第3話 到着
遠くへ、とにかく遠くへ。
心の声に従って飛んでいた僕が気づいた時には、草原だったはずの景色は一面の砂漠になっていた。
高く昇った太陽が、じりじりと僕の背中と羽根に当たる。
——どこだろう、ここ。
余りにも一生懸命だったので、どれくらいの間飛び続けていたのかもわからない。まだクルチハン国のどこかだとは思うんだけど、と辺りを見回して、そうだ、と思い出す。
——クルチハン国、無くなっちゃったんだっけ。
僕が捕まってからあとの話だからよく分からないが、負けたのだから今ではメドルグハン領クルチハンかなにかになっているはずだ。きっとそうなるとローが言っていた。
大陸の内陸東北部分、乾燥地帯に位置するクルチハン国とメドルグハン国は、かつては騎馬民族を祖先とするカクガルハン国という1つの国だった。だが、100年ほど前に双子の兄弟が王子として生まれて王位争いをしたことをきっかけに、西のクルチハン国と東のメドルグハン国に分裂したのだ。
その2つの国を再び統一して元の形にしようとしたのが、僕とローのいた西側――クルチハン国だ。
でも、戦争に負けてしまった。
2つの国の統一は達成されたけど、それはメドルグハン国に吸収される形になった。
――ローは……他のキマイラと馭手の皆は、どうしているんだろう。
僕たちが捕まった時、他のペアたちもみんな捕まったはずだ。けれども、僕が囚われていた研究所で他のキマイラを見ることはなかったし、ジャルガルに聞いても「知らない」としか言わなかった。
どこかで、皆も痛い思いをしているのだろうか。
考えながら飛んでいると、やがて地平線の向こうに小さな建物の群れが見えてきた。ここで話を聞いてみよう、と思いながら高度を下げていくと、人っ子一人見えない村の全景が見えてくる。
歩いて数時間ほどで一周できそうな、小さな村だ。村というより集落に近いかもしれない。村の中心部にだけなぜか建物がなく、円環状になっている。
砂とまばらな低木しかない中に唐突に現れた村は、幻のようでどこか不気味でもあった。人気がまったくないことを不思議に思いながら、白壁の建物の影に降りる。背後から、ものが倒れるような音と小さな呻き声が聞こえた。
「なっ、何?」
振り向くと、後ろに草色の頭が転がっていた。ジャルガルだ。腰の帯に差していた短杖に、僕の足枷から伸びた鎖が引っかかっている。
「え……ええっ……うわ……」
全く気付かなかった。途中で落とさなくて良かったけど、どこかにぶつけてきた可能性は否定できない。むしろ今ぶつけたかも。
手足の枷を外した僕は、人の形に変化してからジャルガルを仰向けにした。裸だが、幸い住人は誰も見当たらないし、キマイラのままだと爪がジャルガルの体を突き破ってしまいかねない。
「ジャ、ジャルガル……?」
「ううっ……」
肩を叩くと、ジャルガルが細い眉をしかめた。生きてはいるようだ。もう一度叩くと、細く目が開く。焦点の合わない瞳が、ゆらゆらとあたりを見回した。
「なん……どこ……?」
「あっ、ジャルガル? えと……その、大丈夫? 痛いとことか……」
「……ノカイ?」
「う、うん、ノカイだけど」
答えると、ジャルガルは薄く笑ったようだった。意識がはっきりしてきたのか、とろりとしていた目に生気が戻ってくる。
「お前、人型になるとそんな感じなのか……」
「なんだよ、『そんな感じ』って」
「いや、その、なんだ……想像してた通りのガキだな」
「ガキじゃない! もう成人してるんだからね!」
褐色の癖っ毛に、毛のない体とほっそりとした手足。実際の年齢より小さく、人間でいうと15歳くらいの見た目なのは、薬のせいで成長が止まっているからだ。ローは「小さくてかわいい」と言ってくれたけど、できることなら僕だってもっと大きくなりたい。
むくれていると、体を起こしたジャルガルが脱いだ上着を僕に投げつけてきた。つんとしたにおいが鼻をつく。
「薬臭い!」
「いいから着ろ」
袖を通すと、裏地の方からは少しだけ柔らかい匂いがした。干し果物と、熟成したチーズのような甘い香り。冷却の印が織り込まれているのか、涼しい着心地に汗が引いていく。
ふう、とジャルガルは額に握りこぶしを当てて大きくため息をついた。
「……それで、ここはどこなんだ? つか、なんでいきなり暴れ始めたんだ、ノカイ」
「わかんない」
「ああ?」
「えっと……なんか突然『ここにいたらだめだ』って思って、それで必死になって飛んできちゃったから……だから、どっちもわかんないの」
「なんだそりゃ……」
はあぁ、ともう一度ため息をついたジャルガルは、左右の建物を見回した。僕もその視線を追う。上から見ただけでは分からなかったが、どの家も手入れがされていないようで白い漆喰の壁はぼろぼろになっている。中には窓や扉が壊れている家もあるようだ。
「まあ……この様子じゃ、西側のどこかだろうけど……」
首都の研究所から随分と遠くまで来たもんだな、とジャルガルが脚を組む。
「分かるの?」
「分かるっつうか……こんな砂漠になってんの、西の方だけだろが」
「そうなの?」
僕が首を傾げると、ジャルガルは脱力したように肩を落とした。
「あのなあ、お前なんでメドルグハンに攻め込んできてたんだよ。ちったあ考えてもの言えよ」
「え、ええ……? なんでって……」
戦っていた理由。前にローに教えてもらったはずの知識を掘り起こす。
「……あっ、そうだ、確か、水がなくなっちゃったからだ」
「うん」
「メドルグハンが自分たちの所で水を独占しようとして地下水脈の流れを変えちゃって、クルチハンで水枯れが起きるようになったから、それで、水を取り返すためにメドルグハンを倒そうとしてたんだ」
「半分正解、かな」
「なんだよ半分って。だってローはそう言ってたんだよ!」
ジャルガルは「間違ってるなんて言ってねえだろ」と落ち着いた口調で返してきた。
「東の……メドルグハンでは、戦争の理由を『農業のやりすぎで地下水脈を枯らしかけたクルチハンが、渇水に困って攻め込んできた』って説明してた、ってだけだよ」
「は? なんだよそれ、おかしいだろ! でたらめだ、嘘に決まってる! 東国人は嘘つきばかりだからな!」
ローが僕に間違ったことを言うはずがない。頭にきて歯をむき出しにすると、なぜかジャルガルは泣きそうな顔で目を細めた。
「ノカイ、本当にお前、地下水脈の流れを変えるなんて人間にできると思ってるのか?」
「えっ?」
「お前のいたクルチハンの方が、メドルグハンより魔法技術は進んでただろ。ならなぜクルチハンは地下水脈を取り戻せなかったんだ?」
「それは、悪い魔法使いが守ってたから……」
「水を独占しようとした、っていうけど、クルチハンの川の水量が増えているわけでも、新しく泉が増えているわけでもないぞ」
「だから何! どういうこと?」
噛みつくように叫び返す。意味が分からなかった。
「なんでもかんでも人に聞くな、ノカイ。自分の頭を使え。人間並みの思考力貰ってんだろ」
「なんでだよ、何で教えてくれないんだよ、意地悪!」
「……そうだよ、俺は意地悪なんだ」
口の端だけで笑ったジャルガルが、僕の頭をクシャリと撫でて立ち上がる。ローみたいに優しくなくて、地肌を掻くような荒っぽい手つきだ。
でも、不思議と嫌じゃない。
「まあ……つうわけで、ここも水枯れのせいで廃村になった西側のどこかだろう、ってこった」
「ふうん……」
左右を見回しながら歩き始めたジャルガルについて、村の中を見回る。上着が長いせいで、たくし上げて歩かないと砂の上を引きずってしまうのが鬱陶しい。毛皮のない皮膚に当たる日差しは強烈で、服から出た部分が焦げてしまいそうだ。
ジャルガルの言った通り廃村らしく、本当に誰の姿もない。人間どころかネズミ1匹、トカゲ1匹見当たらない。村の真ん中にある謎の空間――以前はここに水が湧いていたらしい――に村名を示す看板があったが、ジャルガルも僕も知らない名前だった。きっとローだったら知ってたのに。
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