第38話 ヤンデレ彼女との馴れ初め
あの日の飲み会は、随分と盛り上がっていた。
二つ貸し切った座敷の席。その端の席で紫苑は誰と話すこともなく、ビールに口を付けていた。とはいえ、誰からも話しかけられなかったと言うわけでもなく……。
『先輩、彼氏とかいるんすかー?』
酔っ払った男子が時より揶揄うように声を掛けてきた。その度に紫苑は。
『いなかったら何かしら? 貴方如きに心配されることではないでしょう? 消えてもらえるかしら、私の前から』
まるで切れたナイフのように、ぴしりと言うなり皆、萎れるかのように離れていく。
そんな態度のせいか、紫苑の両隣には誰も座ろうとせず、ぽっかりと空いていた。
紫苑としては、悪気があったわけではない。けれど、どうしても周りに柔らかい言葉や緩い態度をすることが苦手だった。
「……はあ」
このままではいけない。頭では分かっている。けれど、自分に向けられる男子のギラギラとした目や女子の嫉妬深い視線は嫌いだったし、他にどんな態度を取れば良いのかも分からなかった。
そんな時。
「どうですか? 楽しめてます?」
声を掛けてきたのは、少し明るめの髪色をした人の良さそうな青年だった。
笑顔が柔らかく、どこかまだ幼さが残っているような。
紫苑はじっと睨む。
「貴方は?」
「俺は、卯花です。二回生 卯花 礼。多分、先輩ですよね?」
「ええ。私は三回生。で、何か用?」
「大したことじゃないんですけどね。なんか退屈そうに見えたので、声を掛けてみようかと」
礼はそのままビールの入ったジョッキを手に、紫苑の隣に腰を下ろす。
「ちょっと。私、許可してないわよ」
「まあまあ。そんなにかっかしなくても、いいじゃないですか。俺も友達いないんで、一緒に飲みましょ?」
嘘だと直感した。わざわざ、嘘をついてまで話に来ているのだと。
「貴方と? 私が? 笑わせないで。それなら一人で飲んだ方が建設的だわ」
「あはは、手厳しいな。でも、そういう気持ち分かっちゃうんですよ。俺」
「……分かる? 貴方が?」
疑った。と言うより、信じ難かったと言うべきだろう。何せ、紫苑にしてみれば、卯花礼という青年は何処にでもいるような、誰かと大差ない……それこそそこいらの男と何も変わらないと思っていたから。
「一人でいるのが好き。って、強がって、誰とも絡まないようにして、じりじりと何かを擦り減らすように生きてる。違います?」
どきんと心臓が変な音を立てた。図星を突かれたから、そう思ったのかもしれない。紫苑がそう考えるには、数秒もいらなかった。
「……貴方は、何者?」
珍しく興味が湧いた。彼が一体何者なのか、と。
「言ったでしょ? 俺は卯花礼。馬鹿な大学生です」
礼は再び、名乗りを上げ、人懐っこく笑った。
どうにも、目が離せなかった。何故かは分からなかった。けれど、その目が、その言葉の一つ一つには、人を惹きつける何かがあった。
「貴方は……」
「ん? なんですか?」
「貴方は、他の人とは違うのね」
「そりゃそうですよ。俺は俺以外の何者にもなれないし、何者でもないです。でも、先輩だって、そうですよ? 先輩はきっと優しい人です。俺、ほんとどうしようもないバカだけど、この一年で多少人を見る目が育ったと思ってるんで」
「……ないわよ。私なんかを優しいなんて言うのは」
「ありゃ? 結構いいこと言ったと思うんですけどね。ははっ、刺さんなかったかぁ。残念」
顔が、多分真っ赤になっていたと思う。それくらいに正直言えば、礼の言葉は心に効いた。
「……貴方、もう飲み物が無いわよ? 何か飲む? 一緒に頼んであげる」
「あ、なら先輩と同じものを」
「なら、ハイボールね」
店員を呼び、注文を伝える。
「それで、先輩はなんで浮いてるんですか?」
「貴方、調子に乗ってないかしら?」
「そりゃまあ。美人な先輩と知り合えたんですもん。男なら誰だって、浮かれちゃいますよ」
「……そう」
不思議とその目に他の男のようなギラついた感情は見えなかった。
柔らかく何処までも優しい光。
「お待たせしましたー。ハイボール二つになりまーす」
「どうも」
「ありがとうございますー」
二人は店員から受け取る。
「先輩、乾杯しましょう?」
「ええ、まあ。それくらいなら」
ジョッキを打ち鳴らすと、涼しげな音が鳴る。
「いやぁ、美人と飲むお酒は美味しいなぁ……なんて、すみません。ちょっと酔ってきたみたいです」
「気を付けなさい。ほら、お水も飲んで」
「ありがとうございます。へへ、すみません。迷惑掛けて」
「ほんと……迷惑ね」
口ではそう言ったけれど、礼と話すのはとても楽しかった。話していて分かったことだが、礼は人の感情を読み取ることに長けているのだ。
こちらが少しでも嫌だと感じたならすぐに話題を変えてくれるし、欲しい言葉を一番欲しいタイミングで与えてくれる。だからこそこんなにも話しやすくて……。
「っ……」
何を考えているのだと、紫苑は我に帰った。
恋愛なんて、自分には向いていないから。らしくもなく、心が弾めばどうしても、母と父のことを考えてしまう。
「……先輩。良ければなんですけど、二人でこの飲み会抜け出しませんか?」
「え?」
「俺、今から言うことをサークルの誰にも聞かれたくないんです。だから……」
下心がないことなんて、見れば分かった。その顔は、自分と一緒で何かを抱えているように見えたから。
「……うん。いい、よ」
きっと顔が赤いのも、いつもよりも心臓が昂っているのも、全てはお酒のせいだ。だから、今日くらいは。
「良かった。なら、いい場所を知っているんです。先輩に似合う綺麗で落ち着いた店を」
誰にもバレないように、勘付かれないように。二人は、件の店へと向かった。
そこは、駅の近くにあるビルの三階。知る人ぞ知ると言った雰囲気を醸す隠れ家的なバーだった。
こういう場所に来たのは、初めてで紫苑が少し困っていると、礼はまたも柔らかく笑って、手を引いてくれた。
「……話って?」
非現実的な恥ずかしさのあまり、紫苑は注文をしてすぐに隣に座る礼へと尋ねた。
すると、礼は少し照れたように頭を掻きながら尋ねてきた。
「あー、そのきっと先輩は昔何かあったんですよね?」
「……ええ。少しね」
その内容までを言いたいとは思わなかったが、肯定はする。
「ですよね。先輩は……なんだか、ちょっと前の俺に似ているような気がしたんです」
貴方にも何かあったの?
そう聞きたかったけれど、勇気が出なかった。もしも、自分がそこに踏み込まれたなら少なくとも拒絶するだろうから。
「だから、なんですけど。先輩」
「何?」
「──なら、一緒にいませんか? 俺、付き合うとかそういうのは苦手ですけど、いつかお互いが、本当に誰かを好きになる瞬間が来るまでは、どんな関係でも一緒に」
ああ。これは。
その照れ臭そうに笑った顔が、それでいて少し怖がっているような顔が。
途方もなく、好きだった。好きになってしまった。
「いいの? 私、結構重いわよ?」
「そんなの関係ないです。俺は、先輩と一緒にいたいと思えたんですから。……あはは、今日会ったばっかの俺が言うのは、少しきも……いか」
礼はそう言って、バタンと机に突っ伏した。寝息が上がり、呼吸も落ち着き始める。
「……もう。勝手な人ね」
その横顔を見た時、触れてみた時。
それこそが、西園寺紫苑が恋に落ちた瞬間だった。
時間と共に大きくなったわけでも、何か劇的なことがあったわけでもない。ただ、本当にただ好きになった。一緒に居たいと思えたから。
「ほら、行きましょう? 家は……少し遠いわね。一旦今日は、ホテルに泊まりましょうか」
「うー、それなら俺を縛ってて下さい。何かしてからじゃ……取り返しが付きません……から」
そして、あの日へと。
なんでもないあの日へと繋がったのだ。
そして今へと。
これから先の未来へと続いていく。
そんな予感が、紫苑にはあった。
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