第16話  球技大会の終わりと粛清


「ぐはぁ!! 腹がっ! 腹がぁ!!


「衛生兵っ! 衛生兵っ!!」


ベンチはまるで蜂の巣を突いたような騒ぎだった。

痛みに叫ぶ者、それを運び出す者、審判に事情を説明し、中止を求める者。多種多様な地獄。


「やりやがったな! お前!」


「やっと効き始めたようでやんすね、全く」


 くいっ。モブは不敵な笑みを浮かべ、眼鏡をきらりと反射させる。


「お前! この手口のどこに誉がある!」


「おいらの誉は東キャンパスで死んだでやんす!」


「てめぇ!」


 胸ぐらを掴む。


「卯花。もういい、止めるんだ」


 部長に肩を叩かれた。振り返ると、あまりにも冷静な顔があった。


「問題ない、あたし達はまだやれる」


「何を言うかと思えば、ソフトボールは九人でやる競技でやんす。たった六人で何が出来るでやんすか」


「モブ。違うだろ、お前が内通者なら五人だ。今、何故お前は自分を含めた?」


 モブのメガネの奥の瞼がぴくりと動く。


「それは……」


「お前、本当はまだどちらに付くか、決め切れていないんだろ?」


「っ!? そんなわけないでやんす!!」


 おお。なんか感動的な流れになってきた。ポップコーンでも買ってこようかな。


「帰ってこい。毛山。これが最後のチャンスだ」


「おいらは! 大切なものを守りたいでやんすよ!」


 この野郎、まるで家族のように言うが、プラモデルだろ。まあ、それ程こいつにとって大切なものなのだろうが……。


「なら、覚悟しろ。この試合が終われば、あたしはお前を裁く。敵ならば、容赦はいらない。そうだろ?」


「くっ!」


 まるで、その言葉は鈍器。深く沈み込むような圧力が毛山にのしかかった。


「おい! テニサー! 早く守備に付け!! 棄権扱いにするぞ!」


 こうなれば、やるしかあるまい。俺は防具をつける。


「卯花! 行けるか!?」


「無論です!」


 俺はただ耐えるだけだ。


「紫苑! 大丈夫か!?」


「何か、勘違いしてないかしら?」


「「ひょ!?」」


 俺と部長の声がこだまする。


「私と礼君がこのチームにいるのならば──誰にだって負けないわ。例えそれが、メジャーで唯一の二刀流選手でもね」


「……先輩」


 本人の名前こそ出さなかったが、少なくとも俺にはすぐには分かった。あの人の飼い犬可愛いんだよなぁ。


「……確かに。そうだね。よし! みんな! 行くよ!」

 


………

……


「よぉ、最終回の一番バッターか。悪くない。俺1人では逆転できないってのが、な。唯一の残念なのは、お前らの守備が三人ほど足りてないことだな」


 流石の威圧感。これまで見た誰よりも、自信がある、覚悟がある、俺にはそう見えた。


「広いなぁ、レフトが」


 そう言って、二階堂はバットでレフトを指し示した。


「どんだけ広かろうと、打たせませんよ。あんたには、特にね」


「ふっ、ははっ! おもしれぇ。まあ、本命は俺じゃないが、打ち取ってみな」


 その言葉が妙に気にはなった。けれど、


(先輩、ここに投げ込むつもりでお願いします)


 自然と負ける気がしなかった。

 先輩のボールは文句無し絶好調だったし、俺自身も根性で覚悟が出来たから。


(さあ、始めましょう)


 ボールは飛翔する。真っ直ぐに俺の構えた場所に向けて。

 よし、このコースなら……。


しかし。


「っ!?」


 振り抜かれたバットはあまりにも正確に、ボールを捉えたのだった。


「ドンピシャぁぁ!!」


「っ! サード!!」


 ああ。忘れていた。今サードにいるのは、毛山だ。奴は、敵……。


「くっ! うわぁぁ!?」


 まるで、矢のように伸びた打球は、毛山のグラブに直撃し、三塁付近に溢れる。


「ははっ! 正直、ホームランを打ちたいところだったが、シングルヒットで許してやる! 卯花ぁ!」


 くっ、やられた。あの人も内通者の正体を知っているのだ、そりゃ狙うならば毛山の方向だろう。

 結局、送球は間に合わず、ノーアウト一塁。初めて、俺と先輩のバッテリーは走者を出すこととなった。


………

……


 手芸部側ベンチは、ようやく飛び出たヒットに大いに盛り上がっていた。

 その一方で、歌方はひどく退屈そうな欠伸をこぼす。

 分析した結果、西園寺紫苑の投げた球は、卯花礼の体のおおよそ三箇所に無作為に飛んでいく。

 それさえ分かれば、ボールに当てれる可能性は、三分の一。

 二階堂ほどの動体視力があれば、確率はもっと上がる。


「すげぇ! すげぇよ! 姉御! 二階堂の兄貴にどんな助言をしたんだ!?」


 こいつらはバカだ。巻き起こった現象を前に、驚くだけでその理由を考えようとは思わない。


「……簡単だ、私ほどの名探偵であればね」


「おぉ! すげぇ! すげぇ!」


 しかし、歌方自身、そんな愚かな人間を嫌いになることは決してない。

 何故ならば!


「賢いなぁ! 賢すぎる! 賢可愛い! 姉御!」


「ふふーん! もっと褒めたまえ!」


 何を隠そう、歌方彼方と言う人間は、褒められることが何よりも幸せだったからだ!


「ここからどうするつもりなんですかい!? 姉御!」


「どうもしないさ、相手がここから崩れる。それだけさ」


 あー気持ちいー。まさに有頂天。歌方はドヤ顔のまま、立ち上がった。


「君たちは、塁に出るだけでいい! 最後は、この私が決めてあげようじゃないか!」


 ……運動は苦手だが。もし、打てれば誰もが褒めてくれる。そう思うと、歌方の自信は水を吸ったスライムの如く肥大化していくのだった。


………

……


 一番の二階堂にヒットを打たれてから先輩の投球は乱れ始めた。

 二番バッターにはファーボール。三番はセカンドゴロ。しかしゲッツーは取れず、ワンナウト、二三塁。


「タイムっ! お願いします!」


 対する四番バッターに2ボールを与えたところで、俺は立ち上がった。

 すぐさま走る。先輩の元へと。

 

「先輩、大丈夫ですか?」


 一回戦からここまで、登板数は九回。無論、疲れも溜まってきているのだろう。


「…….礼、君」


 目尻に涙をためた先輩は、潤む瞳を向けてくる。


「私……ごめんなさい、打たれてしまったわ。礼君へと愛が負けるなんて……思ってもみなかったの」


 今にも、崩れてしまいそうな弱々しい声音。聞いているだけで胸が張り裂けそうだった。だから。


「負けてなんか、ないですよ。先輩」


「でも」


「でももへったくれもないです。負けてない、俺がそう言うんだから、絶対に負けてない」


 あまりにも子どもじみた論理だった。けれど、きっと、これでいいんだ。


「俺は、先輩を信じてる。だって、こんな俺のことを好きだって言ってくれた。愛してると言ってくれた。だから、どんな結果になろうとも……」


 すっと息を吐く。言いたいことは、胸の内から溢れ出していた。


「──俺は、先輩を嫌いになったりしない」

「……礼、君」


先輩の瞳に徐々に光が戻る。


「それに、この球技大会が終わったら、何か俺に言いたいことがあったんですよね?」


 確か、優勝したら……と言いかけていたから。

 変えて欲しいところでも、嫌なところでもなんだっていい。

 先輩のありのままの言葉を聞きたい。そう思う。


「……ええ。私、貴方にお願いがあるの」


 先輩は顔を真っ赤にして、視線を下へ向ける。言葉は少しずつ尻すぼみになっていた。


「では、先輩。この試合が終わったら、なんだって聞きます。あ、そのエッチなことは禁止ですけど……」


「──本当に?」


「ええ。ほんとです。勝っても負けても、俺は先輩のお願いを全力で頑張ります」


 この言葉に、一切の嘘はない。


「ほんとの本当に?」


「勿論ですよ、だから……」


 たった一つ、ここは。


「ええ、分かった。勝ちましょう、礼君」


 俺と先輩の心が一つに纏まる。細い一本の糸が真っ直ぐ絡み合って強くなる、丈夫になったような感覚。


「行きましょう先輩」


「うん。任せて、礼君」


 再び、俺は腰を下ろす。先輩の心を受け止めるために、先輩の愛は何よりも強い事を身を持って、皆に知らしめる為に。


(ここです! ここに!)


 投球フォームに入った。

 

「ストラィィク!」


 (次はここに!)


「ストラィィク! ツー!」


(最後はここにお願いします!)


「ストラィィク! バッターアウトォ!」


「ナイスボールです! 先輩っ!」


 あと一つ。それさえ取れれば、俺たちの勝ちだ!

 しかし、そう思った矢先。


「すみません、代打をお願いします」


 最後の打席。相手ベンチからはそんな声が聞こえた。


「──全く。やっぱり、私が打つしかないよね。これは」


 打席に入ってきたのは、小さな少女。


「……やっぱり、貴方が本命ですか。歌方さん」


 正直、この少女に先輩のボールが打てるようにはとても思えない。けれど、二階堂さんは言ったのだ。


──『本命は俺じゃない』と。

 そして、今は最終回、ツーアウト。ならば、やはり、彼女こそが。


「ヒットに、力入らないんだよ? 卯花礼。ただ、流す。相手の勢いを利用して、バットを当てる。実はそれだけで外野までは飛ばせるのさ」


「ふっ、だといいですけどね」


 その言葉には悔しいが、現実味があった。確かになと、こちらを納得させるような説得力があった。だが。


(先輩。この人を抑えて、優勝です!)


 ああ。なんと、熱い試合なのだろうか。別に、戦う喜びを理解したわけではないだが。


「ストラィィク!」


「くっ、速いね。やはり、初球で当てるのは難しい。いいよ、もうワンストライクあげる」


「ふっ。なら、お言葉に甘えて」


 二球目。


「ストラィィク! ツー!!」


 歌方はバットを振る素振りを見せなかった。言葉通り、本当に見逃すつもりだったらしい。


 三球目。俺たちの勝負の分け目。

 先輩のしなやかな指から放たれたボールは、確かに俺の求めたコースに飛んでくる。


「よしっ!」


 これならば。

 俺がそう思い、体をボールの正面へと合わせた瞬間だった。


「──ここ、かな?」


 緩いスイング。決して早くはない。その姿勢も決して、上手くはなかった。

しかし。


「ぐわっ!」


 そのバットのやや上部。ほんの数センチ掠めたのだ。

 ボールは同時に跳ね上がり、辿るはずであった起動を逸脱し、真っ直ぐに俺のマスクへと。


「「礼ィー!」


 一瞬、視界が真っ白に染まる。それは、恐怖だったのか、それとも驚きだったのか。分かりはしない。分かりはしないのだが。


「……………」


 辺りは静寂に包まれる。皆が息を呑むのに十分で、俺が状況を理解するにはやや少ない間隙。


「……ストラィィク!! バッターアウトォ!!! ゲームセット!」


「「うぉぉぉぉ!!!???」」


 歓声が上がる。

 なぜ? 今のはファールだろう?


「よく取った! 卯花!」


 部長は両腕をあげて、駆け寄ってくる。内野も外野も皆一様に。


「え?」


「ファールチップだ!! ファールチップ! バットに掠めたボールをお前がミットでしっかりキャッチしたから、ストライクになったんだよ!」


 え、なんだそのルール聞いたこともない。チョコチップなら分かるが。


「優勝した! 優勝したんだ!」


「あ、そうですか」


 確かにいつもと違って、ボールは体にぶつかっていない。ミットの中にはボールがある。マジで、奇跡的に捕れたのか。


「よっしゃぁぁぁ!!! 先輩!!」


「礼君っ!」


 自覚すると喜びが爆発する。俺は気がつけば、先輩と抱き合っていた。

 柔らかな感触が全身に伝わる。ああ、エデンはここにあったようだ。


「………ノケモンカードが。うぅ」


 勝負が始まる前に、終わってしまった歌方さんは果てしなく遠い目をしていた。

 なんか、ごめんなさい。



「両者! 整列!」


 俺たちは並ぶ。

 対戦相手へと手を伸ばす。


「やられたぜ、卯花。やっぱお前は侮れないな」


「過大評価ってやつですよ、二階堂さん」


 ぐっと力を込めて手を交わす。


「いや、お前の囁き戦術。随分と効いたようだ、こいつらにはな」

 

 二階堂さんはふっと息を吐き、涙を流すチームメイトへと目をやった。

 この人は、やはり良い人なのだろう。


「ん、囁き戦術? 卯花。お前、何を言ったんだ?」


 俺と二階堂さんの間に、部長が入ってくる。


「ん、簡単なことですよ」


「へぇー、どんな?」


「ふふっ。今日、うちの部長はノーパンだってね」


 言って、サムズアップを決めてやる。

 ……ん。


「……なるほど」


 …………ん? あれ、俺。今なんで。


「──殺す」


 ああ。終わった。なんで、口に出したのだろうか。


 こうして、俺たちの球技大会は最高の形で終わりを迎えたのだった。

……毛山がどうなったかって?

あー、あいつならこの後、終電が無くなったタイミングで東キャンパスに送られていた。今頃、閑古鳥の餌食になっているはずだ。

 俺? あー、大したことはない。部長のローキックによって右足が逆方向にフライアフェイしたこと以外は。

 まあ、なんというか。

 もう、ソフトボールはいいかな。


 

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