第3話
その男の名前はリアンドル。
彼もレインのパーティの一員で、エルフの魔法使いだ。
リアンドルは緑の模様が入った白いローブをはためかせると、しかめっつらで部屋に入ってきた。
「また喧嘩か? 君たちはいつになったら分別のある大人になるんだ?」
その細身の体は、グロンドの筋肉質な体格とは対照的だ。
エルフ特有の尖った耳を揺らしながら、リアンドルは溜め息をついた。その瞬間、彼の目が二人の間で奪い合っている本に留まる。
「ん? 何だその本は?」
レインとグロンドは互いに顔を見合わせた。沈黙が流れる中、リアンドルは眼鏡を上げ、本を観察しようと近づいてきた。
「見たことない材質だな。ちょっと見せてくれないか?」
その声音には、普段の冷めた調子とは違う、何かが混じっていた。レインは躊躇いながらも、本をリアンドルに手渡した。
エルフの魔法使いはしばらく表紙を確認した後、慎重に開き――
「こ、これは何だ!」
その反応は、この場の誰よりも顕著なものだった。彼はわなわなと震え、ページを丁寧にめくっていく。
「この絵も、この絵も。どれもこれもまるで本物だ! ま、まさか……これがあの“写真”なのか?」
「しゃしん? なんだそりゃ?」
グロンドの言葉に、リアンドルは本から目を離さすことなく興奮気味に語る。
「異世界の技術で作られた絵のことだ。今の勇者が言うには、彼の世界では一般的な記録方法らしい。私が所属する学会でも話題になっていたが、まさか本物を見れる日が来るとは……」
彼のページをめくるては止まらない。顔を赤くしてページに釘付けになっている。
「まさかこんな、これが本物なら……。レイン。君は一体どうやってこれを手に入れたんだ?」
ようやく本から顔を上げると、一転して訝しむような視線をレインに向けてきた。
「いや、その。これは神殿で見つけて……」
「神殿? まさか、ギルドに報告していないのか?」
その厳しい顔にレインは思わず目を逸らした。
「ええと、忘れてたんだよ」
その場しのぎの言い訳。
けれど、すぐに飛んでくるかと思われたリアンドルの叱責は、いつまで経っても来なかった。見れば、彼は顎に手を当て、何かを考えているようだった。
それからたっぷり時間を使ってから、彼はようやく口を開く。
「そうか。ならば、私がギルドに持っていこう」
「え?」
「これだけ薄ければ荷物に紛れてしまっていても仕方がない。ただ、報告しないのはギルドとの契約違反に当たる。だから、私が自然に発見したことにしよう。君の荷物の片付けを手伝っていたら、鞄の奥にあったのを見つけた。そう装えば、これは単なる軽微な見逃しとして処理され、君が咎められる可能性は限りなく低く――」
長い、とレインは思った。
確かに庇ってくれるのはありがたいが――
と、思った矢先、彼は見てしまった。
エルフは無駄に建前を語りながら、眼鏡を持ち上げる。だが、その反対の手は、あの本をそっとローブの中に隠そうとしているではないか。
その動きには既視感があった。それは、レインがギルドの報告をするとき、あの本を服の中に隠したときと同じだったのだ。
「待てよ、リアンドル!」
レインは声を上げた。リアンドルの動きが止まる。
「お前……本当にギルドに持っていく気なのか?」
「も、もちろんだ。これは学術的に非常に重要な――」
「嘘をつくな」グロンドが低い声で言った。「お前の顔を見れば分かる。初めて女体を見たガキと同じだ。貴様、自分で使う気だろう?」
部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
リアンドルが額に汗を浮かべてグロンドに詰め寄る。
「ば、馬鹿を言うな。あくまで学術的な興味からだ! この件は研究して、学会にも報告するのだからな!」
「馬鹿はそっちだ。俺は確かに学はないが、春画を研究する学会などないことくらい知っとるわい!」
「え、エルフにはあるのだ! 寿命が長く、その、催す時期が中々合わない我らは、そういうときの対策も研究しているのだ!」
それが本当かどうかは分からないが。
その反応から、彼もレインと同じ様に女性経験が乏しいことは明白だった。だが、そのやり方はあまりに陰湿すぎる。あれはレインが命がけで手に入れてきた異世界の春画なのだ。
「やめろ! そもそも、それはオレが手に入れたもんだぞ!」
その細い手から本を奪い取ると、二人の敵意が一斉にレインに向けられた。
「君のような小賢しい冒険者が持ってて良いものじゃない!」
「どっちが小賢しいんだ! 使うなら堂々としやがれってんだ!」
「黙れわっぱども! 本物の女を抱く勇気もないやつらは引っ込んどれ!」
三人の言い争いは、次第にエスカレートしていく。
そして、ついに我慢の限界を超えたリアンドルがレインに飛び掛かってきた。そこにグロンドも参戦し、殴り合いが始まった。
「これは俺の娼館への招待状だ!」「な、何を! この乱暴者!」「返せ、この陰湿眼鏡エルフが!」
部屋の中は修羅場と化し、窓枠がガタガタと音を立てる。本を巡って拳が飛び交い、蹴りを繰り出し、そして頭突きをぶつけ合う。
そんな中――誰もが気づかなかった。
部屋の入り口に、小柄な影が忍び寄っていたことに。
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