第32話 うたた寝探偵と友人A 2
「さてと、バレないうちにやっちゃいますか」
「お、おぉ」
スマホの画面を指先で数度叩く。すると、すぐさまロック画面が浮かび上がった。
その後、表示されたのは縦横三つづつ並んだ九つの円。
「パターンロック……時代錯誤なセキュリティ使ってるんですね」
数字四桁の場合、パスワードはおおよそ一万通りある。
それに比べて、パターンロックは少なくとも四つの点を繋ぐ場合、十四万通り以上だと言われている。
確かにそう聞けば、こちらの方が優れているように見えるだろう。
だが、実際のところは、そう硬いセキュリティでもない。
「えーと……」
晶は天井から伸びる光を当てて、画面に残された指紋の動きを読む。
左上段から中心を通り左下その後、下段真ん中、右中段、右上段。
「と、解けるのか?」
「まあね、俺の育ちの悪さを舐めないで下さい……と、あーこりゃひどいや」
ものの数秒で、晶は読み解くとすぐさま写真のフォルダを開く。
「何? 何を見つけたのかな?」
「子どもにはまだ早いっすね。大人の火遊びの様子は」
「誰が子どもだ!」
ああ。刈谷の好きなものを見つけるはずが、まさか弱みを握れてしまうとは。
晶はフォルダを上から下まで確認し終えて、ため息をついた。
「とりあえずエアドロップで送っときますか、交渉材料として」
晶はそう言って自身のスマホも取り出して同時に操作し始める。
「君、えげつないな」
「まあ、俺には親友のためっていう免罪符があるので。それに、ムカつきません? ああいう何でも持ってるのに、人を傷つけるようなことする奴」
正直理解できない。何故、地位も金も何でも持ち合わせている奴が、現状に満足しないのか。晶からすれば、忌避の対象であり、何よりも許せないことの一つでもあった。
「……まあ、確かに私も一端の乙女だからね。多少思うことはある。あいつは女の敵だよ」
「なら、何も問題ないっすね」
全部ではなく、数枚だけ。刈谷と女が写っているものだけを抜粋して送信する。
使うならば、証拠としてだ。女の裸体だけ写っているものに価値はない。……礼とかなら興味深々だろうが。
「履歴とか残らないのかい?」
挙動不審に歌方はきょろきょろしながら、小声で尋ねてくる。
「エアドロップは送信履歴も受け取り相手のことも残らないんですよ? 知りませんでした?」
「……ふん、そんなリア充御用達機能知るか」
「でしょうね。歌方さん、友達少なそうだし。使ったこともないですよね」
「うるせぇーやい! 友達なんか百人くらい、私が本気出せばチョチョイのチョイだし!」
「へぇー」
会話も程々に、二人はそれぞれ食べ終え、飲み終え、店を後にした。
目的以上のものを入手したのだから、刈谷を尾行する意味もなくなった。とりあえずということで、落とし物センターにスマホを預けてに行く。
その後は。
「さて、そろそろ解散と行きますか」
もはや二人で何かをする理由も無くなった。折角の休日に一緒にいる理由もない。
「んじゃ、お先に失礼します」
晶が背を向けようとしたところで、歌方にシャツの裾を掴まれた。
「待ってくれるかな、伊坂君」
「……くん?」
ずっと呼び捨てだったのに、急に君付けとはどんな理由が……。
「実はね、少し付き合って欲しいんだ」
その様子はまるで、恋する乙女のような。
正直すごく、嫌な予感がした。
「いいですけど、どこに?」
「それは、ね」
………
……
そこは茹だるような熱気と、カラフルな装飾が施されたショップ。
ぬいぐるみ、フィギュア、ちょっとした雑貨まで、商品の全てには可愛らしくデフォルメされたキャラクターがこれでもかと載っている。
そう、ここはノケモンショップである。
「うわ、人多いですね。あれは外国人……か」
ずらりと並んだ棚の前にはキャリーケースを持った旅行客、レジ前から店内に渡って長い列が出来上がっている。しかも、多種多様な人種が並んでいるのだから、なんとも奇怪な光景だ。
「今や、ノケモンの人気は世界を股にかけているからね。当然さ」
いつの間にやら、大量のグッズをカゴに入れた歌方は何故だか自分が誇らしげに胸を張っていた。
「それで、わざわざこんなところに連れてきて何の用ですか?」
「あの……これを見てくれ」
「うん? えーと」
向けられたのは、一枚のチラシ。
【本日限定
ノケモンカードパック
『スーパードリームレジェンド』
おひとり様一ボックスまで】
「あー、なるほど。これが欲しかったって訳ですね」
「そ、そうなんだ。これ、昔のパックの再販なんだけど、どうしても二つ欲しくて……」
両手の人差し指をつんつんと突き合わせて、視線は斜め下。本気で照れているようだった。
「なら、早く買いましょう。この人混みじゃ、すぐにでも無くなってしまいそうですし」
「う、うん!」
お目当ての品は、大々的に告知がうたれていただけあって、すぐに見つかったのだが。
「まるで、人の壁ですね」
恐らくは三重。並ぶと言うよりは、周りに張り付いた客たちのせいで、とても棚までは行けそうにない。幸いなことに、壁の後ろからでも見えるほどに在庫は山ほどあるが、それが消えるのも時間の問題だろう。
「うぅ、ノケモンカード……」
それを歌方も感じたのか、本気で泣きそうな顔をする。というか、既に目尻には涙が溜まっていた。
「……仕方ない、か」
まあ、今後もこの少女とはより良い関係でいたい。となれば、今やることは一つだろう。
「歌方さんはここで待っていて下さい。ちょっと取ってきます」
「い、伊坂!? の、飲み込まれちゃうよ!?」
歌方はあの壁のことを妖怪か何かとでも思っているのだろうか。
「ま、俺は育ち悪いんで。得意なんすよ、掠め取るのも」
晶はすっと人混みに近づくと、僅かな隙間に体を滑り込ませ、中に入っていく。
それを何度か繰り返すと、あっという間に棚の前に辿り着く。
「えーと、確かこれだよな」
種類はそれこそ数十種並んでいた。ゲームのルールと最低限のカード効果は知っていたが、パックの名前までは流石に知らない。
とはいえ、これほど人が集まるのだ。晶はとりあえず一番減りが激しく、人気のあるものを二つ取る。
「お待たせしました。はい、これ」
「お、おぉ! おぉ!」
受け取るや否や、歌方は目をキラキラと輝かせて、商品を両手で持ち上げて天高く掲げた。 どうやら、正解だったらしい。
「……大袈裟な」
そんなに嬉しいのだろうか。お目当てのカードが当たるともわからないのに。少し理解できない。
「んじゃ、お会計に行きましょう」
「うん!」
この人は本当に年上なのだろうか? まだ全然信じられないのだが。
晶と歌方は長い列の一番後ろに並ぶ。
レジ待ちの進みは意外と早く、これなら五分もしないうちに……。
晶がそう考えていた刹那。思考を一度止め、歌方のカゴの方へと手を伸ばす。
「ちょ、どうしたんだ。伊坂」
「──おい、あんた。そりゃ彼女が買う分だ。それを取るってのは、ルール違反だろ」
晶は困惑する歌方には目もくれず、その背後の客を鋭く睨んでいた。
「っ! 何のことだよ!」
「いやいや、今更惚けなさんな。現に今、俺が掴んでんのは誰の腕だよ」
歌方の背後から、そのカゴへと伸びた腕。その手首を晶はがっしりと掴んでいた。
「そりゃ、あの壁のせいで億劫なのはまだ分かるけど、大人がそれすんのは流石にダサいだろ」
晶の言葉がよっぽど堪えたのか、背後にいた男性客は顔を真っ赤にして店から出ていった。そこまで恥じるならしなければいいのに。
「……ありがと」
「いえいえ、どういたしまして」
それからは何事もなく、レジまでたどり着いた。
「お会計、五千四百円になります」
「あ、はい。これで」
少し侮っていた。カードパックって箱で買うとこんなに高いんだな。
これ一つで五千円なら。と少し気になった晶は隣のレジにパンパンのカゴを置いた歌方の方を横目で見た。
「お会計、三万八千円になります」
「え、えーと、四万円で!」
嘘だろ? 普通、おおよそ四万円もの出費を笑顔で財布から出せるか?
………
……
電車の中。晶は吊り革に捕まって、歌方はその正面の席に腰を下ろしていた。
「いやぁ、悪いね。伊坂。荷物まで持ってもらって」
「まあ、今日は半分俺に付き合ってもらったのでこれくらいは」
一番大きなサイズの袋二つ。この量の荷物を持って帰るのは、男でも骨が折れる。
「あ、次の駅で降りるよ」
「了解です」
しばらくすると、ブレーキの高い音が鳴って、慣性が弱まり始めた。次に、小さな揺れ。その過程を終えると駅に到着し、ドアが開く。
幸いなことに、最寄駅は一緒だ。余計な電車代は掛からなくて済みそうだ。
歌方が言うには、今住んでいるのは駅から大体徒歩10分のマンション。対して、晶の下宿先は徒歩、五分ほどと結構お互いの家の距離は近い。
と思ったのだが。
「本当にここ、なんですか?」
「ん、そうだけど? どうかしたかい?」
駅から徒歩五分。確かに男と女では歩く速度は違うのだろうが……。
「ここ、俺の下宿先と同じですね」
「え? ほんと?」
「ええ。ほんとです」
もう住み始めて一年半は立つのだから、間違えようがない。
「おぉ、天文学的確率だね。よし! なら、一度解散して、どちらかの部屋に集まろう! そしてノケモンカードだ!」
「ええ? 本気ですか? 別にいいですけど」
「よーし、なら早速」
一緒にエレベーターに乗って、同じ階で降りる。進む方向も同じ。
まさかと思ったが、本当にそのまさかだった。
「……お隣さん、だったのか」
「……みたいだね。でも、尚更都合がいいよ。用意が終わったら、私が君の部屋に行こう」
「あ、はい。分かりました」
がちゃん。歌方は部屋に入っていった。
全く、少し怖いくらいの偶然だ。
一年半も住んでいて、隣の住民になかなか会わないと思っていたが、まさか、かの有名な『うたた寝探偵』だったとは。
「ぷっ」
少しくおかしくなって晶は吐き出して、ドアを潜った。
………
……
シャワーを浴びた晶は適当な部屋着に着替えると、頭を乾かしてからリビングに入る。家具は机、椅子。家電もエアコン、冷蔵庫や電子レンジしかない物悲しげな部屋。
無論テレビも置いていないし、生活に不必要なものは何一つとしてない。
別に、ミニマリストな訳ではないが、買うのも設置するのも面倒くさいのだ。
「……あ、てか。うちでやるのか」
呟くと同時に、インターホンが鳴った。
「はいはい、今開けます」
ドアを開くと。
「さっきぶり……だね」
「え? どうしたんですか? そんな塩らしい態度で」
パジャマ姿の歌方は頬を紅潮させて、ドアの前に立っていた。入ろうともしないし、様子がおかしい。
「すこし、一人で考えたんだ。私はどうやら、君に強い興味を持っているらしい」
「あ、はい。それで?」
「その、だから……さ」
言いづらそうに、恥ずかしそうに、歌方はズボンの布を握りしめる。
「えーと、とりあえず中に入ります?」
「い、いや! その前に!」
「なんですかね?」
ようやく踏ん切りがついたのか、ぐっと歌方は一歩踏み出す。
「──君さえ良ければ、私の助手にならないか!?」
「……はぁ?」
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