第5話:蜜月・後
どれくらい眠っていたのかは分からない。
格子戸の向こうがうっすらと白んでいることから、黎明は近いのだろう。灯燭の炎は既に消えていたが、それでも二人がこの部屋に入ったときよりはずっと、部屋の中は明るくなっていた。
「起きたか?」
すぐそばで聞こえる明超の声。顔をあげると、そこには微笑む明超の顔がある。背中には布団が掛けられているし、どうやら彼の胸に抱かれたまま眠っていたらしい。そして彼は……おそらく桑縁が眠っているあいだ、ずっと起きていたのだろう。
「はい。……気づかないうちに眠ってしまったみたいです、すみま……」
顎を引き寄せられて口付けられた桑縁は、続く言葉を言えなくなってしまった。体を動かしたことであちこちが痛み、顔をしかめる。
その理由を読み取った明超は、慌てて唇を離した。
「あ、悪い。大丈夫か?」
大丈夫とは言い
「は、あ、なんとか……。なにせ、初めてだったので……」
「言うな」
「なんでですか」
「そんな可愛いことを言ったら、すぐに我慢ができなくなるだろう」
「……」
何を我慢ができないのか、を察した桑縁は、すぐさま口を閉じた。
「お前はすぐに謝るのが癖だけど、気を失うまで無理をさせたのは俺なんだから、謝る必要はないんだぞ」
「そう、かもしれないですが……、癖なんです」
「分かってる。分かってるけど……言うたびにお前の口を塞いでやるからな」
「……」
ときどきこの男には、よく分からない尊大さが見え隠れする。もちろん彼なりの、謝罪してばかりいる桑縁への気遣いなのだろうが。
「そういえば、五百年無償奉仕って言ってましたけど、無報酬で困ることはないんですか?」
そうだなあ、と明超は首を傾け考えている。そのあいだも、彼の右腕は桑縁をしっかりと抱えたままだ。
「冥府絡みの必要経費は支給されるから問題ない。それに冥府には、お前が絶え間なく燃やし続けた冥銭の貯蓄がある。ただ
「なら……」
桑縁は声を弾ませ明超の上に圧し掛かる。
「三代目義鷹侠士として、僕と一緒に二殿下の手伝いをしましょう! そうすれば二殿下から謝礼くらいは貰えるでしょうし」
「そりゃ、陛下の前であれだけ名乗っちまったし、
「ふふふ……」
不敵に笑う桑縁に、明超の引いた眼差しが向けられている。
「二殿下は庚央府で怪しい動きがあったとき、白先生を通じて調査の依頼を出しているそうです。
「それで、皇城に出入りできて、侍衛という立場でもない俺や桑縁の力を借りたいってことなんだな?」
「はい!」
明超の理解が早い。彼の表情が渋くないことを確認して、よりいっそう桑縁は顔を綻ばせ、言葉を続ける。
「太子殿下がいずれ陛下の跡を継がれるとき、憂いなく政が行えるように、陰から支えるのがご自分の役目であると、二殿下は考えておられます。そして陛下もそれをお望みです。『皇帝陛下に忠誠を誓い、生涯心から誠を尽くす』のが僕なんですよね?」
それはあの日、栄慧帝に向かって彼が言った言葉だ。期待を込めて、桑縁は明超を見上げる。桑縁を見返した明超の表情は――困ったような呆れたような。
「それはいいが、星詠みの仕事はどうするんだ?」
「もちろん続けていくつもりです。だって、僕と明超とを繋げてくれた大切な仕事であり、縁ですから。……ただ」
「ただ?」
聞き返す明超の首を掻き抱き、彼の身体に己の身体をぴったりと重ね合わせた。肌と肌が触れ合って、互いの温かさが伝わってくる。――それから……動揺を隠せない、正直な彼の下腹部も。それがたまらなく愛おしくて、桑縁は顔を綻ばせた。
「貴方と共に、三代目義鷹侠士とその付き人の物語を作っていきたいです。これからもっともっと、白先生にたくさん僕たちの物語を生み出して欲しいです。二人で一緒に水連棚に行って、二人の物語を味わいたいです」
もちろん三代目義鷹侠士の物語には、三代目薄明などという登場人物もいたり、美貌の皇子も登場したりするのだが、皇子の見た目については完全に景王の希望である。そして桑縁は『相棒』ではなく『付き人』らしい。明超は不満そうだったが、付き人でも満足だ。――真実は自分たちが知っていればそれでいいし、物語として見るならば真実にも虚構にも味わいがある。
――いつか彼のような素晴らしい侠客と共に、誠を貫き悪を正してゆきたい。
ずっと胸に抱いてきた想いは本当だ。
ただ、いまの桑縁の抱く想いは、あのときと比べて少しだけ変わった。
誠を貫くこと、悪を正すこと。
義鷹侠士のように生きること。
でも、それだけじゃない。
――明超と共に、皆と共に。これからの未来を守り、作っていきたい。
漠然と頭に思い描いていた目標は、いつしか明確な輪郭を持つようになった。
庚国は明超と仲間たちが守った国であり、彼と出会えた大切な場所である。彼らが礎となって、桑縁たちの生きる場所を作り上げたように、桑縁もまた未来を生きる誰かのための礎となりたい。それこそが己の思う――誠の道であり、天の道なのだ。
(大丈夫、きっとできるはずだ。……だって、一人じゃないんだから)
そこには白老人もいて、景王もいて、高雲や水連棚の皆がいる。何より――桑縁の側には明超がいる。皆が共にいてくれたからこそ、あの祭祀の瞬間に立ち会うことができたのだし、
三代目義鷹侠士の伝承は、これからも語り継がれていくことだろう。その伝承の中に付き人でもいい、自分の存在がある。それだけで桑縁は幸せだ。
「何を考えているんだ?」
ずっと黙ったまま、ニヤニヤしていたのを不審に思ったのだろう。怪訝な顔をした明超は、桑縁の顔を両手で包み自分に向ける。
「いえ……明超のことを僕が知ることができたのは、お爺様や水連棚、それに他の劇場の講史や小説のお陰だなって思ったんです」
「そういやそうだな。ちょっと恥ずかしい気もするが……俺らの話が後世に伝わってなかったら、俺はお前を手に入れることができなかったんだものな」
「っ……その言い方は……」
「なんだよ、違うか?」
意地悪なことを言う――少し膨れながら首を振る。
「違いません。僕は貴方のものであり、貴方は僕のものである。……いえ。もの、という言い方は変ですね。僕たちは……っ」
抱きしめられて桑縁の言葉は途中で終わる。代わりに明超がその先の言葉をつづけた。
「天に在りては比翼の鳥となり、地に在りては連理の枝とならん。[*白居易 長恨歌]
肯定の代わりに、桑縁は強く明超を抱きしめた。
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