夏休み編

第36話  サウナ、入らずにはいられない!(出れない)


「ほえー、立派なもんだなぁ」


「ああ。ご立派だ」


 今日を持って前期が終わった。明日からは、待ちに待った二か月弱の夏休み。ということで、学校帰りの夕方、俺と慎二はとある場所に訪れていた。


 それは、最近出来たという大型のスーパー銭湯。その名も、『うわきものの湯』。

 外観は和風。新しいだけあって、煌びやかな御殿のようだ。例えるなら、竜宮城のような。


「……俺、ここに入ったら殺されたりしないかな」


「ん? なぜだ?」


「いやほら、ここに入ったら浮気者認定されるんだったら……な?」


「ああ。そういうことか。安心しろ。お前は既に、二股をかけているクズ野郎だから問題ない」


「……確かにな! よし、じゃあ問題ないか!」


 俺が言って、暖簾をくぐろうとした時だった。

 ズボンのポケットに入れていたスマホがぶーぶーと震え始めた。

 おそるおそる出てみると。


『あ、卯花―』


「ぶ、部長……どうか、しました?」


『いや、いま紫音とお泊り会をしているんだが、お前も来るか?』


「い、いえ。俺は大丈夫です」


 今、とてつもなく魅力的なワードが聞こえた気がしたが……。


「俺には俺の……俺にしか出来ないことがありますから」


 と言うのも今日は朝起きた時から、サウナに入りたくて、うずうずしているのだ。

 まるで、ずっと楽しみにしていたゲームの発売日当日のように。


 それはなぜかって? 知るか、そんなん俺が聞きたいわ。


『……そうか。分かった。なら、今日はあたしら二人でしっぽり過ごすよ』


 しっぽり? え? 下ネタだよな? 気になる。二人がこの後どんな夜を過ごすか。気になってたまらない。


 だが、俺の意志は今日に限り無敵だった。


「はい、またなんかあれば連絡して下さい」


 よし、耐えた。


『……なあ、卯花』


「何です?」


 声の調子が先程とは随分と違った。何か、不満そうな……。


『……い、いや、やっぱいい。また、帰ってきてから言う』


 電話は切れた。何か言いたげだったけれど、急いではいないようだった。


「ん? 部長、どうかしたのかな」


「おい、電話は済んだか? そろそろ行くぞ」


 まるで、熟練の戦士が如く顔をした慎二。

 ふっ、どうやら俺は強者を誘ってしまったらしい。


「お手並み拝見といこう。新たな銭湯の、な」


………

……


「なかなかどうして、レベル温度が高いな」


「ああ。先程から一周回って悪寒が止まらん」


 俺と慎二は貸切状態のサウナの中、腕を組み、吟味するように熱に耐える。


 中心に置かれた焼き石は、強烈な熱線を放ち、俺たちの肌をひりつかせる。空気は喉が焼けるように、刺激をまとっていた。


 ある種、緊張感にも似た感覚。


 いわば、ズボンのチャックを勢いよく閉めようとした時に皮を巻き込みそうになった時のようなゾクゾク感。


「晶のやつも来れたら良かったのにな」


 ふぅと息を吐き、俺は隣に座る慎二に声を掛けてみる。

 サウナの中にあるテレビに映る番組はだいたい面白くないからだ。


 というか、今日はこれまでで一番ひどい。切り立った山々の間に流れる川をボートが進む映像など一体誰得なんだ。ナイスボート。


「そうだな。確か、あいつは今日用事と言っていたか」


「……ああ。彼女でも出来たんだろ」


 晶がこれなかった理由には見当がついていたが、口外することは出来ないからとりあえず適当に言っておく。


「ふん。ありえんな。奴に彼女が出来るなど、バナナの木から金の玉が生えてくるようなものだ」


「夢のある話だなぁ」


 本当にそれがありえるならば、俺は将来、バナナ農家を目指すだろう。


「そろそろ、五分か?」


 そろそろ限界だ。時計が一周したのを見送って、俺は立ち上がる。


「ああ。五分だな」


「慎二は出ないのか?」


「ああ、まだだ。知っているか? 肉に火を通せば固くなるんだ。つまりこのまま、耐え続ければ、俺の筋肉は鋼鉄すらも超越するはず」


 何言ってんだこいつ。もう限界だろ。頭の方が。


「んじゃ、お先……」


 俺は慎二の前を通って、ドアへと向かう。そして、なんとなく少しドッキリを仕掛けることにした。

 

「なっ!!??」


 ドアノブをかちゃかちゃと回せない振りをする。


「どうした、礼。そんなに慌てて」


「ドアが、開かん!」


「なにぃぃぃ!!!」


 先程まで余裕そうだったのに、急に慎二の顔が真っ青になる。随分と慌てふためいているようだ。よし、ノルマ達成。


「……なーんつってな。んじゃ、俺は上がってコーヒー牛乳でも飲んどくわー」


 いやぁ、いいドッキリを思いついてしまったものだ。これは、今度のサークル合宿で使うしかあるまい。


「ちっ! タチの悪い冗談だ!」


「ははっ、そりゃお前いくら何でもあり得ない…………ん?」


 がちゃ、がちゃ。回らない。何か引っ掛かているのか?


「あ、あれ?」


 再度回してみる。しかして、開かず。


「おい礼。二度目は流石にくどいぞ?」


「……」


「お、おい? 礼? 冗談なんだよな?」


 慎二は引き攣った笑みを浮かべる。


 あー、うん。完全に理解したわ。これがフラグというやつか。


「…………えー、落ち着いて聞いてくれ」


「ま、まさか」


「はい。本気で……開きません」


 室温は八十度。喉はカラカラ。眼球ゴロゴロ。

 うん。この状況は多分だいぶヤバい。


「こ、こういう時こそ冷静にならなきゃな?」


「そ、そうだな。深呼吸でも」


 俺たちは大きく息を吸う。

 そして。


「「誰かぁぁ!!!! 助けてくれぇ!!!!」」


 俺と慎二は飲み込んだ空気を一気に放ち、叫んだ。

 冷静に考える事なんてできるか! 死んじまうよ!


……返事はない、ただの密室のようだ。


「はあ、はあ。よし、落ち着こう」


「そ、そうだな。落ち着いて……筋トレでもするか」


「馬鹿野郎! さらに汗をかいたら死ぬぞ!」


 やばい。本当に死ぬかもしれない。まだ童貞なのに。


「晶! 緊急事態だ! ドアをぶち抜くぞ!」


「おう!」


 俺たちはドアノブを握り、精一杯の力で押す。


「「うぉぉぉ!!」」


 力を振り絞りながら、俺はふと思った。

 いや、走馬灯だったのかもしれない。


 ラブコメならこう言った場合、美少女と共に囚われるのが、お決まりというやつではないだろうか? 


 紅潮する頬、滴る汗、そして、潤んだ瞳。視聴者にとってはサービスシーン。

 あの時ばかりは体育倉庫が妙にえっちな場所に見えるんだよなぁ。


 だが、現実はというと。


「押せ! 押すんだ!」


 隣には、むさい男。


 火傷でもしたのかと言うほどに赤い頬。 

 もはや滴る程度では済まない滝のような汗。

 そして、必死にラスボス相手に足掻く努力系主人公のように燃える瞳。


 ……どこで、俺は間違えたのだ。


 やがて、力が入らなくなる。意識も薄弱としてきて、俺は壁に背を預けた。


「……慎二。俺はもう、ダメみたいだ」


「礼!? 寝るな! 寝たら死ぬぞ!」


 慎二は自分も辛いだろうに、俺の心配ばかりが先立っていた。


「最後に、一つだけ。ずっと言いたかったことが、ある」


「……くっ。最後だなんて言うな。お前はまだ死なない。外に出て、コーヒー牛乳を飲むんだろぉ!?」


「黙って……聞いて、くれ。慎二」


「っ……ああ。分かった」


 呼吸がしづらい。俺はもう、助からないのだろう。

 だから。


「俺、実はな。お前のこと──陰で『筋肉坊主』って呼んでたんだ」


 慎二は俺の言葉を噛み締めるように受け取って、口を開く。


「礼。俺も言うよ。実は、俺も陰でお前のこと──『むっつりドM野郎』って呼んでた」


 まじか、こいつ。ライン超えたわ。とはいえ、最後くらいは許してやるか。


「ふっ。やっぱ似た者同士だな。俺たちは」


「……そうだな」


「また、来世でも親友に……がくっ」


「おい、礼? 礼ぃぃ!!!」


 紛れもなく、それは目の前で友を失った叫びだった。

 俺は、どうやら良い友を……。


「──あの、大丈夫すか?」


「「へ?」」


 背後から知らない声がした。俺はハッとして、目を向ける。


 サウナ室に差し込んだ一筋の光、向こう側で開け放たれた扉と戸惑った顔の男性客。


 俺たちの声は、確かに誰かしらに届いて……。


「あっ」


 そこで、俺は気づいてしまったのだ。



 ──俺たちが必死に開かんと押していたドアは。

 ──俺たちが命を燃やし立ち向かったその高い壁は。


 ボイラー室のドアだったことに。

 どうやら出口は、向こうだったらしい。

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