第22話 祝福
やがて明かりを消したジャルガルがベッドに入るので、僕もその隣に寝そべる。
お腹と喉を見せると、わしゃわしゃとジャルガルが撫でてくれる。ふとその手が止まった。
――もっと触ってよ。
ジャルガルの方を向くと、僕を射抜くように大きな目がこちらを見ていた。触れたら壊れてしまいそうな危うさがあるような気がして、僕はくぅん、と小さく鳴いた。
伸びてきた手が僕の頭を撫で、右耳の飾りに触れる。
「……アズ」
ぽつりと聞こえた声は反響して、そして――何も、起こらなかった。
僕を見つめるジャルガルがゆっくりとまばたきをし、それから大きくため息をついた。
――何だよ!
いつものように僕に背を向けて寝ようとするジャルガルの肩に足をかけ、上に乗る。
もどかしい気持ちのまま小さく唸る。何でそんな悲しそうな顔してるんだ。無性にイライラする気持ちをどうしたらいいか分からず、ジャルガルの顔を見つめることしかできない。
悔しい。でも、何が悔しいのかも分からない。ぐちゃぐちゃになった気持ちをぶつけるように、ジャルガルの口に鼻先を当てる。
「んっ」
風のような何かが体を吹き抜けていって――ふわりと体が伸びる感覚があった。
慌てて手を確認する。毛がない。指も長い。人間の姿だ。
「ジャルガル!」
叫んだ声は言葉になっていた。僕の下でジャルガルも目を丸くしている。
「お、おお……?」
「ジャルガル!」
もう一度名前を呼ぶと、強い力で抱き寄せられた。ぶつかるようにして互いの胸が密着する。
僕の体を確かめるように、ジャルガルの手が僕の頭を、背中を撫でていく。
「ひゃう」
お尻に触れた手がくすぐったくて、身をよじる。笑いながらジャルガルを見下ろすと、なぜかその目は濡れているように見えたけど、しっかりと見る前に顔が近づいてきてまた唇が触れ合う。今度は中にジャルガルの舌が入ってきた。
「ん、ふぁ……」
貪るように吸われて、頭の中がぼうっとする。同時に、僕の中でもやもやしていたものがほどけていくのを感じた。
――ああ、ずっと、こうしたかったんだ。
人としてジャルガルに見てもらって――また、こうやって触れ合いたかったんだ。
苦しくなった頃に口を離され、くたりとしたところをまた抱きしめられる。毛のなくなった裸の体を、ジャルガルが自分のかぶっていた毛布でくるんでくれた。
「……久しぶりだな」
「っ……」
ようやく話せるようになったのに、言いたいことはたくさんあったはずなのに、いざこうなってしまうと頭の中に言葉が出てこない。ジャルガルの視線から逃れるように顔まで毛布に埋めると、そこに残った温もりが肌に触れた。
――なんで、この人はこんなことをするんだろう。
僕のことなんか嫌いなんじゃないのか。もうキマイラの力なんかないただの犬になっちゃった――いや今は人だけど――んだから、怖がる必要もないのに。
「う、うぅー……」
目が熱くなってきて、僕は毛布に顔を押しつけた。ぐす、と鼻をすすると、ジャルガルが戸惑う気配が伝わってきた。
「わ……悪い。嫌だったか……」
「う、ううん……」
嫌じゃない。どちらかというと嬉しい。でも、だから悲しい。
「あのね、ジャルガル……ごめんなさい」
「は? 突然何? 今日の昼にお茶こぼしたことか?」
「いや、それじゃなくて……いや違くはないんだけど、もっと前の、その、僕が勝手に研究所来ちゃったこととか……」
「あ、冬に喧嘩したこと?」
「えと……とか、うん」
喧嘩。ジャルガル的にあれは喧嘩だったのだろうか。僕が勝手に怒ってただけのような気がするけど。
「何お前、まだあんなの気にしてたの」
「……だって、ジャルガル。僕のこと嫌いでしょ?」
「はあ?」
間抜けな声に布団の間から目を出すと、きょとんとした顔のジャルガルが肘枕をしているのが見えた。
「嫌いって……は? なんでそうなるんだよ」
「だって、そう……言ってた」
「いつの話だよ!」
「僕が研究所に来た時、トゥルムに……」
「ええ?」
「『僕の味方のフリしてないと殺されちゃう』って」
「んー……?」
腕を組んで仰向けになったジャルガルは、しばらく目を閉じて唸ってから「あー」と頷いた。
「お前あれ聞こえてたのか。あれは……ああ言わないと研究に参加させてもらえないからだよ。俺がお前のこと逃がしたなんて分かったら懲罰房行きか、今度こそトゥルムのオモチャにされて終わりだからな」
僕の方を見ないまま、目を細める。
「いや、でも、うん……最初は、本当にそう思ってたんだよ。俺は死にたくなかったし、そうするにはキマイラの機嫌を取るしかないと思って、仕方なくお前の世話をしてたんだ。西の兵器なんて早く死ねばいいと思ってたし、口を開くたびに腹が立ってた」
「……うん」
やっぱりそう思われてはいたのか。僕が小さく相槌を打つと、はあ、とジャルガルがため息をついた。
「でも……何だろうな。夜中に『ノカイが鳴いてうるせえからなんとかしろ』って叩き起こされて腹立つし、お前はお前で餌少ねえだの痛えだのうるせえのに、それでも懐かれちまうと悪い気はしないんだよな。段々実験に加担するのが嫌になってきて、でも俺の立場じゃ何も言えないから、一緒に逃げ出してやろうと思ったんだよ」
「……逃げようと……した?」
あの時、僕は――自分で逃げようと思ったわけじゃなかった。ただ、そうしなければならない、と心に響いてきた声に従っただけだ。
——あれは、ジャルガルだったの?
「人がせっかく偽装工作までして研究棟爆破してんのに、勝手に壁に穴開けて出てくからあん時は焦ったぞ。おかげでトゥルムには多分バレたしな」
「それは、えっと、ごめん……?」
「まあ、別にもういいけど」
ふは、と笑ったジャルガルが、横目で僕を見る。伸ばした腕が、壁にぶつかる音がした。
「じゃあ……なんで、また研究所に戻ってきたのさ」
まだ半分顔を布団に埋めた僕がそう返すと、「薬のためだ」とジャルガルは伸びをした。
「薬を飲まないとどうなるか、キマイラがどういう生き物か……知らなかったんだ」
「……知らなかった?」
「トゥルムの奴、俺たちには、『キマイラに飲ませている薬は、思考力を奪って従順さを高めるためのもの』っつってたんだ。材料が材料だったし……まあそんなもんかなって。まさかノカイが馬鹿なのは素だとは考えてもなかったんだよ」
「なんだよそれ!」
僕がむくれると、にやりとジャルガルは口の端を歪めた。
「急に成長し始めた辺りから、何かおかしいなとは思ってたんだ。キマイラは成長しないって聞いてたし、アホなのは相変わらずだし。挙句に半端な状態から変化できなくなるし。それで……戻ることにしたんだ。勝手だとは思うけど、ノカイに何かあって後悔するより、ここの檻の中でも生きててくれた方が、まだいいと思ったんだよ」
「なんで……それ、言ってくれなかったんだよ」
「俺が研究所に戻るっつったら、ノカイは嫌がっただろが。で、その結果『拒絶反応でそろそろ死ぬだろうことが分かりました』って……俺のせいだぞ? 言えるわけねえだろ、もう」
「むうう」
確かにジャルガルに「研究所に戻る」と言われたら、僕は絶対に反対した。だけど。なんかおかしい気がする。
僕が眉間にしわを寄せて考えていると、ジャルガルは僕の頭を撫でてきた。
「悪かったな。俺は臆病で……ノカイと話すことからも、逃げてたんだ」
「ん……んん……」
ジャルガルは狡い。怒りたいのに、いつになく優しい言葉と自分に触れる指先のせいで全てどうでもよくなってしまう。悔しい、と思う気持ちすら、くすぐったくて笑い出しそうな気持ちに押し流されていく。
「ねえ、じゃあ、ジャルガルは……僕のこと、好きなの?」
「あ? な、何言ってんだよ」
視線が泳ぐジャルガルの顔を覗き込む。
「だって、僕……ジャルガルのこと、好きだから」
言ってから、ああそうか、と自分でも思う。
――ジャルガルが、好きなんだ。
飼い主とか、馭手じゃなくて、ただのジャルガルが。
「んな」
動きを止めたジャルガルの手に、自分から頭を擦り付ける。ジャルガルの感情が伝わってきているのだから、僕の気持ちだって伝わっているはずだ。
「……っ、あー」
何度か口をぱくぱくさせるジャルガルからは、汗の匂いが強く漂ってきた。
「き……嫌いだったら、こんなとこ戻ってきてねえし……とうの昔にお前みてえなクソ犬なんてどこかに置き去りにしてるよ。俺がそんなに親切じゃないことくらい知ってるだろ」
「そうかな」
ジャルガルは本人が言っているほど不親切じゃない。逃避行の相方が僕じゃなくても同じことをしたんじゃないだろうか。
じっと見つめていると、「あーっ!」とジャルガルは顔を覆った。
「わか……分かってんだろノカイだって! 好きだよ! もう!」
「どんなふうに?」
「っ……」
顔を覆うジャルガルの手を引っ張る。恥ずかしさで爆発しそうな頭の中と、全身が熱くなるような感覚がどっと僕に流れ込んでくる。
「だって、前にジャルガル『好きにもいろいろある』って言ってただろ」
「言っちまったよ! クソが!」
「僕は……僕はね、えっと、ジャルガルと……同じごはん食べて、一緒に寝て、いっぱいお話もしたいし、それで、えっと」
僕に巻かれていた毛布を広げて、ジャルガルにかけながら体をくっつける。発情期でもないのに、お腹がすごく熱い。
大きくなってしまった股間を、そっとジャルガルに押し付ける。もう苦しくてはち切れそうだ。堪えきれずに腰を振ると、ジャルガルの服の下にある硬いものが僕の太ももにぶつかった。
「ジャ、ジャルガルと、こ、交尾も……したいの……」
心だけじゃなくて、僕の体もジャルガルのことが好きみたいだ。言葉だけじゃなくて、全身でジャルガルへ気持ちを伝えたいし、ジャルガルもそうだということを教えてほしい。
うう、とジャルガルが喉の奥で唸るような声を発した。
「お前……交尾て……意味分かって言ってんのか?」
「わかってるもん!」
多分。上目遣いで見上げたジャルガルは僕の頭に手を置いた。その手が髪の毛を梳かすように撫で、右耳の飾りを引っ張る。
「だ、だからジャルガルは……?」
「……全部言うまでやらされんのか? これ」
「むう」
そんなこと言われても、ちゃんと言葉にしてくれなきゃ分からない。僕がジャルガルの服を握り込むと、指先が僕の耳たぶを撫でていく。
「愛してるよ、ノカイ。どんな姿でも、ノカイが元気に生きててくれればそれでいいと思ってた……はず、だったんだけどな」
ちゅ、と僕の鼻にキスが振ってくる。
「やっぱ、人型に戻られるとダメだな。可愛すぎんだよ」
左手が僕の背中を伝い、腰を抱く。嬉しい、と思った瞬間にお尻から犬の尻尾が飛び出していた。パタパタと揺れてしまう。
「……抱いてもいいか、ノカイ」
「抱く?」
やっぱ分かってねえじゃねえか、と笑うような声が聞こえ、尻尾の下らへんにある穴に、ジャルガルの指先が触れた。
「ここに、俺のを入れたい……ってことだけど」
「え……え、入るの? アレが? そんなことできるの?」
ジャルガルの股間にあったものの大きさを思い出し、僕は思わず尻尾を伏せた。尻尾とお尻の間にジャルガルの手が挟まる。
「……入れる」
低いジャルガルの声に体中がぞくぞくして、僕の口からひゃう、と変な声が漏れた。飛び出した耳がぺたんと倒れる。怖い。けど、嫌じゃない……というか、むしろしてみたい。
「い、いいよ」
でも想像するだけでなんだか恥ずかしくて、僕は小さな声で答えてジャルガルの首元に顔を埋めた。
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