「ちょっと待って!これ、スプーン使って!」

目の前のカレーに顔ごと突っ込んで食べようとしたら、男に止められた。

そういえば、人間は道具を使ってご飯を食べるのだった。

「よほどお腹空いてるんだね。昨日の残りで悪いけど、ゆっくり食べてよ」

スプーンを使うのは邪魔くさいが、使えと言われている以上は使うしかあるまい。

(人間ってこんなおいしいもの食べてるのか!)

あまりの衝撃に手が止まらない。

「お代わりあるから」と言われて3杯も平らげてしまった。

お腹いっぱいになると落ち着いてきた。

部屋をぐるりと見回すと、本がたくさん置いてある。

僕が食べ終わるまで男は本を読んでいたが、食べ終わったのに気づいて声をかけてきた。

「君、名前は?」

男の前には本と四角い紙が置かれている。紙には葉っぱがついている。

(あぁ、これは・・・)

「くろーばー」

「君はクロバくんって言うんだね。僕の名前は、水越。よろしく」

どうやら名前を勘違いされたらしいが、どう言い直していいかわからないので、このままにしておくことにした。

手が差し伸べられたので、お手をしてみる。するとぎゅっと手を握られた。

「で、クロバくん、何か困っていることでもあるのかな?ご飯食べられてないみたいだったし。何か事情があるなら僕でよければ力になるよ」

事情は説明したいが、なんと説明すべきか、かなり難しい。

「僕は怪しいものじゃないよ。社会福祉士になるのが夢で、今勉強しているところなんだ。だから、力になれることもあるかなと思って」

社会福祉士とはスーパーマンかアンパンマンみたいな正義のヒーローなのだろうか。

全くよくわからないが、力になりたいと言ってくれているのはわかる。

「えーと、元々は外にいたんだけど、拾われて、お家に住んで幸せになったんだけど、ちょっと形?が変わっちゃって、お家に入れなくなって・・」

色々考えて言葉を選ぶが、うまく説明できない。

しかし、水越は自分なりに翻訳したのか、「苦労したんだね」となぜか励ましてくれた。

「クロバくんは何歳?」

「3・・・いや28くらいかな?」

「え!年上だったの!ごめんなさい、タメ口きいちゃって」

「タメ口って何?」

「うーん、友達みたいな話し方っていうのかな」

「じゃあタメ口でいいじゃん」

ふっと水越は微笑むと「それもそうだね」と話をつづけた。

「成人してるとなると、まずは住むところとお金をかせがなきゃいけないな」

「どうしたらいい?」

「お家には帰れないんだよね?まずは住むところを見つけないと働くのは難しいしな」

奈々ちゃんの家には帰れない。人間の僕を安易には入れてくれないだろう。

何より奈々ちゃんを怖がらせることはしたくない。

「ここに住むのはダメ?」

「ここに?」

最近ドラマで見た土下座というのをやってみた。なんか男の人が女の人に土下座して許してもらっていた。これが最大の礼儀のようだったからきっと思いは伝わるはずだ。

「待った、待った。土下座とかしないで。しばらくはうちにいていいから。落ち着いたら家とかどこか住める場所ないか一緒に考えよう」

水越は相当いいやつだ。

猫の社会ではこんな数時間で仲間と認めることなんてそうそうない。

(家に住ませてくれる御礼に、警戒心がないのは心配だから僕が守ってやろう)

「仕事についてはあてがあるから、任せて。でもその前にお風呂入ろうか」

「風呂!?風呂はちょっと」

奈々ちゃんに無理やり入れられた時の恐怖が蘇る。

「もしかしてお風呂もまともにいれてもらえなかったの?」

「いや数か月に一回は入ってたから大丈夫」

「数か月に一回!?」

お風呂に行くのを抵抗する僕を「大丈夫だから」と無理やり風呂場に連れて行った。


「どこに行くんだ?」

さっきお風呂に入ってさっぱりはしたが、このしゃんぷーとやらの匂いは苦手だ。

自分の体を舐めたい気持ちを抑えて、水越について歩いた。

「早速働きに行くんだよ。まぁアルバイトだけどね」

アルバイト、確か奈々ちゃんがしていた。

そこで憎き颯太と一緒に働いていると聞いている。

「クロバくん、聞いてる?」

「あ、ごめん」

今から行くのは、水越の叔父がやっているカフェらしい。そのカフェで水越もアルバイトをしている。注文を聞いたり、注文の品を出したり、レジをするそうだ。

「クロバくんも一緒にアルバイトしてもらおうと思ってさ。とはいえ最初は掃除くらいから始めるようにするから、心配しなくていいよ」

掃除もしたことはないのだが、簡単と言っているのだから大丈夫だろう。

しばらくするとカフェと呼ばれるところについた。

白い壁に赤い屋根、玄関から花が飾ってあって、綺麗にされている。

「サマーリーフカフェ、これが店の名前ね」

店内も木目調で全体的に可愛らしい雰囲気だ。

「じゃあ叔父さんにクロバくんの話をしてくるから、空いている席に座ってて」

水越に言われて、近くの席に座る。

コーヒーのいい匂いがあたりに漂っている。

(奈々ちゃんに会いたい・・・)

からん、ころんと扉の音がして、誰かが入ってきた。

振り返ると、懐かしいにおいがする。

(奈々ちゃん!)


「こんにちはー!」

奈々ちゃんはお店の奥に入っていく。

(どうして奈々ちゃんがここに?)

しばらくすると、水越と奈々ちゃんがエプロンをつけて奥から出てきた。

「お待たせ、クロバくん。叔父さんもアルバイトしてOKって」そういうと、水越はエプロンをかけて、結んでくれる。

「あなたがクロバくん?私、井上奈々って言います。ここでアルバイトしています」

いつもの奈々ちゃんと違う。

目線の高さが同じで、下から見ているのとは全く違う。

なんだか頬が熱い気がする。

「よ、よろしく」

「じゃあ颯太くん、私ホールやっておくね」

そう言って奈々ちゃんがホールへ出ていく。

「颯太くん・・・?」

「あー、僕だよ。下の名前言ってなかったね。僕の名前は水越颯太っていうんだ」

(水越が俺のライバルの颯太だとぉ!)

驚きの表情を浮かべる僕をきょとんとした顔で見ている。

「そんな珍しい名前かな?とりあえず、掃除の仕方教えるからこっち来て」

颯太に促されて奥から箒を出して、入口の掃き掃除から始める。

まさか水越が颯太で、ライバルだったとは思わなかった。

ふと、店内をみると、奈々ちゃんと颯太が楽しそうに話している。さすがに猫の僕でも今二人の間に入れる空気でないことはわかる。

(やっと人間になれたのになぁ)

なんだか寒さがしみて、大嫌いな冬が近づいているのを感じた。


午後8時には営業が終わり、片づけをして8時半には店をでる。

「あの、颯太くんに相談があるんだけど、この後どうかな?もちろん、クロバくんも一緒に」

「いいよ」そう言って、颯太の提案でファミレスへ向かった。

何を頼んでいいのかわからずに戸惑っていると、颯太が適当に注文してくれた。

颯太はやはりいい奴だ。

でも―

「颯太くん、この前はコーヒーかけちゃってごめんね」

「もういいよ、本当に気にしないで」

悔しいが、奈々ちゃんは颯太にベタぼれだ。

だからと言ってあきらめるわけにはいかない。

折角人間になったのだから。

「相談って何かな?」

「実はクローバーがいなくなっちゃったの」

まさか自分の話題になると思わず、ドキっとしてしまう。

「猫ちゃんだったよね?」

「うん、事件の日から姿が見えなくて」

「事件って朝起きたら知らない人が横で寝てたっていう?」

「うん、その時私が大声出しちゃったから驚いて出て行っちゃったみたいで」

(その不審者は僕です)

そう思うけど言えるわけもない。

「そういえば、その人とクロバくんの顔が似ているような・・・?でもそんなわけないよね、クロバくんはいい人そうだもん」

「で、そのクローバーを探したいってことだね?」

「うん。ペット探偵を調べたけど、高くて頼めそうになくて。とりあえず、張り紙を出したりはしたんだけど」

奈々ちゃんはうつむいて、声を震わせている。

「まだいなくなって2日だから、その内帰ってくると思うんだけどね。元野良猫だから、うまく生きていけるはずだって思うし」

(右斜め前にいます)

奈々ちゃんがすごく心配してくれているのが伝わってくる。

罪悪感をすごく感じるが、今ここで僕がクローバーですと言っても信じてくれないだろう。

颯太の提案で、とりあえず、カフェにも張り紙して、あとはインターネットで迷い犬の記事に出すということで決まった。

「人に話せて楽になった」と奈々ちゃんは帰って行った。

(ここにいるのに―)

僕は奈々ちゃんに背を向けて、颯太の家に向かった。


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