第30話  勉強会と彼女と彼女

 ふと思う。

 俺の彼女は、部長と先輩なわけで、逆算すれば、先輩と部長の彼氏は俺。

 ──ここで一つ疑問が生まれた。


 ならば先輩と部長から見れば、お互いはどんな関係になるのだろうか、と。

 恋敵? 親友? それとも……彼女? 

 もし後者だとすれば、彼女の彼女は彼女なわけで、彼氏の彼女も彼女なわけで……。



 思考は加速する。いつしか果てしない宇宙が見えた。

 それはきっと俺の中の小宇宙コスモとは一線を画す壮大で美しい夢。

 でも、なんか、俺の中の宇宙では、巨大ロボットが熾烈な戦いを繰り広げているような気がした。

 ……うん。先日、ガ●ダムの映画を見たせいだ。

 


「卯花―、おーい。帰ってこーい」


 ぺちぺちと頬を軽く叩かれる。


「はっ! ここはっ!?」


 はっと我に帰った俺は、辺りを見回した。最近ほぼ毎日入り浸っている広いリビング。考える余地もなく、先輩の部屋だった。

 机の上には、教材とノートがずらり。左隣の部長も同様だ。


「全く。礼君。勉強は大切よ?」

 先輩は、勉強中はメガネをつけるようでよく似合っている。可愛い。


「分かってはいるんですけどね」


「そうだぞ。卯花」


「茉利理。貴方もよ?」


 むっとした顔を部長へと向けた。


「あ、はい」


「とはいえ、もういい時間だし、晩御飯にしましょうか」


「「いえーい! やった!」」


「食べ終わったら、続きするわよ」


「「……はい」」


 俺と部長が教材をしまうと、先輩はカセットコンロを机の中心に置く。


「ま、まさか!」


 コンロの横に立っていたとあるものを見て俺は、驚嘆を露わにする。


「ふっ、ひれ伏すがいい! 今日の晩御飯は何と!」


「はっ! やはり!」


「ええ。すき焼きよ」


 気がつけば、スタンディングオベーションをしていた。緩くなった涙腺からは涙が溢れ落ちていた。あれ、なんで、だ……。


「礼君。茉利理に感謝してあげてね。今日のお肉は、茉利理が持ってきてくれたのだから」


「え? そうなんですか?」


「ああ! そうとも! 紫苑、見せてあげてくれ!」


 先輩は冷蔵庫から何やら木箱を取り出した。

 箱の側面には、最高級神戸牛と書かれている。


「では、ごかいちょー」


 木箱を受け取った部長は、蓋をガバリと取り去った。

 すると途端に。


「ぐわぁぁぁ!!! なんの光ぃ!?」


 まるで、流星が落ちてきたような衝撃波と輝き。

 今日という日まで、霜降りという言葉の本当の意味を知らなかった。

 そう。霜降りとは美しい、のだ。


「さ、食べましょう」


「「いただきまーす」」


 出来上がったすき焼きは、まるで宝石箱や。

 卵を解き、最初に肉を一枚……。


「させるかぁぁぁ!!!」


「ふぁぁぁ!!??」


 橋先が肉に着弾直前、肉が消える。

 恐ろしく速い。その赤い箸は、まるで宇宙(海)をかける一筋の彗星のような。


「──見せてもらおうか、私の彼氏の実力というやつを」


「くそぉ! 親父にも取られたことないのにぃ!」


「それが甘ったれなんだ! 取られもせずに、一人前になった奴がどこにいるものか!」


 そうして、部長はもう一枚の肉を掻っ攫う。


「取ったね! 二度も取った!」


「二人とも、行儀良く食べましょう」


「「はい」」


 俺たちは先輩の一言で、途端に湯に通した白菜のようにしゅんとなる。


「それと……」


「ん?」


 先輩は顔を真っ赤する。


「……その、ここは宇宙じゃ……ないから」


「「おぉ!!」」


 不器用に照れながら、困ったような吐息の中で辛うじて口から喘ぐように漏れたツッコミ。俺たちはただ嬉しかったのだ。

 いや違う! 勿論、それもあったのだが……。


「部長。今の紫苑先輩のツッコミ、何点つけます? ちなみに俺は120点は硬いですね」


「ほぉ、卯花。やはりお前は、紫苑に少し甘いな。私ならば……」


 顎に手を当てて、部長は少し考える。……あ、この人三枚目の肉を何気なく取ってる。


「──九十五点。ってところだな」


「いや、高評価なんかい」


「まあ、聞け? 確かに紫苑のツッコミのレベルは決して高くはない。が、さっきの表情見たろ? めっちゃエロ……」


「茉利理。確か貴方、糸こんにゃくも好きだったわよね? 食べさせてあげるわ、はいあーん」


「あっっつ!!!」

 先輩の差し出した糸こんにゃくは、部長の口よりやや左頬にぶつかった。


「礼君。ほら、今のうちに」


「あ、なるほど」


 しめた。これでようやく肉が食べれる。

 俺は肉を取って、卵につける。

 それは、まるで煌く黄金のようだった。

 見るだけで分かる、絶対美味い。だが。


「……先輩、あーん」


「…………え?」


「いつも、こうやって食べさせてくれるじゃないですか。こういう時くらいは俺にもさせて下さい」


「むぅ」


 先輩が目をきらめかせる一方で、部長は頬を摩りながら、唇を尖らせる。


「あ、あーん」


 どうすれば分からない様子で、恐る恐る口を開ける先輩。


「はい、どうぞ」


 ふうふうと何度か冷ませてから、先輩の口に入れる。

ちゅっと少し艶かしい音と共に端は軽くなる。


「……美味しい」


 先輩は味わうように数度咀嚼してから、飲み込んで唇をちろりと舐める。

 え、何と言うか……凄く、エッチだ。


「あ!」


「どうしたんですか、部長」


「あ! 食わせろって言ってんの!」


「え? 正気ですか?」


「早く!」


 致し方あるまい。これを拒否ればあとが怖い。

 それに。


  部長とも付き合っている以上、仲間外れにはできないし、したくない。


「では、部長。行きます」


「……う、うん」


 おい、急に塩らしくならないでくれ。こっちが緊張する。


「はい、あーん」


「……」


 部長へとはしを向けると、次は先輩が不満そうな顔をした。


「がるるる!!」


「ふぁっつ!?」


 一撃で箸先から牛肉が消える。速度はあまりにも早く、俺じゃなきゃ見逃してしまうね。


「……うむ。やっぱりここの肉は美味い」


 薄々感じていたことだが、部長だけ妙に食べ慣れている感じがする。普通こんな肉を食べるとなると、緊張と期待で胸がいっぱいになるはずだが。


「紫苑先輩。まさかとは思うんですけど、部長ってお金持ちだったり?」


「あら、知らなかったの? 茉利理の家は超がいくつもつくくらいの大金持ちよ」


「え、まじか。てことは……」


 茉利理お嬢様。なんて、家では呼ばれていたりするのだろうか。何と言うか、その。


「お嬢様」


「ん? なんだ?」


 うわ、マジだ。呼んでみると当たり前のように返事をしてきた。


「お前、からかってるな?」


「そ、そんなわけないっすよ」


「ふーん。どうせ、こんなガサツで可愛げのないあたしがお嬢様って呼ばれてんのがおかしいんだろ?」


 ガサツ。正直、それは思ったけれど。


「何言ってんすか。部長は十分可愛いっすよ」


 紛れもない本音だった。


「はぁ!?」


 部長は驚きのあまり椅子から飛び上がって、俺を睨んでくる。


「お前! そういう冗談は性格悪いぞ!」


「本気っすよ?」


「いや、その……もういい!」


 何がそんなに照れ臭いのだろうか。誉められたのだから、否定なんかせずに素直に受け取ればいいと俺は思った。これが、女心という奴なのか?


「礼君」


「何ですか?」


「礼君は確か豆腐が好きよね、はいあーん」


「ちょ、ちょっと待って下さいよ! そのサイズは一口じゃ入らないですって!」


 おおよそ五立方センチメートルはある。


「あーん」


「……くぅ! あ、あーん」


 じゅ。

 舌が音を立てた。


 やっぱり、先輩の愛は少し嫉妬深いのかも知れない。

 だが! 大丈夫だ!

 それも愛なのであれば、俺は受け入れられる!


 ……豆腐を俺の舌が受け入れる事はできなかったようだが。

 その日から、三日ほど俺はそうめんだけを食べて生き抜いたのだった。


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