第24話  安斉茉利理の憂鬱

「テニサー、テニサーどうですかー?」


 その日は入学式だった。

 花飾りのアーチと、スーツ姿の新入生達が門をくぐり、講堂へと向かってゆく。

 その道程には、ずらりとサークルの勧誘が並ぶ。


 とあるサークルはチラシを手に、またとあるサークルは入部届を手に、大名行列を作る新入生達に声をかけ続けている。

 2回生、安斉茉利理も前者の一人だった。


「テニサーはどー? モテるよー、すごいモテるよー」


 なんと声を掛けようと、どうにも誰かが立ち止まることはなかった。


「おい、安斉。今どんな感じだ?」


 一人の男が近づいてくる。


「三、四人ってとこ」


「ふっ、俺たち手芸部はすでに六人だ。まだまだのようだな」


「うっせぇ、どうせ半数は初日で半数消えんだろうがよぉ、二階堂」


 事実として、この二年間はそうなっている。筋肉だるまだらけの手芸部など正直、女子ならば入りたくない。


「さっさと帰れよスカタン。しっしっ!」


「ふっ、せいぜい頑張るといい。安斉」


「うるせーやい」


 二階堂は自分のサークルへと帰っていった。全く、鬱陶しい。別に勧誘に競い合う要素などないだろう……いや、負けるのは好きではないが。


「ふぅ。テニサー、テニサー、どうですかー」


 声をかけ続けていると、一人の少年が目の前で立ち止まった。

 大人びた雰囲気で、どうにも人を寄せ付けないような独特の空気を醸す少年だった。


「テニス部……か」


「おお、少年。興味あるのかい?」


 全てが始まったのは、チラシを受け取った少年が、茉利理の目を見た瞬間だった。


 ──ああ。これは。


 茉利理の時間は、その途端。著しくスローになった。


 ああ。これが、一目惚れと言うやつか。


 その感情を自覚するのに、数秒も掛からなかった。


………

……


「はっ!?」


 茉利理は飛び起きた。夢の内容があまりにも正確に昔のことを思い出させたからだった。


「くそぉ、卯花め」


 全ては奴のせいだ。頬が妙に熱いのも、どうにも胸の奥が詰まったような感覚がするのだって、全てはあいつのせい。


 茉利理は大きく深呼吸をして、顔を洗うべく、浴室へと向かった。


「お嬢様。今日は早いのですね」


 すると、その途中、部屋を出たところでばったりと、髭を携えた燕尾服の老人に出会う。


「気まぐれだ、爺や。ほっといてくれ」


 安斉茉利理は、俗に言うお嬢様という奴だった。


「ふぅ」


 茉利理は二十畳はあろうかと言う浴室の脱衣所、手洗い場で顔を洗うと、手すりに掛かっていた柔らかなタオルで顔を擦った。


 ああ。なんであんな夢を見るのだ。確かに、昨日のアレが随分と効いたのはあるだろうが、とうの昔に納得したことだと思っていた。


 卯花はきっと誰かと付き合うことはないのだと、だから自分と付き合えないのも頷けるし、当然のことなのだと。


 そう思っていた。いや、そう思い込むことで、自分を慰めていたのだ。


 けれど。


「卯花ぁ、紫苑みたいな女の子がタイプだったんだなぁ」


 腹の中は、なんとも言えない気持ち悪さがあった。

 確かに、紫苑は美しく、可憐で献身的だ。男ならば惚れない奴はいないような圧倒的な存在。


 それに比べて……。


「……やっぱ胸か? 胸なのか?」


 万年、Aカップから成長を見せないこの胸のせい……。

 けれど、もし、そうならきっとこんなにも悩むことはなかった。


「な訳ないよなぁ」


 だからこそ、こんなにも苦しい。見た目や体格のせいで選ばれなかったのならば、それはそれで納得できる。けれど、卯花はそんなことで人を選ぶような奴じゃない。


「……ほんと、馬鹿みたいだ」


 もしも、もっとアプローチをかけていたら。

 もしも、告白をしていたら。

 

 何か、変わっていたのだろうか。

 考えても、答えが出るはずもなかった。


………

……


「なあ。最近、俺。部長に避けられているような気がするだが」


 テニスサークルの練習の最中。水筒を手に休んでいた晶に尋ねてみる。

 流石に、自意識過剰とかではないはずだ。

 練習が始まる前も……。


『うっす、お疲れ様です。部長』


『う、う、う、卯花っ!? よ、よぉ。最近元気かぁ?』


『え? どしたんですか、そんなに狼狽えて』


 どうにも様子がおかしく、目は100メートル自由形でもしてんのかと言うほど、泳ぎまくっていた。

何か事情がある、とは思うのだが、正直見当もつかない。


 晶ははあ、とため息を漏らしペットボトルのスポーツドリンクをごくごくと飲み下す。


「……ぷはぁ。知らねぇ、どうせお前のことだから地雷でも踏んだんだろ?」


「いや、なんというかそういうのではないと思う」


 何せ、もしそうなのであれば、俺はきっと今頃練習に参加できる体ではなくなっているからだ。

 それに、どうにも怒っているだとかそんな雰囲気ではないのだ。なんというか……そう。


「照れてる? みたいな」


「ほーん。お前がそう思うなら、そうなんじゃねぇの?」


「でも、何に照れるんだあの人」


 好きなアメフト選手でも出てこない限りは、正直照れる顔が想像すら出来ないのだ。


「……お前なぁ」


「ん、なんだ?」


「……いや、なんでもないわ。忘てくれ」


 そう誤魔化す割には、どうにも晶は何か言いたげだ。


「とにかく、部長に直接聞いてみればいいだろ?」


「まあ……そうなんだが」


 逃げられてしまえば、どうしようもないのだ。部長が本気で逃げたらうちの部の誰も、いや、うちの学校の誰も捕まえられない。


「なら、諦めるのか?」


「いや、それはちょっと……」


 部長は恩人なのだ。今の俺があるのは、間違いなく部長の存在のお陰でもある。


「おいおい。なら、策は一つだろ?」


「え?」


「──頭を使う。俺たちは猿じゃないんだ。そうすりゃ、大抵のことは解決できる。違うか?」


「おお! なんか頼もしい!」


 俺はこれまで、お前のことを猿以上だとは思ったことないけどな!


「よーし、じゃあ包囲網を作ろう。あの人は簡単に捕まるようなタマじゃないからな。まずは、慎二っ!!」


「おう!」


 何処からともなく、ダンベルを持った慎二が現れる。現れるというより、筍の如く生えてきたような気もするが、この際どうでもいい。


「あとは……あっ! こんなところに部長の使用済み靴下がっ!!」


 晶は手を口に当てて、大きな声で叫ぶ。


「ど! どこぉ!?」


 校舎の物陰から、砂橋がとんでもない速度で走ってきた。

 なんだ、その釣られ方は。


「よし。四人ならどうにかなるだろ」


「ん、晶? この俺のバルクに何用だ?」


「靴下ぁー、靴下どこぉー」


 ダメだ、全く協調性がない。

 とはいえ、一人で悶々と考えるよりは幾分かマシだろう。


「──さあ、作戦を発表するぞ。お前達」


 ここに、晶を総帥として同盟が完成する。

 その名も、『部長を逃すな、話をしようチーム』だ。


 

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