返したかった。しかしここまで来てしまったからには見てみたい気持ちもまだ強かったために山崎に引き返すことを訴えることもしなかった。


 不安ながら進んでいき、谷底に着き沢を渡ると少し奥まったところにぽっかりと口をあけた洞穴がそこには佇んでいた。漸く見つけた喜びで2人ははしゃいで近づいて行き、穴の奥を目を凝らして覗いた。さっきまでの不安感を忘れて暫し眺めていたが、ふと自分の後方から穴へ向けて抜ける風が吹いた。


「おい!風が吹いたからこの穴どこかに繋がってるかも知れないぞ!」


 山崎は大層興奮した様子だったが私はこのとき言いようもない恐怖が体中を駆け巡っていた。よく分からないが何故か風が吹いた際に自分は魅了されたのだ。不気味なこの穴を見つけた興奮はあったものの入りたいと思うような穴ではなかった。しかし風が吹いた途端自分はこの中に入りたいと確かに思った。いや、入るのではなく会いたいと思ったほどだ。会いたいって一体中に何がいるのだと自分の理性は鼻で笑うが、本能がこの穴に呼ばれていると警鐘を鳴らしていた。この穴は入っては行けないと強く感じた。周りの環境音も先程から暫く止んだままだ。こういうときは変な常識に頼らず野生の勘に従うことが良いということは私には分かりきっていたはずだった。戻ることを何度提言しても山崎は聞く耳を持たなかった。無理矢理引き連れて戻ることも出来ただろうが、自分の知的好奇心がそうはさせてくれなかった。自分でも理解ができないほどに穴に入ってみたい、見てみたいという気持ちが強かった。結局最初から結末が分かっていたように2人は穴へ探索へ行くことになった。しかしあまりにも恐怖している私を見かねた山崎が自分が先に行くことを提案した。


「お前にこの無線機を渡す。かっこいいだろ?こういうのは形から入るのがいいからな、冒険の雰囲気あるだろ?これが夏休みって感じがするよな!」


 少年の田舎でのひと夏の冒険と思うと幾分か気持ちは楽になった。装備を確認したあと山崎は穴へ入っていき、片瀬は入口で待つこととなった。


「…ア…あ…あー、あー、聞こえるか?こちら山崎感度は良好か?どうぞ。」


「こちら片瀬、感度良好です。どうぞ。」


「了解、穴は意外と深そうだが腰をかがめて歩けるぐらいの高さだし大丈夫そうだ。あとどうぞよりオーバーの方が雰囲気あるかな?いや、やっぱり日本人だしどうぞでいこうか。どうぞ。」


「わかりました、気をつけて行ってください。どうぞ。」


 それから5分程その場の報告をしながら進んでいったが、ことが動いたのはそれから程なくしてだった。山崎が何かを見つけたのだ。


「なにかあるぞ…?石で作られた神棚みたいな…祭壇があるぞ。見たこともない形式だ、やっぱり俺の予想通り古の神の祭壇かもしれないぞ!現在よくみられる神道の祭壇や広く信じられている民族信仰のものとも全然違う!これはすごい発見だ!」


 期待していたものが実際にみつかり2人のテンションはぐんぐんと上がっていた。


「ん?祭壇の裏にスペースがあるぞ。あれ?これ蓋みたいだな、開けられそうだぞ?」


「おい!すごいぞ!祭壇の裏に地下に続く階段がある!これは凄い!!!」


 考えてもなかった発見にもう2人のテンションは最高潮であった。降りてみるという山崎の提案にも私はそのとき異常な熱に浮かされて止めることを考えもしなかった。今考えるとこのときが最後のチャンスだったのだろう。このあとの恐怖は一生涯拭えることも出来ないであろうし、このことを知ってしまった私はこの秘密を墓にまで持っていかねばならない。人類が知るべきではなかったのだ。別に私は何を見たわけでもないのだが。あの存在を感じてしまった、いや考えてしまっただけかもしれない。しかしその衝撃で精神を壊してしまうかもしれないから。


「この階段さっきの祭壇に比べて新しいぞ?いや古いものであるのは確かなんだが朽ちていない…。流石におかしいな、片瀬は取り敢えず追うのはやめてくれ、誘ったのは俺だからお前は無理をするな。」


 流石に興奮が落ち着きただ事ではないと思い付いていくことを提案したのだが、山崎はそんな私を止め1人で探索を続けた。


「凄いな、壁に壁画まで掘られている。文字はなんだろう、全く読めない。世界のどんな既知の言語や古語にも似つかない変なものだ。ただ適当に書かれているのではなくて確かに言語であると思うのだが…なにかこの世界の言語の法則ではなく、この地球外の法則に則っているような気がする…。」


「絵はなんだろう?動物でもないが生き物が描かれている。ずんぐりとした胴体に幾何学的な形の頭が付いていて、足は靄のような粘体のようなよくわからないものだ。一体……?」


「山崎さん!大丈夫ですか?あまり無理をなさらず!ヤバそうですよ!」


「わかってる、ただもう少し下に何か書いているからそれだけは読もうと思う。」


「……ん?なんだこれ?宇宙?地球も書かれてるな…星間にさっきの生き物?……………………おい片瀬、お前はもう来るな。なんなら帰れ。」


「どういうことですか?なにか危ないことが!?山崎さんも早く戻って下さい!」


「今なにか聞こえたんだ。なにかが下から……俺の直感からして逃げることは出来ない。例え逃げ出せたとしてもお前も見つかるかもしれない。だからお前は俺のさっき開けた蓋を閉じてさっさと逃げろ!」


 様子のおかしい山崎の声を聞くとただ事ではないことが否応にもわかった。しかし置いていく訳には行かず私は勇気を出して助けに行くことを決心した。


「山崎さん!助けに行きます!」


「来るな!俺らでどうこう出来る存在じゃないんだ!!お前はいいから蓋を閉めろ!いいから早く!これはなあ……カ」


 突然無線が途切れた。このときには既に地下へ続く階段には辿り着いていたので、恐れる気持ちを押し殺し進もうとしたところ階段の遥か下から人間が発したとは思えない絶叫が響き渡って聞こえてきた。この世のどんな恐怖によっても引き起こすことが出来ないような絶叫であった。その声を聞いた途端私の足は恐怖で動かなくなってしまった。なんとか自分の持つ英雄的思考で逃げたい気持ちを必死に押さえつけ、無線機を震える手で持ち、山崎へと帰ってくるか分からない返事を待った。すると微かに途切れ途切れではあるが山崎の声が聞こえたのだ。


「オイ…あれは……か……なんか………ない………あれは……あれは……うわあああああああああ……逃げろ!蓋を閉めろ!人類のために!」


 この声は確かに聞こえたのだが、それと同時になにか山崎以外の者の音も同時に私は聞こえてしまった。あの音が未だに耳にこびり付いているせいで私には眠れぬ夜が約束されている。また声が聞こえてから、階段の遥か下から微かな言いようがない耐え難い臭気が漂ってきた。


「大丈夫ですか!?大丈夫ですか!山崎さん!!!」


 茫然自失となりながらも半狂乱で答えている内にも臭気がまた漂ってきたような気がした。暫く震えながら声にならない声で山崎の無線機へ声をかけ続けているとあるとき応答が帰ってきた。


「すまない、俺は大丈夫だ。山崎だよ。ちょっと鼠や蝙蝠が沢山出てきてね、ここの雰囲気もあって取り乱してしまったのさ。」


 この答えが帰ってきた刹那、私は大急ぎで蓋を閉め穴の出口へ逃げ出した。そのあと山を1つ越え、旅館まで帰ったはずなのだがどうやって帰ったのか記憶が無い。気がついたら旅館の部屋でぜいぜいと息をついていた所であった。


 私はそれから帰宅後も1週間動くことが出来ず、漸く落ち着いた所で警察署に駆け込み山崎が居なくなったことを伝えた。捜索が始まり私に任意聴取が行われたので、2人で長野へ調査のために山に入ったと伝えた。穴のことは言わず、先に自分が下山して後から山崎の下山を待ったのだが、一向に帰ってこなかったと伝えた。しかし遭難から1週間以上も空いたと言うこともあってそのことを詳しく聞かれるのだが、そのことについては話すことは絶対にできない。なぜなら警察も同じ所へ行っては絶対にいけないし、行かせては行けないからだ。


 確かに私は彼処で声を聞いた。山崎の声だと思うが無線機の音質もあって確信は持てない。しかし確実にあれは山崎ではない。初めて人間の言葉を話すようなたどたどしさで、人間味はなく、何故か私にはその声の印象が

お経や説法、聖書の朗読のような雰囲気を感じたのだ。人間の声帯からではない腹の奥底から出すような振動のある声であった。その声を聞いたときまではまだ一縷の望みにかけていたが、私はあることが原因で蓋を死に物狂いで閉じることになったのである。それは微かに感じた臭気が強まったからであった。

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