第21話 犬
研究所には、地下室以外にも沢山の動物がいた。
「ほら、ジャルガル行ってきて」
つまらなそうなトゥルムに指示され、ジャルガルと僕は檻の中に入った。水辺の環境を再現した檻の中は、土の床がベチャベチャして気持ち悪い。
「ギョエ?」
中にいる足の長い白色の鳥――ナサヤ鳥とか言うらしい――が一瞬不思議そうに首を傾げたあと、テリトリーへの侵入者であるジャルガルと僕に威嚇の姿勢をとった。毒のある足の鉤爪を振り上げ、大きく声を上げる。
「ワン!」
その声が終わる前に僕はナサヤ鳥にとびかかり、地面に突き倒していた。バタバタと暴れる足を押さえつける。
「よくやった、ノカイ!」
小さなガラス容器を持ったジャルガルが、鉤爪から垂れる毒をその中に集める。蓋を閉めたジャルガルが檻の入口の鍵を再び開けたのを確認してから、僕は鳥を開放してやった。怒って僕を蹴りつけようとしてくるのを吠えて黙らせ、檻の外に出る。
「……これでいいですかね」
トゥルムの持ったトレーにガラス容器を置いてジャルガルが言うと、「それはいいけど」とトゥルムは少し不満そうな顔をした。
「もう少し優しく取れないの? 動物に怪我させないよう――」
うるさい。どの口が言うんだ。トゥルムの言葉の途中で僕が唸ると、「わかったよ」とトゥルムが肩をすくめた。
「まったく、こっちは君達のせいでキマイラの研究は禁止されるし、減給にもなるし散々なんだよ。これ以上余計なことしないでくれよ」
自業自得だろ。生きてる時点でおかしいんだし、減給ぐらいどうだっていいだろが。言ってやりたいけど、犬のままでは唸ることしかできない。
同じように他の鳥からも毒を取ったところで、終業の鐘が鳴った。トゥルムに押し付けられた毒瓶をジャルガルが仕舞うのに付き添ってから研究棟を出ると、夕闇の中を花の匂いがどこかから漂ってくる。
――春だ。
鼻を上げると、ジャルガルがその先端を軽く叩く。
「……散歩して帰るか、ノカイ」
「わふ」
尻尾を振って、ジャルガルの横を歩く。寮と違う方向に歩き出す僕たちに見張りの兵士が身構えるが、すぐに僕の姿に気づいて剣にかけた手を下ろす。
散歩といっても、ジャルガルが罪人なので研究所の敷地の外には出られない。部屋の中でじっとしてるよりはいいけれど、そろそろ見飽きてしまった植え込みに鼻を突っ込み、外にあるケージを冷やかす。
研究棟の裏に回ると、花の匂いが強くなった。一日中日の当たらない場所だからか、肉球に当たる土はひんやりとしている。進んでいくと、白い木の下に置かれた石が見えてきた。
ローがその下に眠る――慰霊碑。
ローだけじゃなくてあの日僕たちが生き埋めにしてしまった溶けかけていたキマイラ――もしかしたらジャルガルがそうなっていたかもしれない奴――や、それにすらなれずに死んでいったいろんな生き物や、全然別の実験で使われた人たちが、この下には一緒くたに葬られている。
――ロー。
石の前に立って尻尾を振ってみるけれども、甘い花の匂いしかしない。
――これで、よかったの?
あの日から、僕は犬に戻ったままだ。何度か頑張ってみたけれど、もう人やキマイラの姿にはなれなくなってしまった。拒絶反応もなくなったみたいだし、完全に犬になっちゃったんじゃないかな、とはトゥルムの見立てだ。
悔しいけれど、僕もそれと同意見だ。
前に比べて力も弱くなってしまったし、爪も伸びない。火だって吹けなくなった。
それに――ジャルガルの感情も、感じられなくなってしまった。
——これは、幸せ?
もう、隠れなくていい。ジャルガルと一緒にいられる。薬を飲まなくても大丈夫。
でも、僕は、二人で廃屋に住んでいた時の方が楽しかった。明日は何をしようって、もっとワクワクしてた。
全部、ジャルガルの演技だったわけなんだけど。
見上げたジャルガルの顔は、高いところにあって何を考えているか分からない。
「……ん? どうした」
僕の視線に気づいたジャルガルが、屈みこんで頭を撫でてくれる。僕の好きな耳の後ろを上手に掻いてくれて気持ちはいいけれど、心の中はすっきりしない。
——ジャルガルは、なんで僕とまだ一緒にいてくれてるんだろう。
僕のことを嫌いだったんじゃないのだろうか。僕がこうやって研究所に戻ってきたのだから、もうジャルガルの仕事は終わったはずだ。それでも、こうして僕のことを飼ってくれている。それも、檻じゃなくてジャルガルの自室で、だ。
最初トゥルムは僕を前のように檻に入れようとしたのだが、それにジャルガルが強硬に――主に拳の力で――反対してくれたのだ。正直あんまり迫力のある戦いではなかったけど、最終的には体格差でジャルガルが勝ったのでこうなっている。
落ちていた花の枝を見つけ、しばらく研究所の中庭で棒投げをしてもらう。暗くなってジャルガルが棒を見失った所で終わりにして、宿舎に移動する。お風呂からジャルガルが出てきたら、夕飯の時間だ。今日は僕の好きな焼き麺だけど、犬になってしまったせいで茹で肉しか貰えないのが悲しい。
自室に入ると、見張りに部屋の外から鍵を掛けられた。窓に格子がはまっている様子は、以前の僕の牢屋とあまり変わりはない。
杖に明かりを灯して本を読む、ジャルガルの横に座る。
本に何が書いてあるか読めるようになったのに、僕はもうそのことをジャルガルに話せない。
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