番外編 伊坂&歌方の事件簿
第31話 うたた寝探偵と友人A
「待たせたね。伊坂」
駅前の広場。昼過ぎの三時ちょうど。
伊坂がベンチに座って待っていると、背後からそんな言葉が聞こえてきた。
「そんなに待ってないっすよ。せいぜい五分くらいなんで」
当然のことだが、今日の歌方は部室のにいる時のような部屋着ではなかった。
キャップを被り、ワンポイントの入ったTシャツにジーンズと、ユニセックスで小洒落た格好。
十二分に大人びた格好のはずだが、どうにもそういう目で見れないのは、やはり拭いきれない幼さのせいだろうか。
「おや? 開口一番に待ってないアピールなんて、割と紳士だね」
「まあ、これでも空気読める系男子で通してますから。……今日はわざわざ出張ってもらってありがとうございます」
晶はベンチから腰を上げると、深々とお辞儀をする。
「私もちょうど用事があったからね。君の依頼が終われば、そのままノケモンショップに行くのさ。どうだい? 羨ましいか? 羨ましいだろう?」
胸を張り、ふんと強く鼻から息を吐く歌方。そう、こういう仕草が妙に幼いのだ。
「……ほんと好きっすね」
とはいえ、それはひとまず置いておいて。
「今のとこ、教授は見かけてないです」
わざわざここにきた理由。それは、教授の好きなものを暴き、それを単位と交換してもらおうと言う策の第一段階。
まずは教授の好きなものを探そう作戦のためだ。
「そうか。私のデータによると休日はよくここで待ち合わせしているはずなんだが」
「今日は用事でもあったんですかね」
今一度首を振って、広場を確認してみるが、やはりそのような人物はいない。
「それにしても、君が何故こんな事を? 君はそんなに馬鹿ってわけだろう?」
「まあ、あの馬鹿どもが留年したら困るってのもありますけど」
正直、そこはさほど重要ではない。本当の目的は……。
「経営社会学の刈谷教授って、結構噂が立ってますよね」
「ほう?」
経営社会学担当、刈谷政道准教授。年齢は確か四十二、三。
すらりとした体躯で、生徒からは優しいと評判の人だ。
けれど、その実。
「知らないですか? 重度の女好きって話もあるし、生徒を妊娠させて捨てたっていう噂も……」
晶の一言に、歌方は指を一本立てる。
「付け加えると、それは噂ではなく事実。回数にすると三度だよ。この十年間でね」
「……本当ですか?」
「この私が知らないとでも? 仮にも私は名探偵。人の目を見るだけでその本性くらいは見抜けるのさ」
「興味深いっすね」
この名探偵の言うことを素直に信じれば、存外、本物らしい。
「そして、君は今。『だったら、俺の本性も分かるのか? いや、分かりようもないな』とでも考えたね?」
「……へぇ、凄いですね」
当たっている。その通りだった。
「確かに君の本性は珍しく見えてこないが、それも時間の問題……ん、噂をすれば。どうやら来たようだね」
見上げるように向けられていた歌方の視線が動く。探し物を見つけた時のように、瞳孔が一瞬、ぎゅっと絞られるように縮む。
歌方の顔を一瞥し終えて、晶もその視線の先へと目をやった。
確かに、そこに刈谷はいた。そして、その正面には、大学生くらいの女。
「どうやら、噂は本当のことらしいですね」
「なんだ、信じていなかったのか」
「まあ、俺は疑い深いもんで自分の目で見るまでは、信じないことにしてるんですよ」
「それは疑い深いのではなくて、リアリストだと言うことではないかな?」
「何でもいいですけど、動きますよ」
「ああ。尾行開始と行こうか」
………
……
刈谷とその相手が入って行ったのは、駅からしばらくに歩いた先にある海辺の大型ショッピングモール。合計三棟にも渡る街の名物的な観光地。
東館と西館。七階建ての二棟の狭間にあたるストリート。両脇には飲食店や雑貨屋が並び、見上げると、数本の連絡通路。そのもっと上には格子状の天窓が見える。
「へぇー、ここは凄いな。あ、ゲームセンターもあるのか」
「歌方さん? まさかとは思いますけど、その歳でゲームセンターって単語にワクワクしてたりします?」
「し、してるわけないだろぉ!」
「なら、行きますよ」
十五メートルほどの距離を保ちながら、人混みに紛れる。
もう少し近づくのも手ではあるが、自分は目立つ金髪。歌方はそれよりも遥かに目立つ白い髪。晶はともかく、歌方に関しては一度視界に入れば、しばらく記憶に残ることは確実だ。
「どこに向かっているんでしょ」
「恐らくは、東館四階にあるハイブランドのエリアだろうね。女の持ち物を見れば、一目瞭然だ」
「なるほど、確かに」
確かに女の方の服、カバン、靴。全ては恐らくかなり高額の品だ。
「ん、その前にカフェに入るようですね」
「まあ、もう三時だ。伊坂は何の時間か知っているかな?」
「はいはい、おやつですね。分かります」
「何気なく私達は、三時と言えばおやつと連想するが、これにも実は理由があるのさ。その起源は、おおよそ江戸時代に……」
「へー、知らなか……っ!」
突如、刈谷は立ち止まる。そして、背後を振り返るように半身を回す。
「ちょっと失礼しますよ、歌方さん」
「ひう!?」
歌方の肩を咄嗟に晶は掴むと自身も振り返り、その小さな体を体に押し付けるようにして隠す。
「な、な、何事!?」
「いや、刈谷が振り返ったので。俺の金髪はまだしも、あいつが歌方さんを見たとしたら、警戒させてしまうかもしれない」
「……な、なるほど。そ、それは大変だ」
しばらく、刈谷は周囲を見回した後、女と共に店に入って行った。
流石に自分が悪いことをしているという自覚があるのか、警戒心はうんと強いようだ。
「さて、どうしますか? 店に入れば、確実に目を合わせることになる」
「そうだね。とはいえ、ここで待っているのも些か都合が悪い」
「え? なんでです?」
「それは……」
歌方が言いかけたところで、ぐぅと腹の虫がうめきをあげた。無論、晶のものではない。
「昼ご飯、食べてないんですか?」
「……食べた。スイッカーズ」
またもぐぅと鳴った。まあ、気持ちは分かる。近くの飲食店が放つ香ばしい匂いやらで空きっ腹が刺激されたのだろう。
「それは飯じゃないですね、はい。それじゃ俺達も入りましょうか」
「いや、それはそれで都合が悪い」
「……なぜ?」
晶が少し呆れた目で問うと、急に歌方はもじもじし始めた。
「今日はその……ノケモンショップに行くから……あんまりお金使いたくない」
マジか。そこまで好きなのか、ノケモン。
「なら、依頼報酬の前払いってことでここは俺が出します。それでいいですか?」
幸い、何かあった時のために財布は多少、膨らませてきた。二人分の外食程度なら軽く十回は行ける。
「え? いいの? 喫茶店で食べると結構高いよ?」
「別にいいっすよ。それくらい。ほら、さっさと行きましょ」
こうして、二人は刈谷の後を追い、店へと入っていく。
………
……
内装はやたらと凝っていて、オシャレというよりレトロな雰囲気を醸す落ち着いた店。
「ご注文はいかがなさいますか?」
ベストを着た女性店員は、メモ帳を手に尋ねてきた。愛想の良い優しそうな人だ。
「カフェラテのアイスひとつと……歌方さん?」
「ちょ、ちょっと待って! 今! 今決めるから!」
オムライスとパンケーキを交互に眺める歌方。その意思は今、振り子のように揺れているようだった。
「……決めた! パンケーキのセットを一つ! ドリンクはココアで!」
「かしこまりました。……ふふ、かわいい妹さんですね」
店員はよほど微笑ましかったのか、そう言い残すと厨房の方へと歩いて行った。
「だ、そうですが? ご感想はあります?」
「……くっ、私の方が年上なのに」
ドリンクはすぐに、パンケーキは少し時間が経ってからテーブルに届いた。
晶はストローでグラスを混ぜてから、口をつける。ほのかな甘みと苦さが口の中に広がった。
「ところで、伊坂」
幸せそうにパンケーキを頬張り、ココアを一口飲んでから、歌方は口を開いた。
「何です?」
「君。卯花とはどんな関係なのかな?」
「友達ですね」
大学に入学した時からの友人であり、よく遊びにも行く仲。お互い一人暮らしだし、そう言った面でも都合が良く付き合える友人。
「本当に? 十年来の親友や秘密の恋人とかではなく?」
「はあ? 何で女子ってそういう思考回路になるんすかね。無いっすよ、男にそういう興味は」
「けれど、引っかかるんだ。普通、どれだけ仲の良い友人であっても、ここまでする奴は稀だ。……にも関わらず、私の目には君がどうにも情に厚いタイプには見えないのさ」
「それは歌方さんの見る目が無かったって話でしょ。いい奴なんすよ、俺は」
「……今はそういうことにしておいてあげよう」
歌方は一瞬、妙に鋭い目をした後でまた幸せそうな顔で、パンケーキを食べ始める。何とも、幼いのか、鋭いのか、よく分からない人物だ。
「──私とは遊びだったの!!」
突然、店内にガラスにヒビが入るような叫びが響いた。
声の方向を横目で見ると、入り口から向かって奥の席。刈谷の方からだ。
「最低!」
女性はカバンを持ち上げて、立ち上がると涙ながらに店を出ていく。
「修羅場ですね」
「修羅場だね」
当事者である刈谷は女性の背を涼しい顔で見送り、コーヒーを飲み干した。まるで、これくらいは慣れているとでも言いたげな態度だった。
「すみません。お会計を」
そう言って、刈谷は伝票を持ち上げて立ち上がる。
「歌方さん。なんでもいいんで、刈谷の方に転がしてください」
「転がす? 床にかい? 一体何を……」
「後で言いますから」
歌方は不思議そうに首を傾げながらも、ポケットから取り出したイヤホンの片方を床へと落とす。ころころと体良く転がり、それは店の奥へと。
同時に晶はそれを拾うべく、立ち上がった。
イヤホンを拾うべく歩き始めた晶のタイミングは刈谷と重なり、ちょうどすれ違う形になる。
「おっと、すみません」
晶は半身で避け、イヤホンを拾う。そして。
「よいしょ」
再び、席に座った伊坂の手には見知らぬスマホが握られている。
「はぁ!? え! 何!? 取ったの!?」
「声が大きいですよ? 安心して下さい。ことが終わったら落とし物センターに届けるんで」
「いや、それよりも気付かれずに取るなんて、どんな……」
「ま、俺は育ちが悪いのでこういうことを平然と出来てしまうんですよ。あ、他の奴には他言無用でお願いします」
そう言うと、晶は何食わぬ顔でスマホの電源を入れたのだった。
──伊坂 晶。
その過去を、その本性を、彼自身以外に未だ知る者はいない。
謎めいた第二の主人公。
これはそんな一人の青年と、少女が恋に落ちるまでのお話。
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