第33話  うたた寝探偵と友人A 3


『鳶が鷹を産む。無論、そんな現象をこの目で見たことはない。けれど、初めてその言葉を聞いた時から、その意味は教えられるまでもなくよく分かった。何故なら、私と言う人間は鷹であり、両親は──鳶だったからだ』



 アラームが鳴った。ちょうど左、耳の近くで。


「……ん、眩しいな」


 首が痛い。腰も。妙に凝り固まっている。

 頭がぼやけている。状況もいまいち飲み込めない。


「くかぁー、すぴー」


「……」


 あ、なんとなく分かってきた。

 リビングの机の上に突っ伏すように眠っていたらしい。そして、正面には晶と同じような態勢で気持ちよさそうに寝息を立てる歌方の姿があった。

 ある種、朝チュンといっても過言ではないが、それよりも机の上に散らばったノケモンカードの方が気になってしまう。


「……まるで、死のデュエルに負けた決闘者だな」


 少し面白い。だが、もう六時半。生憎と日課の時間だ。


「歌方さーん。部屋に帰りましょ?」


「ぐかぁー」


 今のは了承と見てもいいのだろうか。分かりはしないが……とりあえず、ベッドで寝かせた方が良いに決まっている。

 一旦、晶は歌方を自室のベッドに寝かせるついでに、着替えを引っ張り出した。

 

 汗をよく吸うウェアに着替えて、スマホは専用のバンドをつけて二の腕につける。

 晶は戸締りをしてから、家を出た。


 朝の空気は夏の河辺のように涼しくて、街が目覚める瞬間の入り乱れた雑音が心地よかった。

 走ることは、嫌いではない。というより、自分という人間自体が恐らく、何かに則して生きることが好きだったのだ。

 そうしているうちは、自分が普通になれた気がするから。


「……ん」


 そうして、三十分ほど走った辺りで、スマホが揺れた。

 連絡先なぞ数人しか入っていない。そして、こんな朝っぱらから電話をかけてくるようなやつはいなかったはずだ。


「もしも……」


『伊坂!? ちょっと聞きたいんだけど!!』


 耳がキーンとするような高い声。歌方だ。

確か電話番号は教えていなかったと思うのだが。


「なんすか?」


『私っ! まだ処女だよね!?』


「はい?」


 寝ぼけているのか? それ以外考えられない発言だ。


『だ、だって! 起きたら知らないベッドの上なんだもん! してないよね!? ゴールインしてないよね!?』


「あー、そういう」


 なるほど。どうやらベッドに移動させたことで何やら誤解させたらしい。


「昨日の時点で、歌方さんが処女なら処女ですよ。俺、ロリっ子に手を出すような変態じゃないので」


『誰がロリっ子だ!』


「言わなくても分かりますよね? ロリっ子」


『だぁー、もう! いい! 今どこ!』


「ランニング中です。今から帰ります」


 まだいつも走る距離に達してはいないが、まあそれどころではなさそうだ。


………

……


 玄関のドアを開けて、リビングに入ると、歌方は机の上にノケモンカードを並べてうんうんと唸っていた。


「あ、伊坂。おかえりー」


「あれ、なんか機嫌戻りました?」


「戻ったというか、冷静に推理したまでだよ。ワトソン君」


「……助手になった覚えはないっす」


 少し汗が冷え始めて、気持ち悪かった。さっさとシャワーに入ってしまおう。

 伊坂は冷蔵庫からペットボトルの水をコップに注ぎ、一気に飲み干す。


「時に、伊坂」


 妙に真剣な声音だった。


「なんすか?」


「君は何が目的なんだ?」


 空気がきゅっと引き締まるような感じがした。歌方の言葉には、犯罪者にでも問いかける時のような鋭さがあった。


「目的、すか。別に。そんなものはないっすよ。ただ徒然に生きていたいだけっす」


「……昨日の君をずっと見ていて、一つ分かったことがある」


「ほー。なんです? 分かったことって」


 次は何を言い当てられるのか。少し楽しみだ。


「それは……」


 歌方はあからさまに言い淀む。普段ビシビシと物事を語るからこそ、その様子はやけに目立った。


「いいですよ? 何を言ってくれても。ま、間違ってたら否定しますけど」


「……なら、言わせてもらうよ。伊坂。君は幼少期の頃か、それより少し昔に何か大きなトラウマがあるね? そして、君はそれを未だに引きずっていて、そのせいかあまり、人に興味を抱けない。違うかな?」


「ははっ! 驚いた!」


 本当に凄い。流石は名探偵。たった一日の中でこの人は何を分析したらそんなことが分かるのだろうか。


「図星のようだね。うん、道理で妙に私が興味をそそられる訳だ」


「……それは、どういう意味ですかね?」


「似てるんだ、君と私は。奇妙なくらいね」


「へぇ。俺と歌方さんが? それは面白い考察ですね」


「だからこそ、君に聞きたい」


 すっと歌方は立ち上がり、目の前まで歩いてくる。


「君には、他人がどう見えている? 私には──鳶に見える。肉親も、友人も、全てが全て」


「……そうですか」


「君も、そうなんじゃないのか? 私は鳶だが……君には、何に見える?」


「……さあ。言ってる意味が分かりませんね」


「とぼけないでほしいんだ。私は……」


 タイミング良く、または悪くスマホの着信音が鳴った。晶のではなく、歌方の端末だ。


「出ないんですか? 待たせるのは、悪いでしょ?」


「……出るとも」


 歌方は不機嫌を整った顔で表現してから、スマホを取った。


「はい。もしもし二階堂? ……なるほど。依頼か。丁度いいでは、11時に部室に来てくれ。では、また後で。伊坂。君も来るといい」


「は? 何故ですか」


「私の助手になるのなら、それ相応の経験を積んでもらいたいからね」


「なるって一言も言ってないでしょうに」


………

……


 完全休講でも、学校は空いている。教授たちは基本的に試験関係の仕事に追いやられ、顔を見せないが、学生達は意外といる。


「さて、そろそろ来客だ。準備はいいかな? 伊坂」


「いやいや、準備はいいかな? じゃねぇですよ。マジで」


 汚い。床には埃が溜まっている。机の上には、殻になったお菓子の袋やカードパックの包装紙。晶はため息混じりに箒で掃いていた。

 普段掃除しているのだろうか? 何度か来た時は、それなりに整っていたのだが。


「……すみません。歌方さんはいますか?」


 ノックと共にドアから声がした。


「いるとも。入りたまえ」


「失礼します」


 ドアが開き、入ってきたのは、茶髪を後ろ頭にまとめた女性だった。

 その視線は興味深そうに部屋の中をぐるりと回る。その後で、晶へと向いた。


「ど、どうも。この方は?」


「ああ。それは私の助手さ。とりあえず、掛けたまえ。飲み物は紅茶でいいかな?」


「はい」


「分かった。……伊坂」


「入れろってことですか、そうですか」


………

……


 二杯の紅茶から湯気が上がる中、依頼人はぽつりぽつりと話し始めた。

 歌方と依頼人は椅子に座り、晶は歌方の一歩後ろで控えている。


「親友が、退学するかもしれないんです」


「ほう? それはいけないね。何をしたのかな?」


「いえ、何も……あの子は何もしてないんです。けど」


 そう言って、少女は何か言いづらそうに視線を下に向ける。


「──刈谷准教授って分かりますか?」


「ああ、知っているよ」


「その子、付き合っていたんです。准教授と。それで……事情までは知らないんですけど、今日の朝になって、退学するって言い出してて」


「……なるほど」


 話が読めた。きっとそれは歌方も同様だ。

 恐らく、その友人という人は、先日見た女である可能性が高い。

 

「それで、どうにかしてもらえませんか!? あの子が自分の意志でそんなこと言うなんて思えないんです!」


「分かった。君の言葉を信じよう」


「ほんとですかっ!?」


「勿論だとも。この名探偵の名にかけて、この依頼、調べてみよう」


 その後、女性は何度も深々と頭を下げてから、部室から出ていった。

 晶は殻になったカップを片付ける。

 すると、その最中、歌方がじっと見つめてきた。


「君はどう思った?」


「……いやぁ、見当も付きませんね。何があったんだろうなー」


「嘘が下手だね。刈谷のスマホを覗いた君なら、依頼人の友人に何が起こったのか。すぐに分かっただろう?」


 まあ、流石に惚けたふりは通じないようだ。


「要は、脅されたんでしょ? 生徒に手を出していたなんてことが学校側に知れたら、スキャンダルは確定。だから、撮っておいた写真や動画で退学しないなら……って、まあ、よくある話じゃないすか?」


「そうだね。私もそれに近しい状況だと思う。それで、どう思った?」


「はい? どう言う意味ですか?」


 何が言いたいのか伝わってこない。


「私が知りたいのは、この事件に君はどんな感想を抱くのか、だ。気分が悪いかな? それとも刈谷に対して、怒りを感じるか? またはもっと他の……」


 ああ。また歌方はこちらを押し測るべく、問うてきたのだろう。

 期待に応えられず申し訳ないが。


「──別に何も。何も思わないっすね。所詮、その友人とやらは俺に何の関係もない。俺は歌方さんのように正義感の名の元、事件究明に勤しむような善人ではないんすよ」


 だから、正直に言えば。


「心底、どうでもいい。それが俺の感想です」


 そう言った瞬間だった。

 前髪が少しだけ揺れる。それは、背伸びをした歌方に撫でられたからだった。


「悲しいことだね。それはきっと」


 見上げてきたのは、柔らかな相貌。初めて晶はこの時、歌方という人間がなんだかんだと言っても、年上なのだなと思えた。

 だが。


「はい? 何ですか、急に」


 晶が一体何を言っているのだと、目を細めると、何故だか急に歌方は頬を真っ赤に染め上げて、後退りした。


「んんん、こほん。さてさて、私たちも動こうか。解決までの道筋はもう、出来ている」


「そうですか。んじゃ、俺は帰りますね」


 掃除も終わったし、昼食を取るにはいい時間だ。


「いやいや、君も付き合うんだ。助手だろう?」


「いや、違うでしょ」


「まあ聞きたまえ。私のプラン通りに行けば──確実に君と君の友達は、単位を取得出来るよ?」


「……はぁ、話を聞きましょう」


 歌方は語り始めた。

 単位を取りながらも、この依頼を達成させる策とやらを。

 まあ、正直に言えば多少は見当がついていたが。

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