第8話 統一記念祭
まだ朝陽の眩しい窓の外からは、もうお祭りの楽しげな音楽が聞こえてきていた。
「ダメだ、ノカイ」
「ええっ! なんで!」
「アリマおばさんの店」裏手。寝起きしている部屋で僕が大声をあげると、「しっ!」とジャルガルは僕の口を塞いだ。
「ダメなものはダメだ。とにかく……ノカイ、今日は外出禁止だ。おばさんにもお前は体調崩してるって伝えておくから、部屋で大人しくしてるんだ」
「なんでよ! どうして行ったらダメなんだよ! せっかくのお祭りなのに!」
意味が分からない。お店もお休みなのに、遊びに行っちゃいけないなんて。僕がジャルガルを見上げると、ジャルガルも僕を睨み返してくる。
「……行かない方がいい、ノカイ」
「なんでだよ!」
「なんでもだ」
理由すら説明してくれないジャルガルに、全身の毛が逆立ちそうだ。楽しみにしていたお祭りなのに、突然「行っちゃいけない」だなんて納得できない。ローの命令がなかったら噛みついてやりたいところだ。
ぐるる、と喉の奥で唸り声をあげると、宥めるようにジャルガルが僕の頭に手を伸ばしてきた。
「触んなよっ!」
牙をむき出しにすると、びくりと手が引っ込む。はあ、とため息をつくジャルガルに、僕は机の上にあった読み書きの教科書を投げつけていた。鈍い音を立てて、本の背表紙が顔に直撃する。
「……った……」
「あ……」
よろけたジャルガルの鼻から、たらりと血が落ちていく。手の甲でそれを拭ったジャルガルが、無言のまま屈みこんで本を拾う。表紙の埃を払う表情を確かめるのが怖くて、僕は俯いた。近寄ってくる足先に身が竦む。
「本は他人に投げつけるためにあるもんじゃない、ノカイ」
だが、ジャルガルはそう言って本を元の机の上に置いただけだった。
「……とにかく、出るなよ」
縮こまる僕にそれだけを言い残して踵を返し、部屋を出ていってしまう。居間の方から聞こえた扉の音に僕が顔を上げた頃には、部屋には僕一人きりになってしまっていた。
「ジャルガルの馬鹿っ!」
そう言いながら、僕はベッドの上に倒れ込んだ。2つあるベッドのうちの右側、二人で寝るときに使う方。
――何でダメなんだ。意地悪。やっぱり東国人だ。
枕の端を噛んでも、ちっとも気分は良くならない。本だって、そりゃ確かにむしゃくしゃした気持ちがあったのはその通りなんだけど、でもぶつけるつもりはなかったのに。あれくらい避けることも受け止めることもできないなんて思わないじゃないか。
窓の外から聞こえる弾んだ音楽も、こうなってしまえば耳障りなだけだ。僕の気持ちを嘲笑っているかのような音色に耳を塞ぎ、布団の中で丸くなる。
ぱたん、と玄関の扉の音に僕が目を開けると、窓の外は夕暮れが迫っていた。
——あれ、え?
何が起こっているのか分からず、思わず目を擦る。少しして、「どうやら不貞腐れて布団にくるまっているうちに寝てしまったらしい」と僕は気づいた。
ジャルガルはどこだろう、と見回すが、相変わらず部屋は僕一人だけだ。耳を澄ますものの、家の外から笛と胡の音が聞こえてくるばかりである。
——で、出るなってジャルガル言ってたけど、見るなとは言ってなかったよね?
恐る恐る部屋から顔を出す。ちょうど奥の部屋から出てくるところだったアリマおばさんと目が合った。
「あらっ、ノカイ、もう体調は大丈夫なの?」
「あ……う、うん! ぐっすり寝たら良くなったみたい」
「よかったわ。うちに来てからずっと働き詰めだったから疲れちゃったのね。ごめんなさいね、つい息子みたいにこき使っちゃって」
「う、ううん、大丈夫だよ」
心底心配してくれていたのだろう。ほっと表情を緩ませるアリマおばさんに、心の奥がちくちくと痛む。
「お腹空いてない? 何か食べる?」
「あ、食べたい! 焼き麺がいい!」
「いいわよ」
おっとりとして見えるおばさんだが、一人で店を切り盛りしていただけあって行動はすごく早い。居間のテーブルに座った僕の前には、あっという間に山盛りの焼き麺が置かれていた。
薄味なのだが、もちもちの麺が肉と野菜の旨味を吸い込んでいて非常においしい。朝から何も食べていないのだから余計だ。しばらく無言で麺をかきこんだ僕は、皿が半分ほど空になったところでようやく当初の目的を思い出した。
「そうだおばさん、ジャルガルはどこ?」
「あら、お兄さんなら出かけたわよ」
「出かけた? お祭りに行ったの?」
「ええ」
「……そう、なんだ」
僕には出るなって言っておいて、自分は行くんだ。ジャルガルに謝りたいと思っていた気持ちがしぼみ、じりじりとした怒りがまた湧き上がってくる。
——なにそれ。おかしいだろ。
「体調良くなったのなら、ノカイも行ったら? そんなに大きい村じゃないし、行ったら会えると思うわよ」
「え、いいの?」
もちろん、と頷くおばさんは、ジャルガルと違って優しい。
「そういえばおばさん、今日って何のお祭りなの?」
僕が残りの麺を食べながら尋ねると、おばさんは「えっ」と首を傾げた。
「統一記念祭よ。ほら……5年前に戦争が終わって、東のメドルグハンに統一されたでしょ? それを記念というか……二度と争いが起きませんように、って祈りを込めてお祭りにしたのよ」
「へえぇ」
「処刑の様子を再現して、大きなかがり火で人形を燃やしたりするんだけど……見たことない? どの町でもやる決まりになってると思うんだけど」
「ううん、見たことない」
だって、戦争が終わった時、僕は既に研究所にいたから。ジャルガルに終戦を教えられて、嘘だ! と騒いだ覚えがある。
「そう……なの」
おばさんは、何か考え込むように顎に手を当てた。
「ねえノカイ、あなたたち……」
「なに?」
「……いいえ、何でもないわ。あ、そうだ、ちょっと待っててね、お祭りに行くのなら服出してあげるわ。息子のお古で悪いけど」
一度引っ込んだおばさんが、濃い青色の袍を持って戻ってくる。焼き麺を食べ終わった僕が着替えると、まるであつらえたようにぴったりだった。いつものより刺繍が多くてきれいだから、きっとハレの日用の服なのだろう。
「あらよかった、似合ってるわ。また少し大きくなったかしらね、もうどこも詰める必要はなさそうだわ」
「えへへ」
手を叩くおばさんの前で、くるりと回ってみせる。
「でも、こんなに綺麗なの、借りちゃってもいいの? 息子さん、怒らない?」
ジャルガルに同じことをしたら、なんとなくだけど怒りそうな気がした。ローだったらそんなことしないけど。
「いいのよ、もう死んじゃったから」
微笑むアリマおばさんの顔は、いつもと変わらない。
でも、僕は返事ができなかった。
黙って立ち尽くしていると、ふふ、とおばさんは懐かしそうに笑みを深くした。
「ノカイ、えっと……これは知ってるかしら、クルチハンの国がキマイラ部隊に力を入れ始めた時に、国中から双子を集めて合成獣化の実験をしたの」
「あ、うん。知ってるよ!」
僕を始めとした、初期に作られたキマイラの力が注目を浴び始めた時のことだ。キマイラの制作者であるウーリ・ベキは「動物ではなく人間を元にしたキマイラなら、もっと手軽に頭がよくて強い部隊ができるのではないか」と思いついたのだ。動物を改造して思考力を与え、そこに戦闘訓練をするより、忠誠心と戦闘力のある人間を元にした方が扱いやすいのではないか――ということらしい。
キマイラになれるかどうかの鍵は、馭手となる相手とどれだけ心を通わせられるかにある、というのはその時すでに分かっていた。だから、軍の研究部は国中から被験者となる双子を募ったのだ。キマイラ部隊と言えばもう、軍の花形だし国の英雄であるローが率いているんだし、一般人が目指せる最上位の地位と言っても過言じゃない。多くの人が立候補したし、彼らが入隊するときは、僕も先輩として誇らしかった。といっても、訓示を述べるローの隣に控えていただけだけなんだけど。
「双子部隊は……ああ……」
失敗しちゃったもんね、と思わず言いそうになり、慌てて口をつぐむ。「言っちゃいけない」とローに命令されたことだから。
その時の実験は、僕らと違って、既に体の出来上がった大人を対象にしていた。だから、別の動物の体を受け入れる余地がなかったんだ、とローは言っていた。
双子のうち、キマイラに選ばれた側は拒絶反応でどろどろになって死んでいったし、機密保持のため、ということで馭手候補も全部処分された。まあ、正気を失った相方に殺されるか、処分する必要もないほどおかしくなっている人がほとんどだったけど。
その後、研究については「全然ダメでした! 大失敗でした!」と国民に発表するわけにもいかない、ということで、表向きは「研究中の事故によりウーリ・ベキ他多数の被験者が死亡したため、無期限の延期」とされていたと思う。
――せっかく国一番の部隊に選ばれたのに、敵の一人も倒せずに死んでいくなんて。どんなに無念だったろうか。
僕がかける言葉に迷っていると、相変わらず顔に笑みを張り付けたおばさんは、ゆっくりと首を振った。
「……キマイラなんて、いなければよかったのにね」
「えっ」
ぽつりと聞こえた声に、頭の中が真っ白になる。
——僕らが、いなければよかった? なんで?
「ああ……そんな顔しないで、ノカイ。私はね、戦争に参加せず二人で死ねたんだから、むしろうちの息子たちは幸せ者だったんじゃないかって思ってるんだから。だって、誰のことも傷つけないでいられたってことでしょう?」
聞こえてくる声は、文としては理解できたけど意味がわからなかった。
犬死にしてるのに幸せって何?
ローは「彼らの分まで敵を倒そう」って言ってたのに。そうじゃないと報われないって。
呆然とする僕の背中を、アリマおばさんが叩いた。小気味いい音が響き、軽い痛みに意識が引き戻される。
「湿っぽい話しちゃってごめんなさいね、楽しんでらっしゃい!」
「お、おばさんは行かないの?」
僕がなんとかそう言うと、「ありがとうね」とおばさんは頷いた。
「でも、今日は……私はいいわ」
その表情はやっぱり笑顔だったけど――僕にはどこか、悲しそうに見えた。
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