第9話  匂いフェチ探偵は昼前に現れる。

「はぁぁ」


 朝食を食べ、大学へと向かう通学路。

 なんだか今日は、世界が随分と美しく見える。燦々と輝く朝日は、俺の中のメラニンとビタミンDを目覚めさせ、鳥のちゅんちゅんとうるさい声は俺の焼き鳥願望を加速させる……あー、寝不足のせいで頭がおかしい。


「大きな欠伸ね。昨日はあまり寝れなかったの?」

「いえ、なんていうか……色々捗ってしまいまして」

 

 あんな暴力的なボディで全身に密着されてしまえば、男なら誰だって悶々として寝れないはずだ。


「というか、先輩は今日全休ですよね?」


「ええ。まあそうね。でも、礼君が行くなら勿論私も行くわよ。昨日、ずっと一緒って言ったわよね」


「え、あれって昨日限りじゃないんですか?」


 確か頭を打ったからというのが、理由だったはずだ。


「言ったでしょ? ずっと一緒って」


 にっこりと先輩は笑う。ひえ。やっぱ狂気を感じる。まるで、獲物を見つけた肉食動物のような。

 とはいえ、それは一旦置いといて。


「今日は一限だけなんで、すぐ終わります。そのあとは、昨日の続きですかね」


 犯人探し。見つけなければ、球技大会はピンチだ。


「そう。今日はどこに行くのかしら?」


「えーと多分……あ、すみません。電話みたいです」


 うん。登録していないから名前は表示されないが、昨日見た番号だ。つまりは部長。


「はいはい。卯花です」


『おお、生きてたか。軍曹』


「ええ。エデンに行き損ねちまったようです」


 というか、先輩の家は天国だったから実質昇天している。


『今日は一限だけだったな。終わり次第、部室に来てくれ』


「え? 部室ですか」


『ああ。部室だ。現場検証をするからな』


「あーなるほど」


 先に言っておくが、今のはセクハラではない。


『あと消臭剤とありったけの芳香剤を買って来い。領収書もだ。部費で落とす』


「……了解です。ボス」


 確かにそれが無きゃ、現場検証どころではない。本物の天国にレッツラゴーしてしまうだろう。


『そんじゃ、また後で』


 電話は切れる。俺はスマホをポケットに戻して、先輩と共にコンビニへと向かった。


………

……


「ちわっす。買ってきましたー。匂い消し。ん、結構マシになってますね。匂い」


「おはよう、茉利理」


「おー、来たかー。バカップルめ。どうだった? 昨日はお楽しみだったか?」


 部室に入るなり、部長はにひひと笑って茶化してきた。その両手には消臭剤を二丁。まるで、ガンマンだ。どうやら先に来て作業しておいてくれたらしい。


「否定はしません。だが、肯定もしない」


 ある種、お楽しみではあったが、お楽しみではなかったからだ。


「ええ。お楽しみだったわ。けれど、礼君たら中々満足してくれなくて、少し困ったのよね。彼、こう見えて夜は野獣のようだから」


「ちょ! 先輩!」


 エッチはしていないぞ? となると、え? ……嘘。私、寝相悪すぎ? いや、そんなわけがないが。


「……卯花。お前、男になったなぁ」

 

 感慨深そうに、うんうんと頷きながら肩を叩いてくる。なんだ、この女。居酒屋のよっぱらいか。


「それはそうと、何か分かりそうですか? 犯人のこと」


「ああ。それに関しては、私の後輩に協力を仰いでいてね」


 タイミングよく、こんこんとノックが鳴った。控えめで、弱弱しい音だ。きっと細い華奢な指で叩いたのだろう。


「ふっ、来たようだね。彼女が」


「ま、まさかっ! 奴を呼んだのですか!?」


 奴は、やばいのだ。このテニス部において、先輩を光だとするならば、あいつは真逆、謂わば闇。いや、違う言うなれば、それは。

 扉が開く。


「し、し、し、失礼しますぅ!」


 身長は150センチあるか、ないかの小さな背丈。黒く巻いたくせ毛に、瓶底のように分厚いメガネ。黒を基調とした地味めファッション。


「よおし、よく来たなあ。りんりん。偉いぞぉ、頭を撫でてやろう。ほれほれ」


「ぐ、へへ。まりりん先輩に呼ばれたのなら、燃え盛る炎の中、底なしの海の中……悶々とする夜のベッドの中……どこでもお呼ばれします」


 名は、砂橋 鈴。通称──『匂いフェチストーカー』。俺が勝手に呼んでいるだけだが……。


「知り合い?」


「ええ。熱烈な部長のスト……ファンです」


 正直、ファンの域など軽くひとっ飛びしているが。何せ、常にスマホの待受は部長だし、噂によると部長の映っている写真のほとんどにその姿が見え隠れしているらしい。


「ぐへへへ……なんだよぉ、卯花もいんのかよぉ」


 頭を撫でられ、満足したのか、ようやくこちらを向けいた砂橋は目が合うなり、部長の後ろに隠れる。


「けっ、ご挨拶だなぁ。そっちこそ、幽霊部員なんじゃなかったのか?」


「うるせぇ。愛する部長に呼ばれりゃ、私は動くんだよぉ。お前こそ、帰れー」


 まるで、チベットスナギツネのような目だ。鋭いのか、間抜けでいるのか分りゃしない。


「こんにちは。砂橋……さん? 私は西園寺紫苑。茉利理の友人よ」


「……じー」


 歩み寄ろうとした先輩に対し、砂橋はさらに体を部長に貼り付けて隠す。ちなみに、じーと言うのはオノマトペではなく、砂橋が口で言っている。


「な、何かしら?」


「……じー」


「こら、りんりん。卯花はまだしも、紫苑にまで失礼な態度はダメだぞ?」


 俺はええんかい。まあ、俺としても既に諦めているが。


「……砂橋……鈴。二回生、です。よろしくお願いします」


「よぉし。いい子だぁ。それそれそれ」


 またも部長はわしわしと大型犬にするように砂橋の頭を撫で回す。


「ぐへ……ぐへへへ。いい匂い……」


 おいおい、女の子としてその笑い方はどうなのだろうか。ギリギリアウト……いや、普通にアウトか。


「あの、盛り上がってるとこ悪いですが、そろそろ始めてもらえます? 現場検証」


「おぉ! そうだったな。りんりん。何か分かりそうか?」


「え、と、その……部長。もしも、力になれたら、今度の休み……一緒に買い物とか……その」


「勿論だとも。全く可愛いやつめぇ」


「ぐっへへへ。なら……頑張ります」


すんと、砂橋の顔から表情が消える。同時に、すんすんと二度鼻が鳴った。


「──酪酸、カプロン酸……ロイシン、イソロイシン……」


「え? なに? それ?」


 復活の呪文か、何かか? 馬鹿だから、よう分からん。


「酪酸とカプロン酸は有機酸と呼ばれる酸の一種ね。ロイシンとイソロイシンはアミノ酸の一種だったはずよ。やはり、昨日の匂いの正体はくさやと納豆で間違いないようね」


「な、なるほど?」


 再び、二度、砂橋は大きく息を吸い込む。


「まだ、何か混ざってます……うーん、えぇとこれはぁ……アルカリ性の何か……だ思います」


「部長。消臭剤やりすぎたんじゃないですか?」


「うむ。ありえるな……」


「い、いえ。ちょっと違う感じが……市販の消臭剤ならすぐ分かります。多分これは、まりりん先輩が消臭剤を撒くより少し前に誰かが使ったのもの。業務用か何か、強力なやつ……だと思います」 


つまりは俺たちが来るより前に誰かが匂いを消しにきたと言うことなのだろうか。


「解せないですね。何故、わざわざそんなことしたんですかね。うちの部員がしたにしても、犯人がしたとしても、鍵を持ってる部長なしじゃ無理。……あ、というか昨日の一件でまた人員が減ったりしたんじゃ……」


「それは安心していい。カチコミが起こった時、部室に居たのは幸いあたしだけだ」


 絶対サボってただろ。何せ部長は暇な時は基本的にここで寝ているような人だ。


「……りんりんはどう思う?」


 部長は少し考えた後で、砂橋に尋ねた。


「え!? わた、私ですか。え、と、えーと。その私は、証拠隠滅……とかじゃないと思います。なんかもっと別な気が……分からないですよぉ!? 分かりはしないですけどぉ! そんな気がする……って感じ……です」


「なるほど。そうかそうか。よしよし。ありがとな、りんりん」


「どぅへへへへ」


 わしわしわし。ここぞとばかりに部長はまたも頭を撫で回した。次は、顎の下もだ。猫か何かなのだろうか。


「ねえ。茉利理。今からどうするの? 犯人探しをするにしては、手がかりが足りないわよね」


「そうだねぇ、これだけじゃちょっと分からない。てことで、卯花。お前、昨日襲撃を受けたサークル達に話を聞いて来い」


「え、俺一人でですか?」


「ああ。昨日みたいにあたしや紫苑が狙われるのは本意じゃないだろう?」


「まあ、そうっすけど」


「いえ、私も行くわ」


「紫苑。ここは大人しくしてて。卯花はこう見えて、結構頼れる男なんだ。それは紫苑も知ってるだろう?」


「で、でも」


「逆に、あたしや紫苑が行ったせいで、昨日みたいに卯花自身が怪我をする可能性もある。だから、ここは堪えてくれ」


 なんか、こう面と向かって言われると少し照れる。


「安心してください。すぐに帰ってきますから」


「……分かったわ。気をつけてね」


 結果から言うと、この時の部長の判断は正しかった。何せ、向かう途中。

 俺は、とんでもない奴らと出会うことになったのだから。


………

……


文化部の部室が数多くある第二部活棟。その裏手。いつも使う非常階段の前には二人の男だ立ち塞がっていたのだ。


「え、あのー、なんの用ですか?」


「へっ! お前がテニサー最強の男。卯花か! 聞いた噂と違って、随分と非力そうだなぁ!」


 二人ともスキンヘッド。ジャケットの袖はぎざぎざ、ジーンズはダメージ。なんともまあ、分かりやすい世紀末スタイルだ。


「くそぉ、先輩のツッコミが恋しい……」


 俺一人でこいつらのボケの大波を対処できる気がしない。


「覚悟しろよぉ、恨みはねぇが。来月の家賃のために病院送りだぜ」


「やるんだな兄貴!」


「ちなみに、テニサー最強は俺じゃなくて部長ですよ? 男も女も含めれば」


 というか、まともに喧嘩すらしたことがない俺に何故そんな変な評価が? というか、こいつらほんとにうちの学生なのだろうか。

 

「──おいおい、男の癖に2対1とは、気に食わんなぁ」

 背後から声がした。ドスの効いたいかつい声音だ。最近聞いた覚えがある。

 よし、とりあえず顔を見てみよう。

 振り返ってみると。


「あ、二階堂……さん? でしたっけ? こんにちは」


「ああ。昨日ぶりだな、卯花」


「あの、臭いんでちょっと離れてもらっていいすか?」


 昨日の匂いが残っている。鼻の奥がぎゅんと変になりそうだ。


「けっ、かまいやしねぇ! ボコボコにしてやるぜ!」


「ふっ、卯花。準備はいいだろ? 見せてもらうぜ? お前の実力を」


「ふん。いいっすよ、見せても」


 息巻いてみたものの、これからどうしよう。

 俺はグッと拳を握ってやった。

 こうなったら、やってやるしかない。


「かかって来い! ごろつきがぁぁぁ!」


 こうして、俺たちの戦いが始まったのだった。正直、二階堂さん一人で事足りるのだろうが。


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