日常編2
第18話 そうだ釣りに行こう。……奴をっ!
波乱の球技大会から二週間程。
なんやかんやで俺たちの日常もようやく帰ってきた。季節もそろそろ梅雨に入る頃。
どんどんと気温も上がってきている。
「なあ、礼」
基礎ゼミの途中、教授に隠れて漫画を読んでいた俺の脇腹の辺りを、ボールペンで晶が突っついてきた。
「ん、なんだ? 晶」
また、腹でも下したのだろうか? となれば、少し離れたほうがいいのか?
「お前さぁ、海って好きか?」
「まあ、嫌いではないが」
「よし。じゃあ、来週の日曜日予定は空けとけよ」
「いやいや、何するかくらい教えろって」
「釣りだ。釣り。楽しみにしとけよぉ、礼」
「お、おう」
ゼミが終わり、俺が向かったのは、ここ一週間でもはやいつもの場所と言えるようになった校舎の空き教室。昼休みにはいつもそこで待ち合わせているのだ。
「お待たせしましたー」
「私も今来たところよ。礼君」
先輩は窓辺の席に腰を下ろして、待っていた。
少しだけ開いた窓吹き込んだ緩い風が先輩の長い髪を揺らし、クリーム色のカーテンを波立たせている。
額縁に当て嵌めれば、名画のワンシーンのようだ。
「どうかした?」
「……いえ、なんというか」
正直少し見惚れてしまった。最近、少し状況が変わったというのもあるけれど、やはり俺自身、先輩を凄く意識してしまっているような気がする。
「昼ご飯。食べましょ?」
「あ! はい! すげぇ腹減ってます!」
テンションが少しおかしい。どうにか、先輩に勘付かれないようにしなければ。
「食べる前に……その、礼君」
「先輩?」
むっと先輩は拗ねたような顔をした。いつもの大人びた雰囲気ではなく、何処か子どものような。
「え? ほんとどうしたんですか?」
「約束、したのに」
先輩がそっぽを向いたと同時に、はっとする。確かに、そうだった。
「すみません、訂正します。紫苑先輩」
「……今日は、許してあげる。さ。じゃあ、食べましょう」
あー、ほっこりした。ご飯も美味いし、先輩は美人で可愛いし。
正直、この時の俺は、想像もしていなかったのだ。
週末の日曜日。あんなことが待ち受けていたなんて。
………
……
そして約束の日曜日を迎える。
「……んんー?」
荷物をまとめ、家を出るとアパートの駐車場に止まっていたのは、大型の黒いバン。というか、見覚えしかない。
「卯花―、早く乗れー」
「あれ、なんで部長が?」
「釣りに行くんだろ? 早く乗れ。事情は行き道で話す」
「あ、はい」
とりあえず、行くしかないようだ。
ということで、ドアを開いてみると。
「……げっ!」
「げってなんだよぉ、卯花ぁ」
そこにいたのは、我もの顔でシートを倒し、くつろいでいる砂橋。
「お、お前も来るのか」
「うるせーやい、まりりん部長に誘われたらどこでもホイホイついてくのが私なんだよぉ」
いや、そこは選べよ。
「あっそ。んじゃ、隣失礼」
中はすっきりとした芳香剤の匂いがした。
「ふぅ、涼しー」
「──どう? 美女三人と海に行く気分は?」
「そりゃ、期待するなってほうが無理な話っすよね。水着とか、ハプニングとか……ぽろりとか」
ん? 今、背後から声が聞こえた。それに、部長や砂橋とかよりもずっとクールな感じの……。
「卯花。最低だな」
「最低ですね」
おいおい、なんだ? この状況は。
「え、何? まさかっ!?」
背後からプレッシャー。まるで、燃える炎を背にしたような緊張感。
──いかん! やられ……!
咄嗟に俺はドアを開け放ち、体を車外へと。
しかし。同時に、後ろ首を掴まれる。まるで、万力だ。動けない。
「何処に行こうというのかしら? 礼君」
「い、いやぁ。俺は原付でいいかなぁとっ!」
「一人用の原付で? ここから50キロもあるのに?」
俺の背後にいたのは。
「……紫苑、先輩」
自称、俺の婚約者にして、最強で無敵の美女。西園寺紫苑先輩だった。
「どういうことかしら? 私に一言も言わずに、茉利理達と出かけるなんて」
「い、いや! 俺! 部長と砂橋がいるなんて聞いてなかったんすよ!」
「……本当?」
先輩は俺から視線を外して、運転席の部長へと向けた。
「まあ、伊坂が言ってないなら聞いてないんじゃない? 本人も昨日、アニサキスに当たって、病院だしな」
あいつ、生牡蠣の次はアニサキスかよ。海産物とよほど相性が悪いようだ。
「……そう、なのね。ごめんなさい、早とちりして」
「い、いや、分かってくれたならそれで」
「でも、期待しているのね。ポロリ」
「ひっ」
くそぉ! 本音が漏れていた!
「礼君」
「は、はい!」
「ポロリなら私がいくらでもしてあげるから、他の人に求めないで」
おぅ、卑猥だ。嬉しい。
「分かりまし、た? でいいんですかね」
「ほら、痴話喧嘩してないでさっさと行くぞ」
そうして車は走り出した。
国道を走り、30分ほどで高速道路に乗る。
「まりりん部長。はい、お菓子です」
「ん? あ、食べさせてもらえる?」
「はい! ぐふふふふ」
奴はいつの間に、助手席に移動したのだ? まあ、それは先輩も変わらないか。先程までは三列目のシートにいたというのに、いつの間にやら隣のシートに移ってべったりともたれかかってきている。
「礼君は、どんな魚が食べたい?」
「うーん、そうですね。個人的には秋刀魚が一番好きですけど、この時期ならアジがいいですね」
「ええ。分かった。絶対に釣り上げてみせるわ」
気合いの入り方が違う。目のハイライトが一瞬消えた。
………
……
「とうちゃーく。いやー、運転疲れたぁ!」
そう言って、俺たちは車を降りた。
鼻には、塩辛い匂いがした。海開きをしていないから、浜辺には人もいない、いわゆる貸切状態という奴だ。
「お疲れ様です、まりりん部長、よければ肩をお揉みしましょうか? ……ぐへへへ」
そう言って、手をわきわきさせながら、砂橋は体を伸ばす部長へと近づいていく。
すげぇ、口角から垂れた涎だけで砂橋が何を考えているのか、俺でもすぐに分かる。
「そこまでしなくても良いぞー、よーしよしよしよし」
「ぐへへへへへ」
頭を撫でられれば、砂橋は一撃だ。
「さて、と。荷物運びますか」
早速トランクを開けて、クーラーボックスと竿の入った筒を取り出す。
「手伝うわ」
「いえいえ、男なんでこれくらい」
別に重くはない。どうせ、釣り場は防波堤の上だろうから、足場も心配ないから大丈夫だろう。
「ん、これも竿ですかね」
妙に薄汚れた筒が一本、トランクの奥に見つかる。
「卯花っ! それは!」
「え?」
俺が持ち上げると、部長はくっともはや手遅れとでも言いたげな顔をした。
「え、なんすか? これがどうかしたんですか?」
「卯花、落ち着いて聞いてくれ。それは妖刀……いや、妖竿なんだ」
なんだそれ、聞いたこともない。
「曰く、ぼうずの竿。その竿に触れた者は、その日一度として当たりを見ることなく、手ぶらで帰る羽目になる。悲しい呪いの竿だ」
「なんですってぇ!?」
なんて恐ろしい竿なんだ! 今日の釣りを当てにして、今月の生活費は一昨日の飲み会に使い果たしてしまったというのに!
「……ここから入れる保険はないんですか?」
「無い、訳ではない。むしろ、途方もなく簡単なんだ」
部長は真剣な顔で言った。
「──そいつで、この海の主に勝つしかない」と。
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