第15話 追跡
白い魔法光が玄関を明るくした瞬間、僕は尻尾を振って跳び上がっていた。
「おかえり、ジャルガル!」
帰ってきたジャルガルに頭を擦り付ける。ん、と頭を撫でてくれたジャルガルは、机の上に持っていた紙袋を置いた。
「ほら、夕飯」
そのまままたスクロールで帰っていこうとするジャルガルの服の裾を、僕は慌てて引っ張った。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「何だよ……」
振り向いたジャルガルの目の下には、くっきりとした隈がある。
「ね、ジャルガルの夕飯は?」
「俺は食ってきた」
「そ、そうなの? せめてお茶くらい一緒に」
「いい。つか服に穴開くから止めろつったろ」
邪魔そうに僕の手を払い除け、ジャルガルは顔を顰めた。
「何? 何か用なら手短に話せよ」
「用は……ないけど」
ないけど、一緒にいたいというのはダメなのだろうか。言い出せずにいると、「じゃ、俺は戻るから。先に寝てろよ」と言い残してジャルガルは消えてしまう。
「あっ……」
ジャルガルのいなくなってしまった空間をしばらく眺めてから、僕は呆然と椅子に座った。毛の薄くなった尻尾が、ゆらゆらと床を掃く。
ジャルガルが置いていった紙袋の中には、パンと干し肉、チーズが入っていた。あと薬。前より量が多くなった気がする。
「……おいしくない」
もそもそするだけの塊は、一人で食べても味気ないだけだ。
――最近、ジャルガルの帰りが遅い。
遅いだけじゃない。今日みたいに夕飯を置いていくだけだったり、作ってくれても自分は食べずに仕事に戻ってしまうことも多い。それだけじゃなくて、朝も早い。朝食を作るだけ作って、さっさと家を出て行ってしまう。
機嫌だって悪い。何を話しかけても、さっきみたいに嫌そうな顔をされることがほとんどだ。
そんなに重要な話があるわけじゃない。ただ、湖の上に僕の毛のようなふわふわの氷ができていてすごく綺麗だったとか、畑を掘り返していたら尻尾の短いネズミが出て来て、死んでるのかと思ったら動き始めてびっくりしたとか、そういうことをジャルガルに聞いてほしいだけなのに。
「むぅ……」
ジャルガルのいないベッドに潜り込む。「いくら魔法であっためるにしても限度がある」とジャルガルがどこかから貰ってきた古毛布には、干し果物のようなジャルガルの匂いが染みついていて悲しくなる。
——仕事が忙しい、って言ってるけど。
薬屋さんがそんなに急に忙しくなる、なんてことあるのだろうか。街では病気が流行っているとか、いつの間にかどこかとまた戦争を始めた、とかなのだろうか。
人里離れたこの廃屋にいる僕には、何もわからない。
——それとも、もしかして……僕のこと、嫌いになっちゃったのかな。
考えてみれば、ジャルガルが僕と一緒にいる理由なんて何もないのだ。ずっと一緒にいたし、キマイラというものは一人になっちゃいけないと信じてたから今まで不思議に思わなかったけど、僕がいてジャルガルが得することなんて何もない。
僕がいなければ、ジャルガルは毎日職場とここをスクロールを使ってまで往復することもないし、ご飯だって僕の分まで食べられるはずだ。隙間風のすごいぼろぼろの家じゃなくて、もっと普通の、ちゃんとした所にだって住める。僕の薬がいくらするのか分からないけど、その分のお金だって浮くと思う。
——そういえば、前に「ずっと一緒にいるわけにはいかない」って言われた……よね。
思い出した瞬間、ひやりとしたものが僕の背中を降りていった。
——え、まさか……
ぐるぐると部屋が揺れはじめた気がした。ジャルガルは僕のことを置いて行ってしまうつもりなのではないだろうか。もしかして、もう二度と帰ってこないのではないだろうか。そんなことない、と思いたいけど、でも、じゃあなんで最近こんなに冷たいんだろう。
じっとしていられなくなって、僕はベッドから出た。ボリボリと腕や足を掻きながら部屋の中を歩き回る。
——で、でもほら、僕に分からないだけで本当に忙しいだけかもしれないし、何か理由があるのかもしれないし。
理由。どんな理由があるっていうんだろう。考えても分からない。
部屋の中を歩き回っていると、小さな棚が目に入った。毎日使うから、ジャルガルが何本か買いだめしたスクロールを入れている棚だ。
——確かめてみればいいんじゃないか?
気になるなら、本当かどうか見に行ってみればいいのだ。スクロールは使ったことがないけど、ジャルガルが使うのは何回も見ている。書いてある言葉を読むだけだから、きっと今の僕にならできるはずだ。どこに出るか分からないけど、今は夜だから人もいないだろうし、フード付きの上着を被っていけばいい。それでジャルガルが何をしているかをちょっとだけ確認するのだ。見つかる前にすぐ帰ってくればいい。
またお祭りの日のようになったらどうしよう、と少し考える。でも今回は全身がキマイラの状態ではないし、スクロールも持っていくし。
――大丈夫……だよね。
それより、こんな気持ちでずっといる方が耐えられなかった。
しっかり上着を着込んでからそっと棚に手を伸ばし、一番上にあるスクロールを手に取る。爪の先で封を切り、コロコロと中身を広げる。以前はただの柄にしか見えなかった文字列が、意味を持った流れとなって僕の目に映った。
「え、と……『以下の場所に、転移、ウストヤー市街、青の通り一番地……』」
恐る恐る書いてあった言葉を読み上げると、ふわりと紙が光る。
読み終えると、辺りの景色が白く染まった。世界が回るような感覚があって、ぎゅっと目を瞑る。
やがてあたりの匂いが、温かい土壁から冷たく湿ったものに変わった。ひやりとした夜の空気が僕を包む。
「う、わぁ……」
僕が目を開けると、そこに広がっていたのは見慣れた家の景色ではなく、冷たい灰色の石壁だった。どこか建物の中に出たらしい。薄暗い中に、つんとする薬と、血の匂いが広がっている。
本当に、成功してしまった。
信じられない、と手に持ったスクロールを見おろす。紙の巻物の端には、先ほどまでなかった丸い印が増えていた。きっとこれが残りの回数なのだろう。
スクロールを丸めなおそうとしたがうまくいかない。仕方がないのでくちゃくちゃに丸めたまま手に持ち、きょろきょろと左右を見回す。どっしりとした、中に何かを閉じ込めておこうとするような石壁には、どこか見覚えがある気がした。考えながらジャルガルの匂いを探して深呼吸すると、ふっと記憶が繋がる。
——ここ、研究所じゃん!
確かに薬はいっぱいあるけど、絶対に薬屋さんじゃない。
意味が分からなかった。何でジャルガルは嘘をついてまでここに来ているんだろう。もう研究所には戻りたくないって言ってたのに。
とにかく、最初の目的であるジャルガルを探そう、と歩き出す。
研究所は、僕の知っている限りでは二つの大きな建物と、その建物に直角に刺さる形の廊下からなっている。中を歩いたことはあまりないからよく分からないが、多分以前僕が捕まえられていた牢屋の近く、一階に出ているような気がする。
幸運なことに、夜のせいかほとんど人の気配はしない。そっと歩いているつもりなのに、足の爪が石床でカチャカチャと音を立ててしまい、自分のことなのにびっくりしてしまう。
ジャルガルの匂いは、僕が出てきたところからすぐのところ、「薬品保管庫」と書かれた部屋の中に消えていた。床に鼻を近づけると、中にもう一人いるであろうことが分かる。
ぞわわ、と全身の毛が逆立った。
――トゥルムだ。
僕の「研究」をしている、ジャルガルより偉い人。ジャルガルに命令だけして、うまくいかないと僕たちを蹴ってくる、嫌なやつ。僕を見下ろす黒灰色の目を思い出すだけでムカムカしてくる。
どうして、と思う。ジャルガルだっていつも殴られたり蹴られたりしてたじゃないか。
部屋の中から話し声が聞こえて、僕は耳を立てた。
「――それにしても、君がこんなに熱心に仕事をするタイプだとは思わなかったよ。いつも言われたことすら碌にしなかったじゃないか」
「……最後の『西』産キマイラですからね、このまま失うのは惜しいですよ」
「ふうん……私はてっきり、君があの化け物に肩入れしているものだと思っていたけど」
軽薄そうなのがトゥルム、それに対して答えているのがジャルガルだ。僕と一緒にいる時よりよほど丁寧な話し方をしている。
こんなやつにそんな話し方する必要ないのに。僕の前足の爪が剥がされたのも、牙を抜かれたのも、尻尾が焦がされたのも、全部全部、こいつの命令だ。
唸り声を上げそうになり、ぐっと堪える。こんなドアなんて壊して八つ裂きにしてやりたいけど、それは命令がないからダメだ。
「味方のように見せないと、あいつに食われて終わりですからね。信頼させるためには必要なんですよ」
——え?
確かにジャルガルの声なのに、何を言っているのか僕には理解できなかった。
「へえ、そうかい。私はてっきり、君があいつを逃がしたんだとばっかり思ってたけどね」
「まさか。何でそんなことしなくちゃいけないんですか」
「随分と仲良くしていたみたいだったからね、二人で脱走したのかと」
「……そう見えたんなら、私の演技も上手だった、ってことでしょうね」
はあ、と呆れたようにジャルガルの声が続ける。
「あいつに仲間を殺された恨み、忘れるわけないじゃないですか」
「ああ、そうだっけ」
頭を殴りつけられた気がして、僕はぺたんと床に座り込んだ。ジャルガルの声で、扉の中からは確かにジャルガルの匂いがする。嘘だと思いたかった。
「大体、二人で共謀して逃げ出したのなら、今更私だけのこのこと戻ってくるはずないでしょう」
「それはどうだろうね」
少しだけ、妙な間が開く。
くすくすと、僕の背中を逆なでするような笑い声が聞こえた。
「それで、いつになったらあのキマイラを連れてこれそうかい?」
「さあ、そればっかりは。懐いたとはいっても私の言うことなんて聞きませんからね、あいつは」
「君はずっとそう言って……まあいいや」
飽きたように会話を途中で放り出したかと思うと、トゥルムの威嚇するような足音が扉の向こうから近づいてきた。慌てて廊下の端まで走り、角に身を潜める。
扉の開く音がして、中から連れ立って出てくる足音が聞こえた。そっと覗くと、明かりを点けた二人組が部屋の鍵を閉めている。
片方は、鉄色の長い髪を垂らした中肉中背の男。トゥルムだ。そしてもう片方は――
——ジャルガル。
細身で背の高い、ひょろりとした姿。短く切りそろえられた草色の髪。間違いであって欲しかったけど、見れば見るほど確信に変わってしまう。
それでも何か違うところがないかと僕が目を凝らしていると、ふっとジャルガルがこちらを向いた。慌てて頭を引っ込める。
「ん? 何か?」
「いえ……」
そのまま歩き去って行く足音を聞きながら、僕はほっと息をついた。そうっとまた廊下を覗くと、もう二人の人影はない。
——こ、こっち来なくてよかった……
石の床は、遠くの足音もよく響く。追いかけていこうか。少し考えたけれども、僕は結局そこから動くことができなかった。
ジャルガルのことを、これ以上確かめたくなかった。これから彼らが何を話すのか、もう聞きたくない。
――来るんじゃなかった。
一人で家にいるのは寂しかったけど、でも知らないままの方が良かった。今の気持ちに比べたら、家であれこれ考えてうろうろしている方がまだいい。
俯くと、耳についた星片石が揺れた。
「……っ!」
引きちぎるようにして耳飾りを取り、思いっきり力を込めてそれを廊下に叩きつける。
ちりん、と床の上で跳ねた白い石は割れることもなく平然と光っていて、僕は石にまで馬鹿にされた気がして悔しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます