第3話
『どうしよう…なんだか落ち着かないんだけど、そんなこと言ったらお母さんが心配しちゃうよね。きっと私が緊張してるからだよね…』
結納を控えているからだと、自分に言い聞かせるようにした。
「美咲、野菜室から生姜とネギ、とってちょうだい」
「はぁーい」
と、返事をして麦茶を冷蔵庫に入れ、その手で生姜とネギを野菜室から取り出して渡す。
「…どうしたの?何かあった?」
さすがは母だな、と思いながら美咲は
「ううん、久々の仕事で疲れたかな。今日少し早く行ったし、外も暑かったし。」
と答えた。
母がネギを刻み、美咲がしょうがのすりおろしを手伝う。
父がただいまと帰ってきた。
美咲は先に食べ始めさせてもらったものの食があまり進まず、もうおなかいっぱい、残してゴメンねごちそうさまと席を立った。
「はぁ休み明けで疲れたー。明日も仕事だから、髪乾かして寝るね」
とごまかしながら洗面所へ向かい、髪を乾かし歯を磨いた。
部屋に戻るとき陽太と入れ違いになったのでただいま、お帰り、お疲れさまとお互いを労った。
「お風呂とご飯、お先ー」
「おう」
美咲が部屋に戻ると、ひんやりとした空気が心地よく迎えてくれた。
『気のせいだったかな…』
ベッドにうつぶせの状態でポスン、と倒れこむ。
ベッドシーツもひんやりして気持ちいい。
少しの間、枕に顔をうずめていたがこのままの姿勢で寝てしまうと翌朝顔がむくむ。
と、その時LIMEの着信音が鳴る。
美咲の顔がパッと明るくなり、すぐにスマホを見ると侑真からのメッセージが入っていた。
〔お疲れさま、電話かけてもいい?〕
美咲はもちろん、ニコニコしながらすぐにO.K.のスタンプを返した。
しばらくして侑真から電話がかかってきて、二人はお互い久々の仕事どうだったとかお昼に何を食べたかなどたわいもない話をした。
土曜日の結納の話になってしばらくすると美咲の部屋で何かがバサバサ!と音を立てた。
「ひゃぁっ!」
思わず美咲は声を上げた。
「どうした?!」
「いや…わかんないけど、虫?やだ!アレだったらどうしよう!」
美咲は部屋を飛び出してドアを閉め、泣き叫ぶように陽太を呼んだ。
「おにーちゃん!来て!なんかいるー!」
電話はつながったままである。
陽太がどうしたと言いながら二階へやって来て、まぁたいてい呼ばれるのはこういう時だけどなと察して手には害虫撃退用スプレーを持っていた。
「部屋、入るぞ」
部屋のドアの前でスマホを握りしめて美咲は肩に力が入った状態でウンウンと頷いた。
「美咲、大丈夫か?」
侑真の声がする。
「うん、今お兄ちゃんに来てもらった…ごめんね一回切るね、かけ直す」
美咲は一旦侑真との通話を切り、ドアの向こうの兄の格闘を尋ねた。
「お兄ちゃん、どう…?いた?」
「どの辺にいたの?」
「見てないの。多分右側のカーテンのほうでバサバサ!って音がした…」
え~…と思いながら、陽太がそーっとカーテンの端を持って少しずつ広げた。
遮光カーテンとレースのカーテンとあるが先に遮光カーテン、次に慎重にレースのカーテンを引っ張り上げていく。
バサッ!ジッ!っと音を立てたのは一匹のアブラゼミだった。
「わっ!」
虫の影が思ったよりも大きくて思わず叫んだ。
なんだセミか、と拍子抜けした陽太は手に持っていた害虫撃退用スプレーをデスクの上に置き、アブラゼミを捕まえて
「ビックリさせるなよな!」
と言いながら窓から外へ放り投げた。
セミはジッ!っと小さく鳴いて夜の空へ消えていった。
一応、その辺りを見回して、他に虫がいないことを確認してから陽太は
「終わったぞー」
とドアの向こうの美咲に声をかけた。
「やっつけた?」
ドアを少し開けて恐る恐る美咲が尋ねる。
アレがもう駆除されて部屋にいないとしてもそこに≪アレがいた≫のは美咲としては耐え難いことなので、もう自分の部屋だとしても入りたくなかった。
「セミだったよ」
「えっ…?」
美咲も拍子抜けした。
陽太にお礼を言うと、陽太から「いつもの缶ビール1本な」と代金の請求が来た。
今回はセミだったのに…と思いつつ、虫退治に駆け付けてくれる兄には感謝だな、と思い「はぁーい」と
返事をした。
これで何か一言返して、機嫌を損ねたら次から虫退治してもらえないかもしれない。
ビールは明日の帰りに買って来よう、と美咲は考えていた。
なんだセミで良かったと少しホッとしたものの、ちょっと待って?どこから?いつ入ったの?と疑問が出てきた。
侑真を待たせていることに気付き、LIME電話をかけ直してさっきの出来事を話した。
「そっか…大変だったな。窓を開けた時かな?」
侑真が話を聞いて答えた。
「うん、私もそう思うんだけど、すぐ網戸にしたのになぁ…」
「そっか…。網戸が開いてるときに飛んできたのが見えてないとかあったのかな。ま、なんにしてもアレじゃなかったんだし、陽太さんが見つけてくれて良かったじゃん。これで安心して眠れるね」
侑真の言葉で美咲はハッと時計を見た。
「侑くん、遅くまで付き合わせてごめんね。明日も仕事だもんね。またね、おやすみなさい」
「あー、うん。大丈夫だよ。ちゃんと寝るんだよ、おやすみ」
そう言って会話を終えるころ、時計は23時を過ぎていた。
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