第19話 真名
パン!
「ギャン!」
突然乾いた破裂音がして、ローが僕から跳び退った。
「ノカイ!」
「ジャルガル!」
僕が振り向くと、地下室の入口に立ったジャルガルが「馬鹿!」と杖を振った。また破裂音がして、小さな光球がいくつも撃ち出される。
「なんで戻ってきた! 何してるんだ!」
「ジャルガル良かった! 起きたんだね!」
同時に叫びながら駆け寄る。
「もう大丈夫なの?」
「ああ。親切なクソ上司が催眠までかけてたっぷり寝かせて……ってうわ、首だけになってんじゃねえか」
ちらりとトゥルムの頭を見たジャルガルが、フンと鼻を鳴らす。
喜びを伝えたいところだけど、今はそれどころじゃない。僕が廊下の奥からこちらの様子を伺っているローを見ると、ジャルガルもそれを見たようだった。さっきの光球が当たったのか、額から血が垂れている。
「ジャルガル、ローが……」
「ノカイ、そいつはもうローじゃない」
杖を構え、僕の前に防壁を張りながらジャルガルは言った。
「もうくっつけられた動物の方に呑まれちまってる。溶けていかないのはさすがだけど……もう野生動物と変わらねえんだ」
「う、嘘だっ! だって僕、今ローと話したもん! それに、それにっ、まだローの気持ちわかるし!」
「……そうなのか?」
じりじりと距離を詰めてきたローが、また突進してきた。狙いがジャルガルに変わっている。ジャルガルを突き飛ばすと、代わりに僕の尻尾にがぶりと噛みつかれた。
「痛いっ!」
叫んだ瞬間、尻尾を振り回されて体が浮いた。思いっきり壁に叩きつけられて目から火花が飛ぶ。かすむ視界に、大きく口を開けるローと、その前に転がるジャルガルが映った。
ローの顔の前に、青い炎が集まっていく。
まずい、と思った。
「ジャルガル!」
翼を広げ、滑り込むようにジャルガルに覆いかぶさる。僕の羽に熱いものがぶつかり、そして部屋中が震えるほどの爆発が起きた。
「うぅっ……」
ガラガラと落ちてきた天井が、僕の背中にぶつかって積もっていく。静かになった音に恐る恐る目を開けると、辺りは真っ暗になっていた。
新鮮な土の匂いがする。地下で暴れたから、壁が崩れてきて生き埋めになってしまったらしい。
「ジャルガル、大丈夫……?」
押しつぶしてしまっていないか心配になりながら、羽の中に抱いた温もりに声をかける。
「……おかげさまで、今のところは」
掠れた声が聞こえてきて、ほっとする。でも、上に乗った瓦礫は今の僕には重すぎるようで、身動きが取れない。
何かに挟まれた耳に、少し遠くで雄叫びをあげる獣の声が響いてきた。
ローの皮を被った、何かの声。
――ああ、本当に、もう……ローじゃないんだ。
あの体を動かしているのは、もう別の何かなんだ。ローの心だけはまだ残っているけれども、もう、きっと、それだけなのだろう。
だから、僕に、最後の命令で――殺してくれ、と言おうとしたんだ。
――でも、そうしたら、僕も……
馭手とキマイラは一蓮托生、というのは気分や心構えの話ではなかった。トゥルムの話が本当なら、ローは僕の成長を止め、体を維持させるための薬の材料なのだから。
「……ノカイこそ、平気か?」
伸びてきた手が、僕の顔に触れた。伸びてしまった鼻先を撫で、焼け焦げた羽の上を滑っていく。
「あーあ、馬鹿お前……キマイラに戻るなっつったろ。俺なんてほっときゃよかったのに」
「や……やだよ」
僕だって、別に戻ろうと思ってキマイラになったわけじゃない。ただジャルガルか危ないと思ったら、体が勝手にそうなってしまったのだ。
でも、だんだん息苦しくなってきている。ローの攻撃を耐えられただけで、このままじゃ結局地面の中で窒息して終わりだ。
――こんなの、普段だったら尻尾の一振りで吹き飛ばせるのに。
手錠で力が抑えられているせいだ。トゥルムの奴め。そしてその手錠は瓦礫に引っかかっていて、やっぱり僕の力じゃ外せそうにない。
僕だけの力では。
1つだけ、なんとかなるかもしれない方法が方法が僕の頭に閃いた。
――どうしよう。ローは、ダメだって言ってたけど。
でも、僕の頭では他にいい方法は思いつかない。
「ジャルガル。えっと……あのね」
「……なんだ?」
翼の下からくぐもった声が聞こえる。僕以上に苦しそうで、誰かが助けてくれるのをのんびり待っているわけにはいかなそうだ。
「うまくいくか分かんないんだけど、お願いがあって」
「うん?」
「あのね、僕のね、名前をね、呼んでほしいの」
「ノカイ」
「あっ、えと、うん、そうなんだけど、そうじゃなくて……」
恥ずかしい、のだろうか。発情期が来たときみたいにドキドキして、なかなかその先が言えない。そんなことしてる場合じゃない、と一度目を閉じて気合を入れる。
「僕の……ほ、本当の名前、を……呼んで欲しいの」
真名を呼ばれることで、キマイラは自分の力の全てを出せるようになる。そしてその代わり、名前を知っている人には何をされても逆らえなくなってしまう。
だから、本当に大切な人――というか、馭手にしか、その名前は教えちゃいけない……と、僕は言われてきた。
ローがつけてくれた、二人だけの、特別な名前。
僕の、一番大切なもの。
だけど、ジャルガルになら呼ばれてもいい気がした。その結果どうなるとしても。
「……いいのか?」
「うん」
震える声で、自分でもはじめてその名前を口に出す。土と暗闇の混ざった重苦しい中に、聞き慣れない響きが呑まれていった。
ジャルガルの手が、また僕の顔に触れる。息を吸う音が聞こえた。
「――アズ!」
ジャルガルの声がして、僕の体が震えた。
全身に力が満ち、体が膨らむ。焦げた羽や背中の痛みが消え、太くなった腕で腕輪が弾け飛ぶ。
「オオオオオン!」
大声を上げて後ろ足で立ち上がると、積もっていた瓦礫と土が音を立てて崩れ、顔が一階の床の上に飛び出した。光が眩しい。
もう階上の研究員たちは逃げたのか、それとも元から無人だったのか、金属の台と手術器具が並ぶ部屋に人影はない。
一回頭を引っ込め、羽の下にいるジャルガルをそっと咥える。一階の床の上に下ろすと、呆然とした顔のジャルガルと目が合う。
「……お前、そんなデカくなれたんだな」
「ぐる」
この姿になると、もう人の言葉は喋れなくなってしまう。でも、代わりにジャルガルの手から気持ちが伝わってくるから問題ない。
傷はないか、ジャルガルの全身の匂いをかぎ、鼻先でつつきまわす。白いこめかみにできていた傷を舐めると、ぴたりと血が止まった。
「大丈夫だよ。ノカ……アズ? こそ丸焼けになりかけてたけど、そんな巨大化していいのか?」
平気。僕も床に這い上がり、背中を見せる。見えないけど、さっき焦げた部分は綺麗に治っているはずだ。
「はあー……すげえもんだな」
僕が凄いんじゃない。ジャルガルが僕のことを呼んでくれたからだ。真名にはそういう力がある。
窓の外でローじゃない奴の叫び声が響き、びりびりと窓ガラスが揺れた。
大きくなって本来の力を取り戻したのはいいけれど、窓も扉も僕のサイズには小さすぎるようだ。首を突っ込んで窓を割り、ごめんね、と内心で謝罪しつつ壁面を壊して外に出る。でも、もうローのキマイラが散々地下室を壊した後だし、ちょっとくらいいいだろう。
羽を広げて飛ぼうとすると、開けた穴からジャルガルも出てきた。
「乗せろ、アズ」
「がうぅ」
「援護くらいできる」
「……ぐるるる」
「分かってる。邪魔はしないから」
そう言われると、乗せないわけにはいかない。渋々僕が体を下げると、背中の上にジャルガルが乗ってきた。首の付け根と翼の間に落ち着いたジャルガルが僕のたてがみを掴むのを確認してから、声の聞こえた方向へと駆ける。
ローのキマイラは、建物の表、庭で兵士たちと睨みあっていた。半鐘が鳴り響いている。通り道であろう所に点々と血やら人の一部やらが落ちている。さっきに比べて小さく見えるのは、僕が大きくなったからだろう。
「グアアアアアア!」
大きく足を振りかぶるキマイラに、僕の思考を読んだかのようにジャルガルが魔弾を打つ。振り向いたキマイラが翼を広げ、飛び掛かってきた。ジャルガルが張った障壁にぶつかって勢いが削がれたところを、尻尾で跳ね飛ばす。
触れた部分から、僕の中に、冷たい感情が流れ込んでくる。
――うん。分かってる。
体勢を崩したところに、前足で一撃を繰り出す。
吸い込まれるように入った鉤爪は、呆気なくローの胴体を切り裂いた。
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