四葉のクローバー

月丘翠

僕は猫である。名前は決まっている。

名前は決まったのは、1年前だ。それまでは外で生活をしていた。僕が目を開いた時には外にいて、母親と3匹の兄弟と暮らしていた。ある日突然母親がいなくなり、そこから兄弟も一匹ずつ消えていった。

どこかに連れ去られたのか、食べられたのか、どちらにしてもここは危険だ。

最後に残った僕は住み慣れた場所を離れ、少し遠くの町まで歩いて行った。

猫の世界は新参者に厳しい。様々な猫と喧嘩し、食べ物を奪い合った。寒い冬は特に辛かった。町で止まった車を見かけては、下へもぐりこんで暖をとった。

いつ死ぬかわからないそんな生活が続いていた。

そんな日々から救ってくれたのが、奈々ちゃんだ。

寒さも和らぎ、木々が新しい芽を出し始めたころ、魚屋から食べ物をもらって大きくなったお腹を抱えながら、寝床へ向かっていた。

寝床は河川敷の電車が走る陸橋の下だ。

腹ごなしに河川敷でバッタを追いかけて転がっていると、ひょいと持ち上げられた。

「かわいい」

それが奈々ちゃんとの出会いだった。

バッタに夢中になりすぎて、背後の人間に気づかなかった。

人間は苦手だ。やたら、にゃーにゃ―言ってきたり、追いかけてきたり、ヒドイ奴は蹴ってくることもあるからだ。

でもなぜか奈々ちゃんの匂いは優しくて、撫でられるとゴロゴロと鳴いてしまう。

そして翌日には奈々ちゃんの家に住むようになっていた。


「名前決めなきゃね~…。あれ?なんかついてる。これって」

奈々ちゃんの手には緑の葉っぱが握られている。

四つに分かれた小さな葉っぱだ。

「四葉のクローバーだ。すごい!クローバーの中で四葉になるのは1万分の1の可能性なんだよ」

奈々ちゃんが、何やらすごく喜んでいるからこの葉っぱはいいものなんだろう。

「あなたの名前は、クローバーにする」

それから奈々ちゃんは、クローバーやらクロちゃんと私を呼んでくるので、どうやら私はクロとつく名前らしい。

それから奈々ちゃんは事あるごとに話かけてくれるので、この1年で人間の言葉をだいぶ覚えることができた。言葉がわかるようになると、奈々ちゃんが自分に自信がない、ねがてぃぶであることがわかってきた。

奈々ちゃんは毎日大学というところに行って、勉強をしているらしい。

そこにはたくさん人がいて、そこで色々あるらしい。そのあたりは猫の社会と同じのようだ。

奈々ちゃんを励ますために、声をかけるが、奈々ちゃんには「にゃー」としか聞こえていないので、そばにいて、話を聞くことしかできない。

いつもそれが歯がゆくて仕方なかった。


翌日も奈々ちゃんはお昼前には大学へ出かけて行った。

奈々ちゃんがいないと暇で仕方ない。いつも奈々ちゃんのママさんが代わりに可愛がってくれるので、それはそれで悪くないとママさんの膝の上に丸まる。

寝ているうちに気づいたら夕方になっている。

ママさんと軽く遊んで過ごしているうちに、パパさんが帰ってきた。

パパさんとは何だか気が合わない。パパさんは時より僕を呼んで頬ずりしてくるが、生まれて3年、人間でいうと28歳だ。さすがにおっさんと頬ずりする気にはならない。


食卓からいい匂いがしてくる。今日はカレーらしい。

「もうすぐ奈々も大学卒業だな」

「そうね、本当にあっという間だったわ」

「就職したらこの家も出ていくんだろうな」

「そうなったら、このクロちゃんを息子としてかわいがっていくしかないわね」

奈々ちゃんがこの家を出ていく?

そんなの考えられない。

就職というやつのせいが原因らしい。どんな奴か知らないが、就職を倒さねばならない。

その為に爪をしっかり研がねば。

気合を入れて詰めを研いでいると奈々ちゃんが帰ってきた。

いつもならまずはリビングに来てご飯を食べるはずなのに、何も食べずに部屋に引きこもってしまった。


2階の奈々ちゃんの部屋の前につくと、カリカリと扉を開けるように催促する。

奈々ちゃんは真っ赤な顔で扉を開けてくれる。

「くろぉぉ」

奈々ちゃんは僕を抱き上げるとベッドに潜り込んだ。

かなり息苦しいが、奈々ちゃんが泣いている以上耐えるしかない。

それにしても何があったのだろう。

しばらく経って、奈々ちゃんはベッドに座り直すと、私を膝に乗せた。

「あのね、今日アルバイトで颯太くんと一緒だったの。最初はすごく楽しくて、普通に話せたのに・・・途中でなんかどんな人がタイプみたいな話になって・・・動揺しちゃってお皿落として割るし、しかもホットコーヒーで思いっきり颯太くんにかけちゃって・・・」

話しながら涙がポロポロこぼれている。何とか舐めてみるも、止まりそうにない。

毎回出てくるこの颯太という奴にいつも奈々ちゃんは振り回されているようだ。

そんな奴のこと気にしなくていいのに、と思うが、どれだけ伝えても奈々ちゃんにはニャーとしか聞こえない。

「颯太くんが火傷してたらどうしよう・・」

舐めとけきゃそんなもん治ると思うけど、奈々ちゃんにとっては重要な問題のようだ。

奈々ちゃんはその後も、どうしよう、どうしようと言いながら、疲れたのか眠ってしまった。

颯太という奴にどれほどの魅力があるのかしらないが、僕の方が絶対奈々ちゃんのことを知っているし、僕の方が絶対大事に思っている。

どうして私は猫なのだろう。

同じ人間ならば、もっと奈々ちゃんを支えられるのに。

ニャーと一声なくと、奈々ちゃんの横で丸くなった。


朝起きた時、違和感を感じた。

顔を洗うが、どうも顔の感じも、手の感じも違う。

よく見ると、手が5本指だ。というか、私の自慢の毛がない。

体をみると、奈々ちゃんと同じ仕様になっている。

奈々ちゃんの部屋の姿見の前に立つと、人間の男が写っている。

(・・・人間になってる!)

思わず奈々ちゃんに声をかけそうになるが、このままで会うのはまずい。

奈々ちゃんはすやすや寝ている。

確か人間は服を着なければならないのだ。

パパさんがお風呂上りに裸で歩いていたら、奈々ちゃんはかなり激怒していた。

(まずは服の調達だな)

そろりそろりと猫のようにパパさんの部屋へいくと適当に服を調達する。

服の着方は普段よく見ているので知っているはずなのに、かなり難しい。

(穴が多すぎる)

なんとか服を着ると、奈々ちゃんの部屋に戻る。

奈々ちゃんは相変わらずすやすや寝ている。

いつものように奈々ちゃんのベッドで寝転ぶと、奈々ちゃんと目があった。

「奈々ちゃん、おはよう」

いつもの調子で声をかけると、奈々ちゃんの目がどんどん見開かれていく。

「きゃあああああああああ」

聞いたことのない大声で奈々ちゃんが叫んだ。

あまりの大声にびっくりして部屋の窓から飛び出した。


なんとか家の外にでれたが、人間の体はあまりにも重い。

さっき屋根から伝いに降りようとして、危うくけがをするところだった。

この姿になって不思議と自然に2足歩行で歩くようになったが、あまり高く飛べないし、速く走れない。

人間とは不便な生き物だ。

(それにしてもこれからどうしたらいいのか)

奈々ちゃんは、僕がクローバーだと気付いていない。

猫が人間になったのだから当然だ。

そうなると、これからどうすればいいのか。

また野良猫生活になるわけにもいかない。なにしろ、今は人間なのだから。

トボトボと歩いていると、お腹が空いてきた。

なんとかご飯を探さなければならないが、どうすればいいのかわからない。

猫の時はご飯も水もいつも奈々ちゃんが用意してくれた。

困り果てていると雨まで降ってきた。

慌てて公園の遊具で雨宿りしていると、辺りが暗くなってきた。

少し寒い。

いつもなら奈々ちゃんのベッドで一緒に寝ている頃だ。

(奈々ちゃん・・・)

丸くなっていつのまにか寝てしまっていた。


翌朝目覚めると、雨は上がっている。

かなりお腹は空いているが、どこかに食べ物が落ちているかもしれないので、重たい体を引きずって街に出た。

街には相変わらずたくさんの人がいる。いつもの商店街にでる。

(奈々ちゃんはどこにいるんだろ)

当たり前だが、いつも魚をくれるおばちゃんも僕に気づいてくれない。

どうしていいのかわからず、商店街の隅でしゃがみ込んだ。

食べていないせいか力がでない。気分も悪い。

(このまま奈々ちゃんに会えないまま僕の人生は終わってしまうのか)

「ねぇ、君大丈夫?」

顔を上げると、若い男がこちらを見ている。後光が指しているように見える。

力を振り絞って小さく答えた。

「腹・・・腹減ったにゃ」

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