第15話 わかりづらい溺愛

 未だ混乱状態の私を見て、主任がくすりと笑った。


「とりあえず落ち着け」

「は、はい」


 私は大きく深呼吸を繰り返すと、姿勢を正して再び主任に向き直った。


「あ、あの……。私のこと好き、って……いつから……ていうか何で……」

「……お前が入社して何か月か経ってから、かな」

「そんな前から!?」


 でもそんなそぶり少しもなかった。

 主任は私の教育係だったけどものすごく厳しかったし、今みたいに優しい顔なんて見せてくれたこともなかったのに……。


「何人も新入社員を見てきたが、どれも俺が何か言えばすぐに落ち込んで誰かに慰められながら仕事をこなした。誰かの手を借りながら、自分で考えるでもなく、ただ仕事を終わらせることだけを考えた。もちろん、それが悪いとは言わない。誰かの手を借りながらも仕事さえきちんとこなすなら、あの佐倉よりはマシだ」


「ご……ごもっとも……」


 手を借りるというよりも彼女の場合は私に丸投げしていたのだから、そう言われても仕方がない。


「お前だけだ。たった一人で、わからないことは聞きながらも決して誰かに頼ることなく、仕事を終わらせたのは。それだけじゃない。企画そのものの問題点にまで気づき、それに対する解決案まで提出してきただろう?」


「ぁ……」


 そんなこともあった。

 集中して書類を確認していたらその内容の矛盾点に気づき、矛盾点を正常化するための解決案を考えて提出した私は、後からものすごく後悔したものだ。


 新人が与えられた仕事外にまで口を出すだなんて、生意気だったかもしれない、と。


「残業しながらそこまで仕事をきちんとこなすお前を目で追うようになった。だからだろうな。隠していただろう村上とのことに気づいたのは……」


 主任の視線が伏せられ、眉間に皺が寄る。

 何かに耐えるような、それでいて未だ色気を含むその顔に胸が大きく高鳴る。



「正直、なぜ目で追うだけでお前に近づこうとしなかったのかと、情けない自分を責めた。あの日、1人泣くお前を見た時、一時でもあいつにお前を取られたことに苛立ちを覚えた。それと同時に、俺はもう大切なものを諦めないと決めたんだ」


「主任……」


 惚けている私に、主任の真剣な眼差しが向けられる。

 逃れることを許さない、真っ直ぐな瞳。


「水無瀬。俺はお前が好きだ。俺のそばは多分、色々……大変だと思う。だけど必ず、お前を守ってみせるから。……だから──俺の傍にいてほしい」

「っ……」


 押し込めようとしていた主任への思いが一気に流れ出す。

 自分の気持ちに、素直になっても良いだろうか?

 私が主任の隣にいて、迷惑じゃないだろうか?

 釣り合いが取れないんじゃ……?


 いろんな思いが混ざり合って、だけど最後に残った思いは、たった一つ。


「私も、主任が好きです」


 口をついて出てきた言葉。

 自分でも驚くほどに自然に、何も考えることなくするりと飛び出したそれに、主任の瞳が大きく見開かれた。

 と同時に私の腕は勢いよく主任の手によって引かれ、身体はその逞しい胸に引き寄せられた。


 ドクンドクンドクン──。


 耳にダイレクトに響く打ち付けるような早い心音に、妙に心が落ち着く。



 

「大切にする。俺はあまり、表立って優しくできるような器用な人間ではないが……」


「いいえ。主任が優しいのは、十分わかってます。新入社員の時からずっと、私にイチゴミルクを差し入れてくださったの、主任ですよね?」


「!! 気づいていたのか?」


「はい。この間の優悟君とのトラブルの時、主任からイチゴミルクの匂いがして」


 始めはまさか、とは思った。

 あの鬼主任とイチゴミルクの飴がどうしても結びつかなくて。


 だけど冷静に考えてみて気づいたのだ。


 その、わかりづらい思いやりに。


「主任、不束者ですが、どうぞよろしくおねがいします」

「ふっ、なんだそりゃ。嫁入りか。まぁ、いずれはそうなるからいいが……。こちらこそよろしく」


 ゆっくりと近づいてくる端正な顔に、つられるように目を瞑ると、触れるだけのキスが落ちる。


「とりあえず、ここまで。あまりやりすぎると、場が場だ。止められなくなる」

「っ……!!」


 止められなくなる、って……!!

 止めないでほしい。

 でも止めてほしい。


 二つの矛盾した感情が脳内をめぐる。


「物欲しそうな顔するなって」

「なっ、そんな顔──っ!!」

「ゆっくり進んでいこう。心配しなくても、時間はたっぷりある。何十年もな」

「っ……はい……!!」


 そして私たちは、距離を取っていた布団を隣通しにくっつけて眠った。


 すぐ隣に主任がいると思うと緊張して、しばらく目を瞑るだけで眠ることはできなかったけれど、いつの間にか睡魔はやってきて、私は夢の中に落ちていった。





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