おまけ後日談

第17話  真夜中、東キャンパス脱出劇

「ん……ここは?」


 背中が妙に硬い。先程までベッドで寝たはずだ。


「やっと起きたでやんすか、卯花君」


「お、お前は!?」


 非常ドアの緑の光。それを背に俺の隣にいたのは。


「毛山!? 何故、貴様が俺の部屋に!?」


「落ち着くでやんす。周りをよく見てみろでやんすよ」


 あー、なんかむかつく。なんだこいつ、なんで裏切り者に諭されなければ……。


「ふぁ!? 何処だよここ!」


 見慣れない景色だった。浮かび上がるような非常階段の標識。随分と煤汚れたスライドドアと廊下。

 まさか、ここは。


「ここは──東キャンパスでやんすよ」


「なんだってぇぇぇ!?」


 俺は咄嗟にポケットの中にあったスマホを見た。

 指し示された今の時刻。それは。


「深夜、一時……だと?」


 無論、終バスも終電もない。

 となると、帰る方法はたった一つだ。


「歩いて帰れ……ってことぉ!?」


 ここから家まで多分、五十キロはあるのではなかろうか。


「……当然の報い、でやんすね」


「お前はな!」


 俺が何故ここに連れてこられたのか、全く見当も……あ、あー。

 もしも、本当にもしものことだが、これが部長の仕業なら、納得が行く。


「ようやく、この状況のヤバさが分かったようでやんすね」


「ああ。もしもここが本当に東キャンパスなのだとしたら……」


 突如、廊下の窓ガラスに何かがぶつかるような鈍い音が鳴った。


「ひぇ!? これは何でやんすか!?」

 

 薄いガラスには赤い瞳が二つ、黄色の嘴が引っ付いていた。まるで、俺たちを睨みつけるように。


「くそぉ!! 閑古鳥だぁ!!」


 噂に聞く、東キャンパスに存在する化け物。常に学生達を狙い、襲い、幾多もの人間を……食ったと言うのは聞いたことないな。うん。


「とりあえず逃げるっ!」


「ま、待つでやんす!」


 階段を下り、辛うじて開いていた教室に俺たちは身を隠した。

 正直、ここでは1人じゃ生き残れないからだ。


「毛山。なんか策はないか? この際、お前が裏切り者だってことは忘れてやる」


「ひ、酷いでやんす! おいらだって裏切りたくて裏切ったわけではないでやんすよ!」


「知るか! 結局裏切っただろ! 最後周回のサードライナーだって、エラーしたじゃねぇか!」


「それは……その、普通にミスしたんでやんす」


 ……いや、嘘なのか? 正直、分からない。


「……そうか。今はそういうことにしておいてやる。毛山よ、このキャンパスの脱出経路は知ってるか?」


 こいつはこの前も部長によってここに送られているはずだ。さすれば打開策を知っていても、おかしくはない。


「ふふ、おいらを誰だと思っているでやんすか?」


「おぉ!」


 正直、モブとしか思っていないが、少し期待する。


「このは恐らく、東校舎の2階でやんす。脱出経路は、一階に降りて、渡り廊下を渡り、西校舎の昇降口から脱出。校門まで走り抜けるしかないでやんす」


「なんだって!? 随分と遠回りじゃないか!」


「おいらの計算によると、そのルート以外は脱出不可能でやんす。閑古鳥が……奴に捕まるのが関の山でやんす」


「奴?」


 閑古鳥以外にもまだ脅威がいたというのだろうか?


「ええ。それは……」


 ぷるるる。俺のポケットから着信音が鳴る。 

 相手はどうやら、先輩だった。


「卯花君! すぐに音を消すでやんす!」


「え? なんで?」


「奴がっ! ……はっ!?」


 廊下の奥から、パタンパタンと足音が鳴る。

 すぐに分かった。何者かがこちらに歩いてきているということが。


「奴は、このキャンパスにおいて最も恐るべき化け物警備員──説教の荒牧でやんす」


「え? 説教?」


 ただ怒られるだけなら何も怖くは……?


「侮りすぎでやんすよ、卯花君」


 毛山は途端、走り出した。それに釣られるように俺も走り出した。


「おいおい! なんで逃げるんだ!? 事情を話せば、助けてくれるんじゃないのか!」


「甘い! 甘いでやんす! みたらし団子に粉砂糖をかけるよりも甘いでやんすよ!」


「なにが!?」


「奴の説教は三時間を裕に超えるんでやんす!」


「そりゃ逃げるな!」


 前言撤回。三時間の説教はもはや暴力に等しい。

 俺たちは、トイレに逃げ込んだ。しかし、足音は俺たちを追いかけてきた。


「……誰かいるのか!?」


 男の声が響く。


「おい、毛山。どうするんだ!?」


 俺は小さく一緒に隠れたモブへと問う。


「静かに! 奴は耳が遠いんでやんす! このまま行けば逃げ切れるでやんすよ!」


 ことん、かたん。足跡は俺たちが隠れた個室の前を通り過ぎた。

 息を殺す。確かにモブの言う通り、これなら……。


「ここか!」


「「っ!?」」


 嘘だろ? 奥の個室から一つづつ、確認するつもりか!?


「違うか、なら! ここか!」、


 次は奥から一つ手前の個室トイレの扉が開け放たれた。

 これではバレるのは時間の問題だ。


「モブ! これは逃げるしかないな!」


「でやんす!」


 幸い、俺たちが籠ったのは、入り口から最も近い所だ。ならば。


「タイミングを合わせろ。奴が次の個室に入った瞬間行くぞ!」


「了解でやんす!」


 また足音が響く。緊迫の瞬間。

 きぃと蝶番が音を立てた。


「よし! 今だ!」


「行くでやんす!」


 同時に飛び出す。音は完全に合った。


「よっしゃ! バレてないぽいな!」


「そうでやんすね!」


………

……


どうにか逃げ切って、俺たちは西校舎の昇降口へと辿り着く。そこでようやく、俺は先輩へと電話を掛けた。


「もしもし、先輩ですか?」

『礼君! 今、何処にいるの!?』


 随分と焦ったというより、心細いような声音だった。


「今、なんでか東キャンパスにいまして」


『……茉利理の仕業ね。許せない』


 おぅ、凄く怒っている。


『迎えに行くわ。走ってでも』


「いや! それは危ないですよ! こんな時間ですし!」


『いいえ、そんなもの関係ないわ。貴方が危機的状況にあるなら、私は婚約者として助ける義務があるもの』


 本気だ。今から本当に走ってきそうな気概を感じる。

 けれど、それはやはり。


「先輩。家で待ってて下さい。きっと今から帰れば、凄くお腹が空いていると思うので……そうだ、何か食べ物でも作ってくれませんか?」


『……礼君。でも』


「きっと俺がここから帰るのは困難な道です。それこそ、途轍もないほどに、危険で苦しい道筋かもしれません。でも、先輩が待っててくれるなら、俺は頑張れますから」


『……うん。分かったわ。でも、一つだけ、わがままを言ってもいい?』


「勿論」


『じゃあ、その、約束の確認を』


 約束。球技大会が終わって、先輩からお願いされたたった一つの小さなルール。


「はい。分かってます。──紫苑、先輩」


『っっっっ!!! ……うん。ありがとう、礼君。私待っているから。早く帰ってきてね』


 ぷつん。通話が切れる。それと同時に、俺の中で覚悟が決まった。


「毛山。帰ろう」


「愚問でやんすよ、卯花君」


 昨日の敵は今日の友とはよく言ったものだ。現に今、その言葉の本当の意味を痛感した。


「よし、残る脅威は、外の世界を牛耳る怪鳥だけ。走れば、行けるか?」


 俺はモブに問うた。すると、モブは冷静に首を振った。


「いいや、あれは根性だけでどうにかなるような相手ではないでやんす。何か、気を引くものを……はっ! 卯花君!」


 びしり、そんな効果音が鳴りそうな勢いでモブが指を差したのは、階段の横に何故だか落ちていたブツ。


「はっ! あれは!」


 黒豆パンだ! 本場、丹波の黒豆を贅沢に練り込んだうちの大学のスーパースター的名物パン。人を魅了する悪魔の発明品。


「毛山、あれがあれば!」


「はい! きっと行けるでやんす!」


 俺たちは、そのパンを拾うと、散り散りにちぎり手の中いっぱいに握り込む。

 舌の肥えた現代人すらも魅了するこれを撒き餌にすれば、逃げ切ることなど。


「よし、毛山。準備は出来たな?」


「もちのろんでやんす! ……卯花君。球技大会、ほんと凄かったでやんすね」


「毛山……」


 その目には、純粋な賞賛の色が濃く映っていた。


「おいら。正直、後悔しているでやんす。みんなを裏切ったことを。大切なものを守りたいなんて言い訳をして、手を差し伸べてくれる部長や卯花君から目を背けたことを」


「……モブ、お前」


 ああ。だからこそ、こいつは右も左も分からない俺をサポートしてくれたのか。


「謝る相手が違うぜ? 毛山。お前が謝らないといけないのは、部長やお前の持った下剤の被害を受けた奴ら。そして、バナナの皮とくさや爆弾で甚大な被害を喰らわせたサッカー部の連中だろ?」


 まあ、サッカー部の連中にやったことは、正直気持ち良かったから構わないがな。


「……行くでやんすよ、卯花君」


「ああ!」


 俺たちは鉄の扉を開け放ち、飛び出した。決して、もう振り返らない。少しの時間すらも勿体無いからだ。


 しかし。それと同時に奴らも動き始めたのだ。

 月光は黒き両翼の群れに、遮られる。空気が揺れたのがすぐに分かった。


「くっ! 来やがったか!」


 閑古鳥の群れだった。俺たちはパンを撒く。


「ほら! お前らはこれでも食ってるでやんす!」


 白いかけらはまるで雪のようにグラウンドに降り積もる。俺たちへと向かってきていたはずのその嘴は途端に方向を変えた。


「よしっ! これなら!」


 抜けられる! 校門まで行けば、きっと。


「行くぞ! モブ!」


 俺はさらに足を加速させる。だが。


「……モブ? 何をして」


「──どうやら、お別れのようでやんすね」


 毛山は、扉のまでで立ち尽くしていた。


「なにやってんだよ!」


「パン一つで、乗り切るには少し時間が足りない。おいらはそう判断しただけでやんすよ」


「だからって!」


「卯花君。知らないでやんすか? 鳥っていうのは光るものが好きなんでやんすよ?だから」


 眼鏡。モブは取り外すと、天高く掲げた。


「まさかお前!」


「行くでやんすよ。卯花君。元気で」


「くっ! くそぉぉ!!」


 もう助けられない。分かっていた。モブが眼鏡を掲げた瞬間、鳥どもの目の色が変わったような気がしたから。

 俺は、走った。振り返らず、頑なに前だけを見つめて、走った。


………

……


「くっ、毛山」


 校門の外、肩で息をしながら俺は硬く握った拳を鉄門へと叩きつけた。

 悔しかった。もっと話をすれば良かった。

そうしたらきっと。


「はぁ、おっそいなぁ。卯花。いつまで待たせるつもりだ、このバカ」


 ウィーン。前に止まっていた車の窓が開く。顔を覗かせたのは。


「ぶ、部長!」


 我らが部長、安斉茉利理の顔がそこにはあった。


「さ、家まで送ってやるから、乗りな」


「あ、はい」


「モブは……ま、いいか。裏切り者だしな」


「ええ。そうですね。裏切り者ですから」


 うん。過去は消えない。あいつは裏切り者だ。


「てか、なんで俺をここに連れてきたんですか?」


「罰。理由は言わなくても分かるな?」


「……すみませんでした」


 よし。これからは囁き戦術とかいうクソ戦術は使わないでおこう。

 またこんな所に来るのは、あんまりだからね。


「モブ。健闘を祈る」


 俺は、心の中で敬礼をしてから先輩の車へと乗り込んだ。

 同時に、響き渡った。

 それは、季節外れの蝉の声のように。


「ぎぃぃぃやぁぁぁぁ!!!」


 きっと、閑古鳥の鳴き声だろうな! 多分!

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