第4話 戦え。栄光(イベリコ豚)を手にしたくば。
「ねぇ、礼君は夜、何を食べたい?」
大学を出てすぐ、近くのスーパーにて、先輩は買い物カートを押しながら聞いてきた。
「え、あ、なんでも食います!」
野菜、肉、魚、なんでもござれ。と言っても、一人暮らしのせいか、随分と偏った食生活になってはいるが。
「そう。なら、シンプルに生姜焼きにでもしましょうか」
野菜のコーナーでキャベツを取って、お肉のコーナーへ。
「あの、カート押しますよ?」
「大丈夫よ。別に二人分の食品なら重くもないわ」
「いえいえ、そういう問題じゃなくて」
ご飯まで作ってくれる人(なぜかは不明)におんぶに抱っこでは格好がつかない。何か少しでも、手伝いたいと思うのが、人の心というやつだ。
「……分かった。じゃあ、頼もうかしら。そろそろ時間だしね」
「ん? どういう意味ですか?」
「まあ、気にしなくて良いわ」
「うひょ!」
カートの持ち手を取ると、伸ばした腕に先輩が引っ付いてくる。
やはり、でかい。マスクメロン……いや、それは言い過ぎか。グレープフルーツくらいだ。なんにしても、この世のものものとは思えぬほどに、神秘的な感触だ。
俺が先輩にうつつを抜かしていると、自然と人がお肉のコーナーに集まっているのが見える。
「先輩、このスーパー妙に混んでませんか?」
「ええ。何せ今日は……」
先輩はすっとハンドバッグから一枚のチラシを取り出した。
「……特……buy?」
「ええ。先着五名様限り、最高級イベリコ豚ロース二百グラムが三百円」
「え! 安っす!」
詳しくはないが、最高級のイベリコ豚と言えば百グラム千円はくだらない。要は、この世の至福をあらかた享受し育った豚だ。人間に例えるのであれば……いや、仮にも食品にそれは止めておこう。
「なるほど、だからこんなに……」
「ええ。だから、もはやここは戦地のど真ん中。見なさい、既に狂った熱気に支配されているわ。……豚肉に火が通りそうなほどにね」
「あ、はい」
クールな先輩のテンションがおかしい。まあ確かに、周囲の数人は、腕をパキパキと鳴らしている。……服の袖も何故かギザギザしているし、謎の強者感を醸し出す連中もいる。
「よう、礼。じゃないか」
聞き覚えのある声。振り返ると。
「お、慎……慎二」
頭には包帯。四肢には湿布の数々。中々の満身創痍だ。
「なんか、すまん」
「ん、なんの話だ?」
「いやぁ……その、ね? お昼のね?」
先輩が隣にいるため
「この傷のことか? 悪いが、記憶がないんだ。晶に三階から落ちたとは聞いたんだが……礼、何か知っているのか?」
「い、いやー。知ってるっていうか、なんというか。そ、そうだ! お前もイベリコ豚狙いか?」
話題を逸そう。慎二としても唯一の長所であるパワーにおいて、先輩に負けたという事実は知りたくないはずだ。
「ん、いや。悪いが、油物は控えててな。俺の狙いはこれだ」
慎二はタンクトップの……というか重厚な胸板の狭間から、チラシを取り出した。てか、チラシ持ち歩くの流行ってんのか。
「プロ御用達、これでムッキムキプロテインて……」
あまりにも馬鹿が引っかかりそうな薄っぺらい名前の商品だ。特売というより在庫処分だろ。
「あら。狙いは違えど、貴方も同業者って訳ね。名前は確か……」
「慎二です。礼をお願いします。西園寺先輩」
「ええ。彼を離すつもりはないわ。秋道くんにもよろしく伝えてくれる?」
「多分、晶のこと……ですかね」
興味なさそうと言うか、覚える気がないというか……。
『──只今より、特売品のセールを行います』
「「!!」」
辺りは途端に騒然となった。まるで、バトルロワイヤルでも始まりそうな……。
「じゃあ、礼君。一緒に取りに行きましょう」
「……いえ。先輩」
「何かしら?」
「ここは俺一人で行きます」
「本気?」
「いやいや、だって考えてください。あんな密集地に先輩みたいな綺麗な人を送ることなんて、俺には出来ません」
下手をすれば怪我をしてしまうかもしれない。それに先輩だって、あんな所に行くのは好きではないだろう。
「……そ、そう。優しいのね」
先輩は満更でもなさそうに前髪を指に巻き付けて、動揺を隠している。可愛い。
「てことで、カート。お願いします」
「分かった。じゃあ、待ってる。私、信じてるから。礼君」
「はい。信じて、待っててください」
死んでも、イベリコ豚を我が手中に。俺は覚悟を決めて、お肉コーナーへと向かった。
「はーい、特売始めまーす。皆さん、押さず、走らず、ゆっくりでお願いしまーす」
店員が商品を手にバックヤードから現れる。
瞬間、俺は走った。
「うぉぉぉ!!」
人の濁流を掻き分け、前へ前へ。
「くっ! なんて密度だ!」
あれだ。世界有数の滝を遡っているような感覚だ。けれど、前には進めている。
このまま行けば……
「ぐわぁ!」
冷蔵コーナーまでは残り、人の壁2枚。
しかし、俺はぶつかって、後方へと弾き返された。
「くそぉ! イベリコ豚までもう少しなのにっ!」
悔しさのあまり、拳を地面へと叩きつける。すると、一人の男が近づいてきた。
「兄ちゃん。あんたもイベリコ豚かい?」
サングラスにスーツ。見るだけでわかる引き締まった体の男。
要は、ヤクザだ。
「あ。そうっす」
「そうかいそうかい。なるほどね、なら!」
「っ!?」
野太い腕が伸びてくる。くそ、これは同業者潰しか!
「ほれ、捕まんな。生憎の人混み、立ちにくくて敵わんだろ?」
急報。ヤクザいい奴だった。
「ど、ども。それにしても、この壁を越えないとイベリコ豚までは届かないとは、かなりきついっすね」
なんという過酷。確かに先輩が戦場と言っていただけはある。
「安心しな。兄ちゃん、イベリコ豚の降臨までにはもうちっと時間がある。それより、だ。……兄ちゃん。手を組まないか?」
「え?」
手を組む……だと? たった五席をしかないのに?
「ここの特売はよく来るが、今日は来てるメンツが特にやべぇ。見ろ、あの最前列のババアを」
「は、はい」
ヤクザさんが指差す先、そこにいたのは花柄のシャツを着た老婆。
「奴は、『咆哮の幸絵』。得意の奇声によって、周囲の人間の隙を誘い、獲物を掻っ攫う一流のハンターだ」
「いや、それはただの迷惑客……」
何故、出禁になっていないのか不思議なくらいだ。
「次に、あいつ。壁際のジジイ」
「はいはい」
次にヤクザさんは壁から少し外れた老人を指差した。
「あれは、『スピードスターの一郎』。ブツが降臨した瞬間、目にも止まらぬ速度で人の隙間を駆け抜けて、掻っ攫う。あれも一流の狩人だ」
「えぇ、あの見た目でぇ?」
言っちゃ悪いが、今にもお迎えが来そうなよぼよぼ感。心なしか震えている気がする。
「最後に……奴だ。最前列左隅の小太りの男」
「……は、はあ」
デカいリュックの隅からはポスター。オタクと言えば、あれみたいな見た目をしたテンプレート。
「奴は最も恐ろしい。通称『転売ヤーの佐竹』。格安で、入手したブツを敗者に法外な値段でふっかけるモンスターだ」
「ただのクソ野郎じゃないですか」
「ああ。俺もそう思う」
「策は、あるんですか?」
俺は問う。ヤクザさんの瞳は、強者たちを見据えていながらも一欠片の諦めも存在しなかったからだ。
「ああ。ある。俺があの壁をこじ開けよう。その隙に、兄ちゃんがイベリコ豚を確保するんだ」
「そ、そんな……! それじゃあ、ヤクザさんが!」
「なぁに。俺は兄ちゃんの目を信じてる。お前の目は、愛した誰かのために戦う目だ。お前を信じずして、他の誰も信じられまい」
「……ヤクザさん」
俺はあんたと知り合えて良かったぜ。
「それにイベリコ豚を確保したら、俺はプロポーズしようと思ってんだ。ま、兄ちゃんと目的は一緒さ。だから、放っておけねぇ。仲間だからな」
「……なら、取らないとですね。俺も貴方も」
おいおいおい。ヤクザさん。それはこの戦場じゃ、死亡フラグだぜ? 思ったが、なんか気まずくなりそうだったから、言わないでおいた。
「さあ、そろそろ降臨の時間だ。俺が道を開いたら、振り返らず進め。分かったな?」
「ええ。貴方に何があっても、俺は振り返りません」
「ふっ、それでいいのさ。……よし! 今だ! 行けぇぇぇ!」
「うっす!!」
俺は駆けた。決して、振り返らぬように、ヤクザさんの覚悟を無駄にしないように。
「うぉぉぉ!」
一枚目の壁は抜けた二枚目。
もうヤクザさんはいない、自分で抜けるしか!
俺は覚悟を決めて、壁へと手を伸ばす。
その刹那だった。
「礼。何やら面白いことになっているじゃないか」
「っ! お、お前は!」
それは、スーパーに舞い降りた黄金のバルクの化身。
その名も。
「ふっ……はは! 遅かったな! 相棒!」
「どうやらプロテインは急ぐ必要がなかったようでな。それより、今はここが主戦場だろう? さあ、ともに戦うぞ、マイオンリーフレンド!」
「おう!」
うぉぉぉぉ! 俺たちの叫びがこだまする。
酷く、醜い戦いだった。それこそ、薄汚い人間の本質を覗くような阿鼻叫喚の大地獄。けれども、俺たちは。
「よぉっしゃぁぁぁ!」
栄光(イベリコ豚)を手にしたのだった。
「ヤクザさん、俺やりましたよ! 手にしたんだ! 勿論、貴方の分だって……ヤクザ、さん?」
元の場所に、ヤクザさんはいなかった。辺りを見回してみても、あの特徴的なガタイは見当たらない。
「どうした、礼?」
「いや、助けてくれた人がいたんだが……」
もう帰ってしまったのだろうか。いや、流石に結果も待たずに帰るような人ではなかった気がするのだが……。
「ふっ、元からそんな人はいなかったんじゃないか? お前の競争本能が、お前自身を鼓舞するべく作り上げた幻影……なに、ジムに半日篭って鍛えればよくあることだ」
「違うと思うけどなぁ」
とりあえず、先輩の元に戻ろう。見つからなかったら、二人分ということで通せばいいだろう。
「ただいまっす、先輩」
「おかえり、礼君」
「どうにか確保できました」
「ふふ、流石ね。じゃあ、そろそろレジに行きましょう」
「……そうっすね」
一体、どこに行ってしまったのだ。あのヤクザは。
「行くわよ、礼君」
「あ、はい。ただいまー」
トイレにでも行ったのだろうか。けれど、こんなタイミングで?
分からない。分からなかったが。
「まあ、いい……のか?」
いないのであれば、どうしようもない。
俺と先輩はそのまま支払いを済ませて、スーパーを出た。
そして、後日、一つの噂が大学で流れていたのだ。
とあるスーパーに出現する、特売の猛者『謎のヤクザ』という身に覚えがある噂が。
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