第6話 料理店
砂漠の中、ぽっかりと湧いた三日月形の湖畔にへばりつく村。それが元クルチハン領フフガザルだ。その町外れにある「アリマおばさんの店」は、毎日食事時になると店外に行列ができるほどの客が来る。
「お待たせしました! 肉焼き麺と揚げ餃子、乳酒2つです!」
店名の通り、ここの売りはアリマおばさんの作る家庭料理だ。僕がいい匂いのする皿をテーブルに置くと、座っていた客はきょとんとした顔をした。
「ん? 麺は頼んでないけど……」
「あ、あれ? えっと、あれ?」
「ノカイ! 蒸し餃子と串焼き! お茶も出すから一緒に持ってけ!」
「ま……待って! さっきの麺はどうするの? ねえジャルガル!」
カウンターの中では、野菜を炒めるふくよかなおばさんの隣でジャルガルがお茶を削っている。助けを求めると、「それは右の席!」と振り向きもしないまま返答が返ってきた。
「み、右……? どこの右? どっちから見て?」
おろおろしていると、アリマおばさんがこっそりと手振りだけで「あそこの席」と教えてくれる。ここだろうか、と思う席に配膳して振り向くと、にっこり笑ったおばさんが頷いてくれてほっとする。
この店で僕らが働き始めてもう5月ほどになるが、未だに混雑時には頭の中がこんがらがってしまう。
砂漠を抜けて辿り着いた店に、「お金はないが、働いて返すので何か食べさせてくれないか」とジャルガルが交渉したら、店の方も人手が欲しかったとのことで、そのまま住み込みで働かせてもらうことになったのだ。今着ている、ジャルガルが赤、僕が黒の袍も、店主のおばさんがくれたものだ。
ちなみに、僕とジャルガルは兄弟、ということになっている。日用品を売りながら各地を渡り歩いてきたが、水浴びをしている間に服も荷物も盗られてしまった――という設定だ。
正直に「キマイラと研究員です! 逃げ出してきました!」なんて言おうもんなら憲兵を呼ばれて終わりだ。それは僕でも分かる。でも、僕ら二人は顔も体形も何もかも全然似ていないし、色白のジャルガルはどう見たって物売りじゃないし、僕に至っては計算もできない。こそこそしていてもおかしくない駆け落ちの方がふさわしいのでは、と僕は主張したのだが、すごい顔をしたジャルガルに「ふざけるな」と却下されてしまった。
「ありがとうございました!」
昼を過ぎてしばらく経った頃。僕が店外を確認すると、長かった行列はなくなっていた。
店内に戻ると、余裕が出てきたのかジャルガルは常連客と話をしていた。なんとなく気に食わないな、と思いながら空いたテーブルの食器を片付け、厨房へと運ぶ。戻って机を拭いていると、僕には見せたことのない愛想のよさでジャルガルが会計をし、客を送り出す。
「おいノカイ!」
「……なに」
名前を呼ばれて振り向く。まくっていた袖を下ろしたジャルガルが、厨房から僕を手招きしている。
「食材が足りなくなりそうだから、今のうちに買出しに行くぞ」
「えー……」
めんどくさい。そう思ったけど、「ありがとうね、ノカイ」と出来たての肉まんと共にアリマおばさんに微笑まれると、嫌とは言えない。
裏口から出て、肉まんを頬張りながらジャルガルと市場へと向かう。土の踏み固められた通りは、砂に足が埋もれる砂漠に比べたら随分と歩きやすい。太陽は相変わらずさんさんと照ってはいるものの、冬が近いせいか日に日に寒さが増してきているようだ。そろそろ上着が欲しいけれども、ジャルガルが買ってくれるだろうか。
考えながら横目で見るジャルガルの横顔は、前より僕の目線に近い。研究所を逃げ出してから薬を飲んでいないせいで、最近僕の身長が伸びてきたのだ。前はジャルガルの肩口までしかなかったのが今は耳と同じくらいの高さまでになったし、そのうちジャルガルを見下ろせる日が来るのでは、と僕はひそかに期待している。
——あ、泣きぼくろがある。
小綺麗に整った横顔をじっと眺めていると、ふっと草色の目が僕の方を向いた。訝しげに目が細められる。
「何だよ、俺の顔に何かついてるか?」
「ほくろがついてる」
「前からずっとついてるだろ、これは」
何を今更、とジャルガルは目尻のあたりを人差し指でこすった。研究所にいた頃と違って切り傷と火傷の跡がある指先に、僕の胸の奥が酸っぱいような苦しいような、不思議な感じになる。
——なんだ、これ……?
なんだか無性にジャルガルに何かをしたいのだけれど、何をすればいいのか、どうすればいいのか分からない。僕はとりあえず咥えていた肉まんを二つに分け、片方をジャルガルに差し出した。
「ジャ……ジャルガル、肉まん、食べる?」
「は? 食いかけを人に寄こすなよ」
「う……」
言われてみればそうだ。引っ込めようとすると「他の奴にはやるんじゃないぞ」とジャルガルの手が僕の手から半分の肉まんを取っていった。
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