第7話 買出し

 フフガザルは小さな村なので、町外れと言っても街の中心までそんなに距離があるわけではない。僕達が肉まんを食べ終わる頃には、市場の入り口についていた。果物や肉、お菓子の香りや人いきれ、布や鉄、近くの湖の水の匂いなどでごった返す市場には、特に秩序もなく様々な店が立ち並んでいる。時々威嚇するように歩き回っている警邏の憲兵がちょっと怖いが、今のところ声を掛けられたことはない。


 馴染みの店に向かいながら、ジャルガルは帯の間から小さな紙を取り出した。ジャルガルはローのように沢山のことを覚えられないようで、買出しの時には毎回メモをしているのだ。

 書きつけに目を落とす様子からなぜか目を離せずにいると、ジャルガルは手に持っていた紙切れを、はい、と僕に押し付けてきた。


「今日の買い出しはこれな。読んでみろ」

「むう」


 最近、ジャルガルは僕に文字と計算を覚えさせようとしている。「その方が仕事をするのに便利だから」ということらしいけれど、なぜ僕が覚えなければならないのか意味が分からない。


「んあー……っと、ひとじ……羊、の、にく、がー、えと、5カル、で……こむ、こむば……小麦粉、8、いや9? リャン、で」

「6バドだ。リャンは飲み物量る時に使うやつ」

「もー、邪魔しないでよ! 分かんなくなっちゃうでしょ!」

「もうすでに分かってなかっただろが」

「わか……分かってたもん! ちょっと時間かかってただけだもん!」

「はいはい、すいませんでしたね」


 目を細めながら赤い袍の腕を組むジャルガルは、いつにもまして憎たらしい。


「大体、僕が読めなくてもジャルガルが読んで教えてくれたらいいだけの話じゃん」


 文句を言うと、「はあ?」とジャルガルは呆れたような顔をした。


「何で俺がいつまでもお前と買い出しに行かなきゃなんねえんだよ、もう大人だってんなら一人でお使いくらいできるようになれよ」

「えっ? ひ、一人で? なんで!?」


 びっくりしてジャルガルの顔を見つめると、「ああ……」とまたため息をついたジャルガルは頭を掻いた。


「いいかノカイ。俺はお前の馭手じゃねえし、馭手になる気もねえ。ロー将軍様のように頭がいいわけでもねえし、いつでもどこでも一緒にいて、『ああしろこうしろ』ってお前に言い続けることはできねえんだ」

「え……」

「それにな、戦争はもう終わったんだよ、ノカイ。研究所に戻りたくなきゃ、どうやって生きていくか自分で決めなきゃならねえ。でも、一人で何もできない今のノカイじゃ、生きていくもへったくれもねえだろ」

「自分で決める……?」


 そんなこと、考えたこともなかった。いいのだろうか。

 ぽかんとしていると、「なんで俺がお前のことまで決めてやんなきゃいけねえんだよ」とジャルガルが腕を組む。

 持っている紙切れを、僕はもう一度見た。ジャルガルには強がったけど、実際まだ読めない字もあるし、読めたところで何だか分からないものもある。この先買い物までするとなると、おつりが合っているかどうかの計算も自分でできなきゃいけない。


「……僕、そのうち一人で買い物来なきゃいけないの?」

「そらそうだろ。いつも召使連れ歩けるようなご身分じゃねえんだから」


 ジャルガルの顔をまた見上げた僕は、袖の折り返しから伸びる細い手首を掴んでいた。そうでもしないと、なんだかジャルガルに置いて行かれそうな気がしたのだ。一人で市場に取り残された自分を想像しただけで、路地裏で目を覚ました時のような心細さがあった。

 ローに出会う前、いつも腹ぺこで、投げられる石に怯えていた頃。


「ジャ……ジャルガル、いなくなっちゃうの?」

「は?」

「だ、だって、一緒にいられないって……」


 思わず力が強くなっていたのか、「痛っ」とジャルガルが顔を顰めた。慌てて手の力を抜くと、手首を振ったジャルガルが「心配すんなよ」と僕の頭を撫でる。


「まだロクに配膳もできねえのに、放り出すわけないだろ」

「で、できるもん……」

「さっきだって分かんなくなってたろが」

「たまたまだもん」


 でも、もし、僕が注文を間違えないようになって、そして一人で買い物メモを作ってお使いに行けるようになったら――ジャルガルは僕を置いていってしまうのだろうか。


 ――だって、「まだ」って……そういうこと、だよね?


 聞きたいけど、どうしても言葉にできない。もし「そうだ」と言われたら、僕はどうしたらいいのだろうか。


「……やっぱり、読み書きなんてできるようにならなくてもいいじゃん。めんどくさい」


 メモ紙を突き返すと、「まったく」とジャルガルが呟くのが聞こえた。

 もやもやした気持ちのまま、ジャルガルが仕入れをするところを眺める。あっという間に木箱3つほどになった食材を持つのは、僕の役目だ。


 ――ジャルガルだって、僕がいなきゃこんなに荷物運べないくせに。一人で買い物できないのはそっちも同じじゃないか。


 なんだか不公平だと思う気持ちと木箱を抱えながら市場を戻っていると、反射した日光が目の中に飛び込んできた。眩しさに目を細めながら振り向くと、台の上に並んだアクセサリーがきらきらと輝いている。


「わあ、きれい!」


 動物の牙を加工したネックレスに青い石のピアス、珍しい真珠を使ったブローチもある。僕が見入っていると、「これからのおすすめはこれですよ」と売り子は台の中央を指差した。半透明の、薄い牛乳のような色の石を加工したネックレスや腕輪が並んでいる。ぴかぴかとこぞって宝石たちが輝く中で、柔らかい乳白色の石は、物陰に咲く花のような奥ゆかしい表情を見せていた。


「星片石って言ってね、東の特別な洞窟でしか採れない石なんですけど、夜になると星のように光るんですよ。来週のお祭りにピッタリだと思って入荷したんですけど、もう残りこれだけになっちゃってて」

「お祭り……?」


 こんな時期にお祭りなんてあっただろうか。しゃがみ込んで箱を置き、顎に指をあてる。「こら、勝手に立ち止まるんじゃない荷物持ち」とジャルガルの声が頭の上から聞こえてきた。


「ノカイ、言っとくけど買わねえからな」

「まだなんにも言ってないじゃん!」


 見上げると、逆光になったジャルガルの顔が上から覗いている。


「それに、お駄賃に好きなもの買っていいって前におばさん言ってたじゃん」

「無駄遣いしていいって意味じゃねえよ」

「この前ジャルガル変な巻物買ってたくせに! ずるい!」

「変な巻物て……スクロールな。あれは必要になる……かもしれないから買ったんだ」


 スクロールとは、魔法の力が込められている巻物だ。魔法の心得がない人間でも、書かれている呪文を唱えるだけで魔法が安全・簡単に使えるようになっているとジャルガルは説明してくれた。僕はローや研究所の誰かがスクロールを使っているところなんて見たことがなかったけれど、魔法が使えない、もしくは使えてもあんまりうまくない人には一般的らしい。


「これだって必要になるかもしれないだろ!」

「どんな時にだよ」

「な、なんか……綺麗だろ! ほら、光るから……夜道とかで! 便利!」


 言いながら、自分でもさすがに苦しいな、と思う。ジャルガルも同じことを思ったのか、「何言ってんだ」と半目で見下ろしてくる。


「ほら、さっさと帰るぞ。店におばさん一人なんだから」

「むうう……ケチ!」


 ローだったらすぐに買ってくれたのに。木箱を持ち上げると、今度は僕の後ろからジャルガルがついてくる。

 犬に追われる羊みたいだ、と思いながら、僕は足早に来た道を戻った。

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