第5話 荒い鼻息と彼女の理由。
一人暮らしのアパートは狭いもので、ベッドと座卓、座椅子、そして、本棚とテレビ台を置けばすぐに窮屈になる。
だが、俺は今初めて、この家賃30000円、敷金礼金あり、八畳ワンルームの部屋に感謝していた。
「ふ、ふぅーふぅー」
そう。音が聞こえるからだ。なんのって? それは簡単、シャワーの音だ。無論、隣の部屋から聞こえる訳ではない。自分の部屋の、それも毎日自分が使っているバスルームから聞こえるのだ。
『礼君? シャンプーとボディーソープ借りてもいいかしら?』
「は、はい! も、も、も、勿論っす!」
反響した声。どこか艶かしさを感じる。……というか、先程から心臓がバクバクとうるさすぎる。ヘビメタでもやってんのか。
「ふ、ふっー」
ああ! なんか呼吸も上手くできなくなってきた。今なら鼻息で、空でも飛べそうだ。
よし。こういう時は……。
「スマホゲーでも……そうだ、もう無いんだった」
くそぅ。どうしろっていうんだ。期待と不安で、心が持たない!
とりあえず、何食わぬ顔をして、ベッドに横になってみる。
今日は、本当に波乱の連続だった。あんなに美人な先輩に起こされて、大学に行って、授業を受けて、サークルに行って……。
だんだんと瞼が重くなっていく。思いの外、疲れていたのかもしれない。
「少しだけ……寝ても、いい、か」
口に出すと、途端に気が緩んで、柔らかくマットレスに沈み込むように意識は夢の世界に巻き込まれていった。
………
……
──『え? あんた本気だと思ってた訳? ははっ! 冗談に決まってんじゃん! あんたなんかが私に釣り合う訳なくない?』
「っ!」
はっとして、目を覚ました。
窓辺ではカラスがどこへ向けてか、奇声をあげている。ゴミ収集車の機械音がうるさい。
「んー……うん。最悪の目覚めだ」
自然と引きずるような眠気はなかった。
「今何時じゃー」
枕元のスマホを確認する。
現在、6時半。今日は二限からだ、少なくともあと三時間は寝れる。が、なんとも二度寝したい気分でもなかった。
「よっと」
ベッドから立ち上がって、洗面所へと向かう。
「あ、先輩は……いないよなぁ」
呆れて帰ってしまったのだろう。当然だ、たった20分ほどのうちに寝落ちするような男に愛想を尽かしていてもおかしくはない。
「というか」
実は昨日のことは全て夢だったのではなかろうか? そうだとするならば、全てのことに納得がいく。
何せ、俺は平凡凡太郎でトラウマ持ちなちゃらんぽらん。対して、先輩はとんでもない美人でしっかり者。
どれだけ考えても、惚れられる理由が一つも思い当たらない。
「……そっか。夢か」
急に切なさが込み上げてきた。なんというか……うん。夢で見るくらい拗らせていたとは。
「よし、朝飯食うか」
冷蔵庫を開けて、魚肉ソーセージを引っ張り出す。上手くはないが、コスパは最強、一人暮らしの強い味方。
もしゃもしゃと咀嚼しながらテレビをつける。
『本日の天気は……』
どしゃぶりになれ! 心中で叫ぶ。
なんとなくやりきれないし、今日は洗濯物も干してはいな……。
「あれ、昨日干したような……」
それともまだかけてなかったっけ?
俺はとりあえず部屋を出て廊下。洗濯機へと。
「ん……んん!?」
何故だか、全て畳んで洗濯機の蓋の上に置いてある。
「お、おかしいなぁ」
畳まず、適当に丸めてクローゼットにぶち込むのが俺の流儀だ。……断じて面倒臭い訳ではない。
その時。
ピンポーン。ちゃちな呼び鈴が鳴った。
「え、何。早くね? はーい、今出まーす」
郵便物にしては早すぎる。さては、何かのセールスか? にしても早いよなぁ。
恐る恐るドアを開いてみると。
「おはよう、礼君。朝食を作ったから良ければ食べに来てくれる?」
「え! あ! ん!? 先輩?」
「どうしたの? 幽霊でもみたような顔をして」
先輩は俺の反応を不思議に思ったようで、怪訝な目を浮かべる。
「いえいえ! なんでもないっす!」
「そう。なら、いいわ。さ、私の部屋に行きましょう」
「ちょ、ちょっと! 先輩!?」
手を引かれる。咄嗟に両足をサンダルに突っ込んだ。
階段を降りて、横断歩道を渡る。
「ま、まさか。ここ……が?」
「ええ。昨日越してきたの」
アパート正面のマンション。俺の中で、通称『ご立派様』と呼んでいた建物だ。
「そ、そうっすか。って、昨日越してきた?」
「ええ。ここに住めば、一緒に学校にも行けるし、帰りも一緒でしょ? だから、昨日昼休みの後、生徒課に住居変更の手続きをしに行ってたのよ」
点と点がまるで、一本の線によって繋がれていくような感覚。だから、先輩は昨日何食わぬ顔で一緒の方向に帰っていたのか。
「にしても、早くないっすか? 普通引越しならもう少し時間とか」
「荷物は生憎少ないし、昨日は礼君の授業の間は暇だったから。私、昨日は全休だったの」
それにしたって、行動力が凄すぎる。フッ軽すぎるぜ。先輩。
「さ、行きましょう? 今日は二限からよね? 朝食を食べたら一緒にゆっくりしましょう」
「う、うっす」
正直、混乱はしていた。けれど、それよりも、夢じゃなくて良かった。そんな気持ちの方がずっと強かった。
まだまだ、俺と先輩の生活は続いていくらしい。
「あ、そうだ。今日はちょっと俺サークルの用事で遅くなります」
「用事?」
「はい、今度のサークル対抗球技大会のメンバー決めがありまして」
「へぇ。そう。私よりも大事なのね」
「す、すみません。勘弁して下さい。埋め合わせはするので」
ああ。重い。やはり、先輩の愛は。
けれど、なんとなく一緒にいたいとも思うのだから、不思議だものだなぁ。
がちゃり。扉が開く。
「お、お邪魔します。……広いなぁー」
恐らく、部屋の広さは倍以上だ。家具やカーペットもシックな雰囲気で俺の部屋なんぞとは比べ物にならないくらいオシャレだ。
「くつろいでて。今、テーブルに並べるから」
入り口のエントランスを抜けた時から思っていたが、ここの家賃はいくらするんだ? ひょっとするとうちの倍以上はしていそう。
「さ、食べましょう」
「はいっす」
朝食はザ・日本の朝と言ったメニュー。焼き魚に味噌汁、お漬物。
味も勿論うまい。
「ふぅ、ご馳走様です」
「ええ。お粗末様。味は、その……口にあった?」
「はい。最高でした。俺、皿洗いますよ」
そう言って、俺が立ち上がったところで、スマホから着信音が響いた。
「あら。電話?」
「そうみたいっすね。ちょっと失礼します」
一旦、リビングを出て廊下で電話に出ると。
『卯花! 大変だ!』
電話番号だけでは相手が分からなかったが、声ですぐにピンと来た。
「え? 部長? どうしたんです? そんなに慌てて」
『伊坂と暮宮! あと二年生と三年生のほとんどが!』
「え!? なんですか! 何があったって言うんですか!」
部長はこっちにも聞こえるくらい大きく深呼吸をした。不安がどんどんと募ってくる。
『落ち着いて聞いて』
「落ち着いてます!」
一瞬の間が開く。
『一昨日の飲み会。覚えてる? 何が出たか?』
「え? 覚えてる限りでは……唐揚げとか、串カツとか馬刺し……はっ!? まさか!」
嘘だろ。そんな、そんなことって……。
『察したようだな。卯花。そう、あれだ! あれのせいなんだ!』
「ええ! あれですね! くそぅ! あれのせいか!」
『──ああ。生牡蠣だ』
やはりかっ! 俺は恐らく、先輩と一緒にいたっぽいからたまたま食べてなかったのだろう。
「どうすんですか! 球技大会は今週の土曜っすよ!」
今日は火曜。時間があるようでない。メンバー決めをして、対策を練る時間も必要だからだ。
『ああ。今の状況はすごくまずい。だから、昼休み後に緊急サークル会議をする!』
「ええ! 分かりました! どうにかしましょう! 俺たちで!」
『ああ。やはり君に電話して良かった』
ぷつん。通話が切れる。
果たして、どうなるのか。
「どうかしたの? 礼君」
「あ、先輩」
大きな声を出したからだろう。先輩が心配そうに扉からひょっこり頭を出してこちらを見ていた。
「その、球技大会がちょっとピンチでして」
「へぇ。何かあったのかしら?」
「ええ。ほとんどの連中が牡蠣にやられたようで」
「え? そんなことあり得るの? 一昨日なら、お店よね?」
「生牡蠣……だったんです」
「それなら……あり得るわね。ちなみに、どんな競技があるのかしら?」
「えーと。確かサッカーにソフトボール、男女混合テニスと……」
「──出るわ」
先輩はやけに気合いの入った声で言った。
「え?」
「私も、出てもいいかしら? 男女混合ダブルス」
「え、そりゃ願ったりですけど、どうして?」
「礼君。逆に考えなさい? 男女混合ダブルスで貴方が他の女と出ると、私はどうなると思う?」
「え? 怒る、とかですか?」
先輩は静かに首を振った。
「いいえ。別に、怒ったりはしない」
「なら、どうなっちゃうんです?」
「──死ぬわ」
「oh……」
ベリーヘビーだ。
「だから、私達が一緒に居続けるためには、そうするしかないの」
「な、なるほど……」
ああ。散っていった友達よ。やっぱり先輩の愛は重いぜ。
「と、とりあえずそろそろ行きましょう。早めに状況を確認したいですし」
「ええ。分かったわ」
そうして、俺と先輩は共に大学へと向かったのだった。
果たして、一体どうなる!? 球技大会!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます