第10話 包み込む熱に

「別れた人と二人でご飯なんていけないよ」

 にっこり笑って拒絶する。

 私から断りの言葉が出るとは思っていなかったのだろう。

 目の前の優悟君はぽかんとした顔で口を半開きにして私を呆然と見下ろしている。


「それに、佐倉さんが言ってたよ? 私にはカッコいい彼氏がついてるから、先輩の手なんて借りなくても終わらせるって。こんなところにいて良いの?」

 暗に佐倉さんとのことを知っているということを含ませる。

 これくらい許されるだろう。

 怒っていないわけではないのだから。


「お前……何で……」

「罰ゲームなら、私はあなたと付き合ったことはノーカンでいいよね?」


 元彼だなんて言わないし思わない。

 私は笑顔でそう言うと、彼に背を向け、再び第一会議室へと足を進めた。


 これでいい。

 私は、ちゃんと変わりたい。

 自分を大切にできる自分に。

 嫌なことは嫌だといえる自分に。


 主任の隣に立っても、不釣り合いだなんて思われない自分になる。


「っ、おい待てよ!!」

「痛っ!!」

 突然すごい力で後ろから腕を引かれバランスを崩した私は、優悟君の方へと倒れ──。


「水無瀬!!」

「!?」


 ──優悟君の者ではない暖かいぬくもりが、私を包み込んだ。



「大丈夫か?」

「しゅ……にん……?」


 優悟君の胸に倒れ込みかけた私の身体は、突然現れた主任の長い腕によって抱きしめられるようにして支えられていた。

 暖かい。

 硬い胸板と心臓の音がダイレクトに聞こえて、思わず顔に熱がこもる。

 と同時にかすかに香るのは、イチゴミルクの甘い香り。


「主任……何で……」

 呆然とした様子で優悟君が口を開く。


「第一会議室の中にまで聞こえてたぞ、声。口説くのは結構だが、無理矢理はいただけないな」

「そ、それはっ、でも俺達は──!!」

「ただの同僚、だろう?」

「っ……」

 何も言えずに口ごもる優悟君。


 私たちの関係を秘密にしていたのは優悟君だ。

 別れて今更それを口にすることはできない。

 全て、自分が蒔いた種。

 だから縋るようにこちらを見られても、何も言ってはあげない。


「俺は水無瀬と打ち合わせがある。お前は早く帰れ。あぁいや、お前を待っているやつがいるんだよな?」

「ぐっ……」

「行け」


 有無を言わせぬその圧に、びくりと体を揺らしてから、優悟君は顔をゆがめて去っていった。

 私はしばらくそれを見つめ、ふと自分の置かれている状況に気づく。


 わ、私……今、主任に抱きしめられて……!!

 と、とりあえず離れなきゃ!!


 思考が回復してすぐに主任から身体を離すと、私は彼に向かって頭を下げた。


「す、すみません主任。お手数をおかけして……」


 この間から迷惑をかけっぱなしだ。

 見放されても仕方がないというのに、主任は特に気にした様子もないどころか、わずかに頬を緩めた。


「いやいい。それより、よく言えたな」

「へ?」

「さっき。ちゃんと嫌なことは嫌だって言えたじゃないか」

「き、聞いてたんですか!?」


 何それ恥ずかしい……!!


「かっこよかったと思うぞ。俺は」

 そう言ってぽんぽんと頭を撫でる大きな手に、再び顔に熱がこみあげてくる。


「そ、そそ、それより!! 京都の視察についてのお話を!!」

「あぁ、そうだな。会議室で話そう」


 通常運転の主任について会議室へ向かう。


 結局、視察の説明を受けているときもずっと、私の中の熱がひくことはなかった。







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