第22話 ピクニックに行こう
22話 ピクニックに行こう。
「ねえ、礼君。ピクニックに行かない?」
待ちに待った週末。先輩の作った朝食を食べ終えた頃。
突然、先輩は言った。
「いいですね。いつくらいにします?」
「今日よ」
「え! きょ、今日ですか!?」
時刻は9時。ということは、今から準備をして向かうのだろうか。
「実は、もう済ませてあるの」
「そりゃ凄い手際ですね」
随分とフットワークが軽いものだ。何かあったのだろうか?
「その、紫苑先輩。ほんと、何かあったんですか?」
少し心配だ。まさかとは思うが、何か嫌なことがあって気分転換したいのかもしれない。
「……大丈夫よ」
やっぱり何かあったみたいだった。先輩にしては珍しく少し誤魔化すような言い方だったように感じる。
なら。
「よし! 行きましょう! ピクニック! 俺もちょうど行きたかったんですよ!」
「礼君……ありがとう。折角の休日に付き合わせて、ごめんなさい」
「いやいや、いつもご飯作ってくれてるんですから、むしろ付き合って当然ですって」
「……付き合って……当然。ふふふ、やっと礼君も私を婚約者だと認めてくれたのね」
なんて、トラップだ。それとこれとは、うどんと蕎麦くらい違う。
「それは、その……まあいいか。それじゃ、俺は一旦帰って、準備してきます」
「分かったわ。じゃあ、11時ごろに部屋に行くわね」
………
……
「へぇ、なんか凄いところですね」
最寄駅から二つ先の駅にある大きな公園。
目の前には一面の芝生と影を落とす木々。確かにここならば、この時期でもゆったりとした時間を過ごせそうだ。
「ええ。好きなの。この場所」
「確かに良い場所ですね」
広い公園のくせに、子どもは少ない。落ち着いた雰囲気をしている。
俺は、カバンからブルーシートを取り出して、下に広げると、四隅の角にペグを打った。要は、風対策だ。
「さ、座りましょ」
「ええ。ありがとう」
先輩は持ってきたバスケットに置いて座る。俺もその隣に腰を下ろした。
沈黙が流れる。けれど、居心地の悪いものではない。むしろ、当たりを吹いた風のように涼しいながらも、冷たくはない心地の良いのだった。
「私、ね」
ポツンと先輩は言った。その言葉は先輩が歩み寄ってきてくれたようで、少し嬉しかった。だから俺は、先輩が何を伝えたいのかを考えるために無言で頷いた。
「私は、本当は礼君の知っているような人間じゃないの」
本音だとすぐに分かった。
「本当は浅はかで嫉妬深くて、性格も良くないの」
「……」
そんなわけはない。否定したいけれど、今ここで否定したって、先輩はきっと信じてくれないだろう。
「私ね。小学生の頃に父と母が別れたの」
「……はい」
「理由は、母。父を疑うようになった母なの」
先輩は語った。父のことを、そして、母のことも。
「父は仕事熱心な人だった。朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくるような人。比べて母は愛情深い人だったの。毎朝、父より早く起きて、私と父のお弁当を作って、家事を済ませる。そんな人」
それは少なくとも俺にとってはある種、理想的な家族関係に思えた。
「けれど、母はきっと父の収入なんかよりも一緒に時間を過ごすことが大切だったのでしょうね」
そう思うほどに、きっと先輩のお母さんは夫を愛していたのだろう。
「私が小学六年生になった春。母は父を疑い始めた。浮気をしているのじゃないか? 他に女を作って、よろしくしているのじゃないか。だから、毎晩帰りが遅いのじゃないか。……父はそんな人ではないのにね」
愛情の裏返し。強すぎる愛は、時として懐疑心へと変わってしまう。俺のような人間には心当たりはないけれど、少し気持ちは分かってしまう。男だからとか女だからとか、きっとその感情には関係はないのだ。
「そして、それはある日。爆発してしまった。母は父に怒鳴ったの。浮気をしているのでしょう、だから帰ってこないのでしょうってね。それを聞いた父は、酷く裏切られたような顔をして家を出ていった」
ああ。そうか。
ようやく先輩の伝えたいことが分かった気がした。
「私も。きっとそうなの。母と一緒で嫉妬深くて……誰かと付き合っても、心のどこかで疑ってしまう。だから……」
先輩はすっと息を吐きた。思い出すように、目を閉じて。
「だから私は、誰かと付き合うつもりもなかった。きっと好きになってしまえば、私も相手の人も苦しめてしまうから」
底抜けに優しいから。頭のいい彼女はきっと未来のことまで考えてしまうから。そんな結論に行き着いてしまった。
長い時間を共にした訳ではないけど、先輩の全てを知っている訳ではないけれど。
今の俺には、少し分かった。
「だからね、礼君」
「はい」
「私のことが嫌になって、怖くなって、嫌いになったって言うなら……私は」
私は。そう言った彼女の言葉は震えていた。弱々しく、今にも消えてしまいそうで。
きっと先輩の行動は、裏返しなのだ。
だから、声はいつだって聞いていたくて、その場所がいつだって気になって。
「紫苑先輩」
呼ばずにはいられなかった。慰めるとか、そういうのではない。ただ、先輩の顔が……酷く辛そうな顔が、すごく嫌だった。俺のせいで先輩がそんな顔をしているという事実がただただ、許せなかった。
「この前、言いましたよね? 俺は期待に応えたいって」
「……そうね」
「だから、迷惑だとか、怖いだとか。考えたこともないですよ。ありがたくて、嬉しくて、幸せで……俺なんかがこんな綺麗で優しい人と一緒にいていいのかって疑問に思うぐらい」
きっと。簡単なことじゃなかったと思う。毎日のように自分ともう一人分のご飯を作って、毎朝起こしにきてくれて、その人を第一に考える生活。……俺なんかにはきっと出来ない。
「……ふぅー」
だから、俺は覚悟を決めた。この人になら、傷つけられてもいいから。心の底からそう思えたから。俺はきっと。
「……よし」
「礼君?」
ああ、正直に言えばまだ怖い。目を閉じれば、今だに思い出してしまう。お前なんかがって。怖くてたまらない。
「紫苑先輩」
「ど、どうしたの? まさか、やっぱり……」
不安そうな顔。ああ、そんな顔をして欲しくないのだ。だから。
「──先輩。大好きです。俺と、付き合って下さい」
言った瞬間、頬がぎゅんと熱くなった。心はまるで自分のものじゃなくなったみたいに、暴れていた。
「っ!」
先輩は切長でクールなその目を丸くして、口を両手で押さえた。
「……本気で、言ってくれてるの?」
涙が目尻に溜まっていく。俺もつられて少し泣いてしまいそうだった。
「好きです。紫苑先輩のことが」
言った瞬間に、ハッとした。
──『なら、一緒にいませんか? 俺、付き合うとかそういうのは苦手ですけど、いつかお互いが、本当に誰かを好きになる瞬間が来るまでは、どんな関係でも一緒に』
俺は、あの日から。初めて出会ったあの日には、先輩のことが。
「……いいの? 話した通り、私は」
「いいんですよ。そんな先輩が。俺なんかを好きでいてくれるなら、俺はずっと先輩の側に居ますから」
「……本当、に?」
「マジもマジ。大マジです」
「ほんとの本当に?」
「先輩を裏切るくらいなら、俺は死ねます」
それくらいの覚悟だった。それくらいでないと、先輩の気持ちに報いれないから。
「……うん。分かった。信じるから」
「うぉ!」
先輩はぎゅっと抱きしめていた。勢いが強くて、そのままシートの上に体は倒れる。
「あ、はい。礼です」
「大好き! 大好きだから!」
ぐぐっと締め付けられる。正直、ちょっと痛い。
「……俺も、ですよ。紫苑先輩」
言いながら、軽く肩にタップアウトする。い、いかん。このままでは意識がが。
「ぐっは……」
そうして俺は、正式に西園寺紫苑先輩と付き合うことになった。
え? 本来のラブコメならこれで終わりだって?
いやいや。ラブコメじゃないから。
コメディーラブだから。
俺と先輩の日々は続くのだ。
波乱あり、笑いあり。そんなどうしようもない大学生活がね。
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