第35話 うたた寝探偵と告白と。
事は買い出し。二時間ほど前に遡る。
晶は洋服を買いに行く前、とある場所に向かっていた。
それは、家電量販店。
自動ドアを潜ると、エアコンの風で途端に背筋に滲んでいた汗が冷える。
同時に、女性の店員が晶へと話しかけてくる。
「いらっしゃいませ。本日はどういったお品物をお探しですか?」
「出来るだけ小さなワイヤレスピンマイクってありますか? できれば、小さな袋に入れれるくらいの」
「えーと。ありますが……こちら、とかですかね?」
女性店員は、引き攣った顔をして、棚の一番下を指差した。
確かに良いサイズ。これならば、入りそうだ。
「い、一応お聞きしたいんですけど、どういった用途でお使いになられるんですか?」
どうやら盗聴を疑っているらしかった。
「あー、映画を撮るんです。だからコスチュームにつけても分かりずらいくらいのが良くて」
「あ、あー、なるほど」
どうやら誤魔化せたようだ。まあ、本当の用途は盗聴なのだが。
「ありがとうございました。また、お越しください」
「どうも」
店を出ると、晶は服を買いに行く。マネキンが着ていた適当な服を一式揃える。
その後、大学へと向かう歩道の上、スマホを手に取った。
「もしもし、礼か?」
相手は、礼。電話を取るかは五分五分だと思っていたが、3コールもしないうちに繋がる。
『ん、なんだ? 晶』
「分かったぞ、教授の好きなもの」
本当は知らないが、それは今重要ではない。
『おお!』
「どうやら、焼き菓子が好きみたいだ。しかも、都合よく今日は学校にいるらしい」
『なるほど。なら、今日にでも渡しに行くか』
「ん、あー。それなら四時過ぎくらいに行ったほうがいい。試験関係の仕事中に研究室は入れないからな」
『おっけー、分かった。わざわざありがとな』
「いや、こっちこそ……すまんな」
『は? 何が?』
返答はせず、電話を切る。わざわざ説明をするつもりもなかった。
これで、保険は出来た。何かあれば、礼が歌方を助けるだろう。加えて、後はピンマイクを入れたお守りを持たせ、近くで様子を伺っていれば、最悪のケースにはならないはずだ。
「さ、渡しに……いや、その前に。もう一つ仕掛けておくか」
………
……
「ちっ。鍵を閉め忘れたか」
刈谷は鋭く、礼を睨みつけると歌方の手を放す。
歌方は素早く離れると、礼の後ろへと隠れる。
「確か……卯花君だったかな? 珍しい苗字だから覚えているよ。確か、私の講義を取っていたね? その包みを見るに、単位のために直談判しにきたみたいだね」
刈谷はにやりと笑った。
「そこでどうだろう。今ここで見たことを誰にも言わないと約束してくれたなら、今期の単位。そして、君が卒業するまで、他の教授にも口を聞いてやってもいい。就職だって支援しよう」
甘い言葉だ。
「卯花っ!」
「分かってます。……というか、それで俺が引くと思います? こんなクソ野郎、たとえ五千兆円貰っても許せませんよ」
怒りの滲む言葉とは対照的にその横顔は、まるで氷のように冷たかった。見ているこちらまで、凍えてしまいそうなほどに。
「だったらどうする? 二人揃って告発するかね? そんなことをすれば……君ならどうなるかは分かるだろう?」
刈谷の目が歌方へと向いた。その目は問いかけるようでいて、脅すようでもあった。
「歌方さん。ちょっと部屋の外にいてもらえます? 俺、あんまりこういうとこ、人に見せたくないもんで」
「なんだ? 暴力でも振るうつもりか? それはいけないな。そうすれば君は退学処分だ」
刈谷は、戸棚からペーパーナイフを取り出す。
「そんなこと、知らねぇよ。あんたみたいな自分だけは無事で済むって考えるような奴が一番ムカつくんだ。……歌方さん」
「う、うん。後はお願い」
ここは任せよう。というより、そうしなければいけない。そう歌方が直感するほどに今の卯花礼は頼もしかった。
素直に歌方は研究室を出る。
「……は、はぁ」
廊下に出ると途端に、足から力が抜ける。
立っていられず、歌方はへなへなと座り込む。
そこに、見覚えのある一人の青年が歩いてきた。金色の髪をしたどこか軽薄そうな。
「お疲れ様です。歌方さん」
「い、伊坂」
「間に合って良かったです。ビビってたでしょ? だから言ったんですよ、あんまり男の……っ!?」
言葉の途中。歌方はかろうじて立ち上がると同時に、伊坂の胸に飛び込んで、シャツをギュッと握り込む。
「こ、怖かったぁぁぁ」
そのまま、歌方は伊坂に抱きついたまま、目尻に溜まった涙を肩の布に押しつけた。
「はぁ、ほんと感謝してやってくださいね。礼のやつに」
随分と動揺しているようで、歌方はしばらく押し黙ったまま、服を掴んだ手だけに力を込めていた。
「さて、そろそろですかね」
五分ほどが経って、研究室のドアが開いた。
「……ふぅ。ん? おっ、晶。お前も来たのか?」
礼が出てくる。
無傷。どうやら想像通りの結果に終わったようだ。
「まあな、なんだかんだ言って単位は欲しいしな。俺も直談判しようと思ってな。……教授は?」
「あー、あの変態野郎なら、この通り」
ずっと礼は部屋から刈谷を引き摺り出す。
顔はボコボコ。着ていたはずの服はもはやビリビリに破け、服としての役割を果たせていない。熊にでも襲われたのかという状態だ。
流石は──卯花礼だ。
「晶。これはお前の差し金だろ?」
「……さあて、何のことやら」
「惚けやがって……ま、俺は馬鹿だから詳しいことは分からんけど。というか、こいつをどこに差し出せばいいと思う?」
「知らね、教務課とか?」
「うーん。とりま行ってみるか」
「てことで、歌方さん。そろそろ大丈夫ですか?」
未だ子猫の如く、しがみ付く泡沫に声をかけてみる。
「ま、待って。腰が抜けて……歩けない」
「そうですか、なら……」
晶は右腕を歌方の足に、左手を肩に回す。力を入れて、持ち上げる。
「ちょ!?」
「よっと」
歌方の体は随分と軽い。
「お、おい! 伊坂! 私は許可してないんだけど!? お、お、お姫様抱っこなんて!」
ああ。そういえば、この体勢はそんな呼び名だったなぁ。なんて考えながら、晶は言葉とは裏腹に借りてきた猫のように大人しいじっと歌方の顔を見る。
「な、なに?」
「なら、歩きます? ただでさえ慣れないヒールで足痛いでしょうに」
「むぅ。……ずるい、そんなの言われたら断れない」
晶は歌方を抱え、礼はパンツ一丁の刈谷を引きずり、教務課へと向かった。
「すみません。ちょっといいですか?」
「あ、はい。どうか……ひぇ!?」
就活関連のポスターの貼られた教務課カウンター付近に行くなり、複数人の副手が取り乱し、ついには十人以上の職員に囲まれる騒ぎとなった。
一時は、礼の振るったであろう暴力行為を非難する教員が多かったのだが、晶の仕掛けていた録音機、刈谷のスマホデータや様々な証拠によって潮目は変わる。
そして、最後の一押しとなったのは、歌方の言い放った言葉。
たった二言。
『──卯花を処分するのは貴方達の勝手だが、そもそもこの場に目撃者がいない今、彼が刈谷に手を出したという決定的証拠はないだろう?』
『──それに、刈谷はここまでのことをしでかしていたんだ。
そんな不祥事を学校側が隠さなかったとは考えずらい。
現に、わたしたちが暴かなければ、これからも続いていただろうしね。にも関わらず、君たちが卯花を処分すると言うのなら、こちらにも考えがある』
それを言うなり、今日あったこと、並びに刈谷のこれまでの行いを他の生徒並びに外部の者に口外しないことを条件に、卯花の一件は水に流すと言うことで決着はついた。
無論、刈谷の一件は学校側で裁くとのこと。
流石は名探偵といったお手前。たった二言で全員を黙らせ、逆転無罪を勝ち取ってしまうとは恐れ入った。実は弁護士の方が向いているのではなかろうか。
とはいえ、その二言を晶や礼が言ったところで、信用は得られなかった。名探偵として名高い 歌方 彼方だったからこそ、この結果に落ち着いたのだろうが。
「で、いつになったら降りるんですか?」
話し合いが終わり、礼と別れ、刈谷が教員らに連れて行かれても歌方は未だ晶の腕の中にいた。なんやかんやと既に風俗研の部室前に着く。
「最初は恥ずかしかったけど、慣れてくるとこれは楽だね。うん、気に入ったかもしれない」
腰が抜けていないのなら、もう抱えておく必要はないな。
「……はーい、降ろします」
足を持つ手の力を緩める。歌方の足は地面へと引っ張られるように落ちていく。
「う、うわぁ!」
大袈裟な言葉の割に綺麗に着地した歌方。それを見送ってから、晶は背を翻す。
「どこに行く気?」
「帰るんですよ、今日はなんか疲れたので」
「ふっ、嘘だね。どこかに行くつもりだ。ならば、仕方がない。私も付き合ってあげよう」
声が少し震えていた。多分、まだ一人になりたくないのだろう。そうならそうと、素直に言えばいいのに。
「……まあ、いいですけど。おすすめはしないですよ」
晶がの足が緩やかに向かったのは、非常階段。いつものように降るのではなく、登る。すぐに着いたのは、屋上だ。
「タバコ、吸いますけど?」
「構わないよ」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
紙の箱を取り出して、その中の一本を咥える。去年の冬に買ったものだが、未だに数本残っている。
火をつけて、息を吸う。数秒溜めてから吐き出す。
時間は既に、五時半。夕日焼けた空は、引き延ばした絵の具のように滲み、現実感を失わせる。晶はこの時間が好きだった。
「質問いいかな?」
「この一本を吸い終わるまでなら付き合います」
「なら、早速。君は何故そこまで卯花を気に入っているんだ?」
「一言で言うなら、俺は初めてあいつに負けたからです」
「ふっ、ふふ」
歌方は堪えきれないように笑みを噛み殺す。
「何が面白いんですか?」
「いや何? 私にとってまだ底知れない君が、急に少年漫画のようなことを言い出したからだよ」
「……答えるんじゃなかった」
「まあ、そう言わないでよ。あ、そうだ。一つ聞きたいんだけど、もし、卯花が間に合わなかった場合、君はどうするつもりだったんだ? どうせ、何か考えがあったんだろう?」
「……さあ。色々とパターンは用意していましたけど、過ぎた可能性の話をするのは、建設的じゃないでしょ」
「なるほど、君自ら助けてくれるつもりだったと」
「言ってないですよ、そんなこと」
まあ、そのルートもあったのは事実だが。
「ふーん、へぇー。照れているのかなぁー?」
あー、面倒くさい。晶は聞こえるようにため息を吐き捨てて、再び空へと目をやる。タバコは燃え、既にそのほとんどが灰に代わり、静かに風に吹かれて消えてゆく。
「──もう、終わるかな。よし、じゃあ……最後の質問だ。伊坂」
大きく深呼吸をして、歌方は口を開いた。
言葉が生み出されるその直前、意趣返しとばかりに晶が言う。
「ノーサンキュー。断ります」
「え!? な、なんで!?」
「どうせ、また助手になれ。とか言うわけでしょ? なら、ノーサンキュー。嫌ですから……ん、何ですか? その顔?」
歌方は拗ねた子どものように頬を膨らませ、唇をアヒルのように突き出していた。
「違うし。黙って聞いてよ、伊坂」
「……じゃ、何ですか?」
じっとりと視線を向けると、歌方は人差し指を突き合わせる。
「ふっ、ふぅー。ちょ、ちょっと待ってよ。心の準備をするから」
「ご勝手にどうぞ、ちなみにタバコは後一口分しか残ってませんから」
「あーもう! 分かった! 分かったよ!」
歌方は、伊坂の左手を取ると、大きく口を開いた。
そして。
「──私の、恋人になって、欲しい」
同時に、タバコの火は力尽き、ぼとりと灰を落とす。
「はぁ? 惚れる相手間違えてるでしょ」
よもや、こんな展開になるなんて。
人生とは意外にわからないものなのかも知れない。
晶は、そう思うのだった。
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