第2話

 美咲は近所や地域で話題になってしまい一部のメディアの報道もあり、『あのストーカーが追いかけていた子』と認識されるようになってしまった。

美咲は自分がストーキングされていたにもかかわらず、人が死んだのは自分のせいだとショックを受け、また同時に周囲に責められているように感じてしまっていた。

ストーキングされる恐怖からは解放されたが、自分が周囲に相談したり警察に話したりしたからあの人は亡くなってしまったのだと思い込み、罪悪感と人の死に泣き、どうしたらよかったのか分からず不安定になり思い出してはまた泣いていた。

2学期が始まってからは周囲からの視線とその話題が出ることが怖くなって高校に行けなくなってしまい学校を休んだ。

その後は鬱になり、今までのような日常生活を過ごすことはできなくなってしまった。


 見かねた父が家族に支店への転勤を相談した。

今より自然が豊かなところで高校に通うにはやはり父と陽太の送迎が必要だったが、私立への転学については手続きも割とすんなり進んだ。

 最初は新しい土地へ行くのを不安がっていた美咲だったが、転学先の後期が10月始まりだったこともあり、ゆっくりと生活のペースを作ることができた。

高校へは人の少ない時間帯から徐々に通うようになり、学校で過ごす時間を増やし課題のレポートを提出していった。

 それが自信にもなり、スクールカウンセリングにもお世話になったことや周囲の協力、美咲の努力もあり、なんとか3年生に進級することができた。

その頃には気の合う友人もでき、少しずつ学校生活にも慣れることができた。


 そこから無事高校を卒業、大学を出て地元の企業へ就職した美咲は過去のことはなかったかのように本来の明るく快活な女の子に戻っていた。

美咲は最初男性のことが苦手だと同僚に伝えていたが、職場で優しく誠実な侑真と出会い恋をし将来二人で協力していくことを約束した。

侑真は美咲の、過去に巻き込まれた内容を風の噂で知っていたが美咲の前でその話をしなかったし聞くことも出来なかったので知らないことにしていた。


美咲の両親もきっと侑真なら美咲を守っていってくれるだろうと思い、挨拶に来てくれた際に娘をよろしくお願いしますと頭を下げていた。

そしてようやく、翌週の土曜に結納の日を迎えるのだ。

言葉少なに朝食を食べ終えた陽太と母は食器を片付け、なんだかんだ言いながら麦茶を作り今後の予定を確認した。


 陽太は少し頼りなく見えるが4つ上の妹思いの兄で、今は家でリモートワークをしている。

今までは流行り病の影響でリモートワークと月に何度か打ち合わせの出社をしていたが、出社の後は決まって帰宅してから熱を出した。

別段体が弱いわけでもないし病院へ行っても原因は分からなかったが、上司と相談してほぼ全てをリモートワークにした。

会議や打ち合わせはWebでできるので仕事に支障はなかったし、どうやらその働き方が性に合っているようだった。

通勤と出社のストレスがないので陽太は仕事に打ち込むことができ、社内でも陽太の仕事は丁寧で分かりやすいと評判も良かった。

上司や同僚のおかげでこれと言って嫌なことを言ってくる人もいなかった。

陽太が家にいてくれることで母も気持ち的に孤独ではなかったし、理解ある会社に勤めることができたのは幸いだった。

 母が洗濯物を干す頃、9時になると陽太の仕事が始まる。

リモートワークは自分で時間や段取りを決めて締め切りに間に合わせないといけないので、実のところ厳しい部分もある。

またチーム間の連絡・報告はこまめにすることと自制や時間のコントロールが必要で、家にいるからと言ってのんびりできるわけではない。

それは母の家事も同じで、先を見越したタスクが山のようにある。

そんな日々だった。


 夕方、定時で帰ってきた美咲はキッチンにいる母にただいまと言い、手洗いうがいを済ますと熱が籠った2階の自分の部屋に行き、カーテンを開き窓を開け換気をした。

換気と言ってもぬるい風しか入ってこない。

エアコンの冷房を入れた。

最初ムッと暑い空気が押し寄せるが、一瞬の辛抱だ。

エアコンの風は徐々に冷たくなっていく。

美咲の部屋の窓からは木立越しに田んぼが見えるのどかな景色が広がっていて、今はまだ明るいが日が沈む前の時間はワインやカクテルの色のようなマジックアワーを楽しめる。

この景色は美咲のお気に入りの一つでもあった。

お風呂に入る支度をして窓とカーテンを閉め、階段を降りる。

母は夕飯の支度をしていて、陽太はまだ仕事中のようだ。

「おかーさん、お風呂先に入るねー!」

美咲の家では声をかけることが家族の暗黙の了解となっている。

「はーい、お父さん1時間くらいで帰ってくるみたいよ」

「分かった、早めに出るね。今日のご飯はなーに?」

「家にあるものよ、早く入っちゃいなさい」

「はぁい、出たら手伝うわ」

結局、美咲が出てくるころには夕食は出来上がっているのだが、いつもこんな感じだ。


 ただ、今日はいつもと違った。

美咲は家に帰ってきてから妙な違和感があるのだ。

さっき、自分の部屋にいた時のほうがその感覚が強い。

何かは分からないが美咲は心がザワザワするあまり、いつもより早めにお風呂を出た。

手に取った化粧水も雑に振り出したせいかちょっと多めになり、いつもより勢いよく顔に化粧水をパシャパシャと叩いた。

「あら、今日は本当に早く上がってきたのね」

母が食卓に豚の冷しゃぶサラダと冷や奴を並べながら驚いた口調で言った。

茄子と玉ねぎの味噌汁は出来上がっている。

あとは薬味のネギと生姜を準備すれば食べられるよ、と母が言う。

「あ…うん」

美咲は濡れている髪をタオルでまとめ、冷えた麦茶を取り出しグラスに注いで湯上りの喉にごくごくと流し込んだ。

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