第5話 化け物


「は…っ! な、んだよっ…コレ…っ!?」


 声を出し過ぎたと一橋は、肝を冷やしながら咄嗟に口を押える。


 しかし、大きな声を反射的に出した所為せいか、喉の奥から血特有の、鉄の匂いと味が上り。

 呼吸と共に焼ける様なジガジガとした痛みが胸に広がり出していた。


 一橋が痛む胸を押さえ、ひらけたボストンリュックを眺めてると、中の青い目の少女のギョロリと一橋と目を合わせきた。


「~っ!?」ドタッ!


 少女と目が合った途端、深淵に吸い込まれる様な感覚に陥った一橋は、声にならない悲鳴を漏らしながら、床に尻餅を付いて鉄パイプから手を離してしまった。


 ガラァン!ガラン!


“な、何なんだ!?今のは!?”


 耳を刺す様な音を鳴らしながら手の届かない所まで転がっていった鉄パイプに、苦虫を噛み潰した顔の一橋。

 出来るだけ少女から離れる為、傷む胸を抱く様に左腕で庇いながら右脚ともう片手で体を押すのだが。


 少女は。一橋から目を離す事の無く、さながらパンドラの箱から這い出る魔物の様に体を起こしたのだ。


 壁に背を付けた一橋は、恐怖を噛み殺し胸の痛みに浅く呼吸をする。

床に転がるランプの光りが消え、板張りの窓の隙間から差す街灯の灯りが一橋と少女の間に淡い境界線を浮かばせた。


 暗闇の中、僅かに見える少女の目に息を飲み動けずに居た一橋。


 しかし、ここで初めて少女は一橋から目を離し、部屋中を見渡し始めたのだ。


 突然の行動に一瞬、戸惑いそうになった一橋だが“この隙に抜け出そう”と決め、部屋のドアに向かう為に、音を発てない様に気を付けて跳ね始める。


 トッ…トッ…


 何故、少女から逃げようとしてるのか一橋自身、分からなかった。ただ、本能的にこれ以上少女と長居を続けると、正気が保てない気がしてならなかったのだ。


 もちろん、殺す事も出来たが、爆心地から帰って来た一橋にそこまでの体力は残っていなかった。


 少女から目を離さず気付かれない様に、壁に手を付きながら慎重に跳ねてドアに近付く。


 途端───ピカッ!と少女の手が光り出したのだ。


「ひっ…!」


 驚きのあまり小さな悲鳴を上げながら咄嗟に頭を抱え込む一橋。


 …しかし何も起きず、恐る恐る顔を上げて見れば、少女の手には床に転がっていたランプが収まっていたのだ。


“コイツ…!いつの間に拾ってたんだ…!?”


 ランプをジッと眺める少女の様子に、逃げようと再び立ち上がる一橋だったが。


「ノゥとサェアもすっかり焼きが回ったな。決死の決断がコレとは呆れた。終点がこんな猿と一緒とはな…」


 少女は無機質な声で詰まらなさそうに言うと一橋に視線を向け。再度、目を合わせられた一橋は蛇に睨まれた蛙。


 体が強張り、動く事が出来なかった一橋は、決死の抵抗としてゆらりと立ち上がる少女を睨み付け、声を絞り出した。


「テメェ…何者だよ…っ!?」


「見ての通り、ただの人間だ」


 即答で答える少女の、淡々とした態度に一橋は、歯を食い縛った。

 見た目が人間なのは確かだが、一橋には少女がとは、冗談でも思えなかったのだ。


 人の体を真似る得体の知れない怪物。または、人の皮を被った得体の知れない化け物。そう言われた方がずっと信じられた。


“この化け物が…っ!”


「───化け物とは、ヒドい言われ様だな。我が人間である事がそんなに信じられないのか? まぁ所詮は猿風情か、人間を見るのは初めての様だな」


「っ!?」ドタッ!


 少女の言葉から、死神に鎌の刃でゆっくりと背中を撫でられた様な、血の気が引く悪寒と眩暈めまいを感じ、その場に崩れた愕然とする一橋。


 どうやら少女の前では考えてる事すら筒抜けらしく。この胸の痛みすらも少女が仕掛けた何かでは?と、疑わずには居られなかった。


“逃げ…なきゃ… 見るな…見ないでくれ…!”


 すっかり恐怖にとらわれ、歯をガチガチと震わし涙を流す一橋。

 対して少女は「逃げたければ勝手にしろ 我はお前に興味ないし。作戦は失敗だ」と、心底のどうでも良さそうに呟きながら歩き、一橋に背を向ける様に机に座った。


 その一部始終を見ていた過呼吸気味の一橋は「ひぐっ!」と情けない悲鳴を上げると共に、ドアまで急いで這い寄ろうと少し息を、多く吸ったその瞬間。


「───ゴブッ!」


 胸の中で爆弾が爆発した衝撃の様な激痛と共に、一橋の口から何かが込み上げて一瞬にして視界は、真っ赤に染まった。


 肺だと直感で理解した一橋。あまりの痛みに震えるてでマスクを外せばビチャビチャ!と血が床にこぼれ落ちた。


 鮮明な痛みに対して朦朧もうろうとする意識の中。口から零れる血で広がる血溜まりには、蛆虫の様な黒く壊死した小さな肉片が浮かんでいた。


 ベチャン!


 赤い泡を吹き血溜まりに倒れる一橋。誰が見ても死んでる状態だったが、その手はピクピクと少女に助けを乞う様に僅かに動いていた。


 少女はそんな一橋に一切見向きもする事無く、机の上で足を緩く揺らしランプの光りだけを見つめていた。


 しかし、少女はランプを床にコトンと落として、壊れたロボットの様に頭を痙攣けいれんさせながら仰向けに倒れた。


 深淵の目から零れる涙が蟀谷こめかみを伝う時。ランプの灯りが消えた。

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