第15話  愛と嘘とセイロー丸


「どうだ、分かったか?」


 二階堂は打席からベンチに戻るなり、歌方へと尋ねた。

 愛の追撃弾の解析。それがわざわざここに彼女を連れて来た理由であるからだ。


「西園寺紫苑の球は、卯花礼を追いかける。それ以上でも、それ以下でもない」


 歌方は興味なさげに、スマホをいじっている。


「俺が聞きたいのは、ボールの軌道を予測する術なんだが?」


 しーん。やはり、無理矢理連れてきたのが、悪かったのだろう。まだ機嫌は直っていないようだった。


「分かった。今日勝てたらノケモンカードの新弾? だったか、もう1ボックス追加で買ってやる」


「ほんとぉ!?」


 よし、やはりノケモンカードさえあればどうとでもなる。二階堂は心の中でガッツポーズを取る。


「……こほん。分かった。分析してあげる。貸しだからね!」


 歌方の視線はすっとグラウンドの方へと向いた。


「勝負は、次の……いや、最後の打席。最終回の攻撃に賭けよう」


「それで勝てるのか?」


「分からない。けど、多分あの球の軌道を分かっても打てるのは、二階堂くらいだよ?」


 両手を広げて、首を振る歌方。流石の彼女にも、完全な攻略は不可能らしい。


「なぜそう思う?」


「え、だって、普通になんか卯花がやばいことやってるんだもん」


「なんだと?」

 

………

……


「よっ、手芸部の……モヒカンさん」


「あ? てめえ、ちょっと二階堂さんに気に入られてるからって調子に乗ってんじゃねぇ!」


「え、俺狙われてんの? ひぇー、男に興味ないんだけどなぁー」


 キャッチャー。それは扇の要とも呼ばれる、重要なポジション。

 その役割はボールを取ること。そして、守備を指揮すること。基本的に受け身なことの多い野球において唯一、他者に指示をすることができるポジションである。

 ちなみに……先程先輩に借りた本に全て書いてあったことだ。


「んじゃ、対戦よろしくっす」


 インコースギリギリに構える。ここなら打てまい。


「くっ!? なんて球だ!?」


 すぐさま2ストライク。ボールは取れないが、胸で受け止めるのには慣れた。痛いが、さっきまでと比べれば、何倍もマシだ。


(ナイスボールです! 先輩!)


(ええ。次は何処に投げればいいかしら)


(何処でも大丈夫です。俺が動いて調整しますから)


「ちっ! いい気になりやがって!」


 本で読んだ言葉、中々面白い本だったが、特に気に入ったフレーズがある。

それは。


「いいことを教えてあげましょう」


 囁き戦術である。


「あ? 急に何だ?」


 囁き戦術とは、打席に立ったバッターに話しかけることによってその集中力を削ぐことだ。即ち、気になって仕方がないことを囁きかけるという策。


「実は、うちの部長。──今日、パンツ履いてないんですよ」


「なっ!? なんだとぉ!?」


 その視線はショートを守る部長に釘付けだ。

 よっしゃぁぁ!! 隙を見せやがったぜ! 先輩! 今だぁぁ!!


(ええ!)


 豪速球が飛んでくる。まるで火でも出そうな良いボールだ!

「ストラィィク! バッターアウトォ!!」


「ぐっ……ナイスボール」


 心なしか、いつもより勢いがあった気がする。内蔵まで届く一撃だった。

 多分、部長の話をしたから……とかなのだろうか。


「スリーアウトォ! チェンジィ!」


………

……


「ほらね?」


 ベンチの上、一連の流れを観察していた歌方はげんなりと呆れた顔をした。


「確かに、あれは中々の策だ」


 対して二階堂は、ふっと笑みを溢すと感心したように両手を鳴らす。しかし、その自信満々の表情は崩れない。


「ならば、こちらは奴の囁きに惑わされぬように男として、怒りが湧いてくるような噂を流そう」


「ほう? 脳筋な二階堂のくせによく考えたね。どんなのにする気?」


「そうだな、例えば、こういうのはどうだ?」


………

……


 ピッチングは両者冴え渡り、互いに点が入らないまま、回は進む。というか、あの部長ですらもピッチャーライナーに倒れた球を俺達のような連中がまともに打てるはずもないのだが……。


 三回表。ついに打順は俺の番へと回ってきた。


「それじゃ、行ってきます」

「卯花! 打て! 打たなきゃ死ね!」


 部長のストレスはもう限界を超えて振り切っているようだった。何にそんなにイライラしているのか。


「どしたんですか? らしくない」


 ヘルメットを被って、俺が尋ねる。


「いや、何? 奴ら妙にあたしの足とか尻に視線を集めてやがるんだ」


「……ソーデスカー、ナンデデショーネ」


 あ、やばい。これ、バレたら殺される奴だ。俺は逃げるように打席へと向かった。流石にまだ死にたくない。


「お願いします」


 バットを手に打席に入ると、


「来たか、クズ野郎」


「え、えぇ?」


 殺意全開のキャッチャー。まるで、親の仇を見るような目で見上げてきた。


「言葉、強くないすか?」


「お前のようなクズの中のクズにはこれくらいでちょうど良いだろうが」


「こわっ」


 親父にもここまで言われた事はないぞ……。


「早く構えろ、二階堂さんが待ってんだろ」


「あ、はい」


 一瞬脳がフリーズしかけたが、どうにか立て直す。

 さて。


 ここまで、二階堂はストレートの速さ一本勝負。実に男らしい内容だ。しかし、弱点があるとするならば、コントロールのなさ。厳しいところに入れば打てやしないが、割とど真ん中に飛んでくることもある。


「行くぞ! 卯花っ!」


 腕が回転を始める。ボールが来るタイミングは俺が思うよりも一瞬早い。


「打てええ! 卯花ぁ!!」


「礼ぃ!!」


 任せろ、友よ。俺はバットを振り抜く……はずだった。


「んんん!!??」


 心なしかボールが曲がっているような……というか、その軌道はまるで……。


「──愛の、追撃弾。だと?」


 ベースの上、ボールは直角に曲がる。


「なっ!? なにぃ!!」


 友の絶叫がこだまする。


 まさか、先輩の長時間にわたる投球の結果、その愛がボールに染み込んでいるのかっ!?


「……へぐわぁ!!」


 直撃。そして、その場所は。


「礼ぃ! やばいぞ! 卯花のおしべがっ!!」


 誰のがおしべだ、こら。そんな細かねぇわ。言葉にする余裕もなかった。


「……すまん。卯花。大丈夫か?」


 必死に倒れまいと堪えていると、二階堂がマウンドから駆け寄ってくる。


「ぐふっ、平気です。完全試合は無くなりましたね、これで」

「は、いい目をしやがる」


「ええ。何せ、次のバッターは……」


 ベンチから先輩が走ってくる。

 心配そうな顔、まるで、自分のせいだとでも言い出しそうな暗い表情。


「礼君!? 大丈夫なの!?」


 何と言葉を掛ければいいか、一瞬迷う。けれど、考えてみれば、伝えたいことなんて一つしかない。


「先輩っ! あとはお願いします! 2人で取りましょう!」


 親指を立てて、一塁側へと歩く。流石に、走れはしない。


「──任せて。礼君。私。打つから」


 うん。そうだ、先輩にはそうあってほしい。美しく、冷静に。

 やれるべきことを終えた俺は、一塁に足を伸ばした。すると、


「なあ、お前さ」


一塁手が話しかけてきた。


「ん? 何すか?」


「お前、あの美人とノーパン部長に二股掛けてるってまじ?」


「は?」


 何だその根も葉もない噂。そんなわけが……はっ! まさか!

 相手のベンチ。途端に、頭に浮かんだその人へと視線を向ける。

 これは、歌方さんの!

 目が合うなり、歌方さんはなんか申し訳なさそうに手を合わせてくる。


 くそぉ! なんて酷いことしやがるっ!

 俺が強く唇を噛み締めたその刹那だった。

 キィーンとバットの快音が響く。


「うわっ!?」


 まるで弾丸の如く打ち出されたそのボールは俺の頬のすぐ横を通過する。


「ホーム、ラン……」


 まじか。おおまじか。


「「うぉぉぉぉ!!」」


 唖然とする俺をよそにベンチの奴らはサヨナラ勝ちでもしたのかというほど盛り上がっている。


「礼君。見ててくれた?」


 先輩は一塁側へと柔らかな笑みを浮かべて歩いてくる。


「はい。最高でした」


「頑張ったの。ボールは速かったけれど、礼君の言葉のおかげで打てたわ」


「そう言ってもらえたなら、デッドボール食らった甲斐がありました」


 俺と先輩は手を繋いで、ベースを一周してベンチに戻る。仲間達は、スタンディングオベーションで出迎えてきた。


「よくやったぞ! 紫苑! ……あと、卯花は……うん。よく当たってくれた」


 何だその聞いたことない褒め言葉。どんだけ褒めるとこないんだ。


「次はお前だ! 続けぇ! 伊坂ぁぁ!」

「お任せアレェ!」

「頼むぜ、親友!」

「ああ! 礼!」


 俺達は熱い握手を交わす。


だかしかし!

結果から言おう。奴は三振だ。

乗り始めた雰囲気は、あいつが殺したと言っても過言ではない。


「まあ、その、なんだ。締まっていくぞ! お前達!」

「「おお!」」


 その裏、俺達は守り抜く。しかし、最終回の攻撃は結果を出せず、奇しくも全ては最後の守備に委ねられた。

 ……のだが。


「ぐわぁぁ! 腹がぁぁ!」

「なんだ、急に……。みんな! どうしたって言うんだ!」


 5人が突如として、腹を抑え、悶え始める。

 これは! まさか!


「くっ! こんな時に! 卯花っ!」


「はい!」


 急いで、ベンチ内のドリンクを確認する。

 鼻を立てて、匂いを嗅ぐ。


「こ、これは!!」


「なんだ! なんなんだ!」


 ああ。なんて恐ろしいことを。


「部長っ! セイロー丸ですっ!!」


 史上最強にして、結構匂いで分かる下剤。


 ──奴が、俺たちを襲ったのだ。

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