第5話:暗躍

 次の日の早朝、いそいそと出向いてきた景王を桑縁は明超と出迎えた。しかも卯正よりやや早い、朝になり切らぬ頃である。院子にわでは黄豆こうずが眠そうな顔で欠伸をしていた――幽鬼なのに。


「夜のうちに、おいでになるんじゃないかと思ってましたよ」

「はは、さすがにそこまで無体なことはせぬよ」


 皮肉も若干込めながら言った桑縁に、景王は苦笑いで応えた。どうだか、と思ったのはさておいて。

 第二皇子ほどの人物が訪れた場合、本来は桑縁がもてなさねばならぬのだろうが、さりとて未だ自由には動けぬ身である。別邸の使用人たちは、正房の八仙卓に手際よく椅子を揃え、卓の上に茶を並べてくれた。何もできぬまま申し訳なさが募り、何か言うべきかと悩んでいると、視線に気づいた徐老人は笑う。


「秦公子は大怪我をされているのですから、わたくしどもにお任せください」

「お爺ちゃんの言う通りよ。公子様はそこに座って見ていて」


 などと釉児ゆうじにまで言われてしまった。


「そうだぞ、お前の傷を治すために、この屋敷に連れてきたのだからな」


 彼らのやり取りをみていた景王は、畳みかけるように桑縁に言い募る。これでは桑縁も立つ瀬がない。

 居たたまれなさと若干の悔しさで膨れながら椅子に座る。明超がそれに続き、景王も桑縁の向かいに座った。高雲だけはいつも通り、景王の脇に立っている。


「明超、殿下に杯をお願いできますか」


 隣に座る明超に、犀角さいかく杯を渡すよう頼む。なにせ物が物だけに、様々な面で一番信用のある明超に託していたのだ。丁寧に包まれた絹布を開いて明超は景王の前に滑らせる。蝋白色の絹布の中から艶やかな杯が顔を出す。


「これが見つけた杯だ。間違いはないと思うが、確認を頼む」


犀角さいかくでしかありえない褐色の輝きと、堀溝の中に金を流し込んだ鳳凰の絵。景王ですら暫し言葉を失うほどの見事な代物だった。


「これは……」


 上擦った声で景王が呟く。

 景王の脇で立っていた高雲も、思わず身を乗り出すほど見入っていた。


「本物、でしょうね。ここまで見事な物が偽物であろうはずがありません。さっそく太子殿下に連絡を取りましょう」

「うむ、頼んだぞ」


 すぐさま門へと走り出した高雲を目線で見送り、桑縁は再び景王に視線を戻す。――と、景王の足元で体を丸めて眠っている黄豆こうずが視界に入った。一瞬ドキリとしたが、しかし皆から見える明超とは違って、黄豆こうずの姿は明超と桑縁にしか見ることができない。無理やり黄豆こうずから視線を逸らし、何食わぬ顔で口を開く。


「それから、この犀角さいかく杯は……」


 桑縁は簡単に犀角さいかく杯を見つけた経緯を景王に説明した。


 ――恵鳳殿で起きていた窃盗事件は犬の仕業であったこと。

 ――その犬は、曹州漆陶器什物鋪そうしゅうしっとうきじゅうもつほの焼け跡に現れたこと。

 ――現れた時期から考えて殺された紹玲に懐いていたのではないかということ。


 さすがに犬が幽鬼であることは伏せておいた。少々荒唐無稽であるし、なにより明超が幽鬼であることもあり、下手に幽鬼を印象付けるのは良くないと考えたのだ。


「ふむ。つまり何者かに唆された紹玲が、犀角さいかく杯を偽物とすりかえ盗み出し、その犀角さいかく杯を今度は盗み癖のある犬が持ち出してしまった。そのため、紹玲は盗みを指示した相手に渡すため、急いで偽物の犀角さいかく杯を作ろうと思ったということだな」

「おそらくは。そして紹玲さんが寧賢妃の芳和殿から恵鳳殿へ移ってきたのも、犀角さいかく杯を盗み出すためだったのではないかと思われます」

「辻褄は合うな。芳和殿から恵鳳殿に紹玲が移るよう手配をした者を当たってみよう。その犬は、いまどこに?」

「あ、ええと……」


 よもや『二殿下の足元で寝ていますよ』などとは言うこともできず、「犀角さいかく杯に気を取られているうちにいなくなってしまった」と誤魔化すしかなかった。


    * * *


「話を戻します。僕の警備をここまで厳重にしたのは、まだ警戒すべき敵がいるから。そのうちの一人は劉宰相。違いますか?」

「察しが良いな。その通りだ」

「察しも何も、あの絶妙な瞬間に、あれほど徹底的に蔡府を根絶やしにしようとしたんですから。疑わない方がおかしいです」

「おそらく疑われても消しておきたかったということだな。どうせ自分の手は汚さずにしていたのだろうよ」



 悔しそうな表情の景王に、桑縁は引っ掛かりを覚えた。


「ということは、劉宰相に怪しい点は見つからなかったのですか?」

「その通りだ!」


 だん、と八仙卓が音を立てる。叩いた景王の両の拳はきつく握られていた。彼がこれほど悔しさを滲ませるのは、かなり本気で調査したにもかかわらず、証拠を見つけられなかったということ。


「本当に何一つ怪しい点すら見つけられなかったんですか?」


 景王の動きが一瞬だけ停止する。


「……実は、一つだけ気になる点があった。漏室ろうしつの一件で、困った官吏が劉宰相の家に早馬を飛ばし、連絡に行かせたらしい。ところが、劉府の使用人の言うことには、劉宰相は夜も明けぬうちに出掛けたのだという」

「それって、劉宰相はあの日の夜中に別の場所にいたってことか?」


 横から割り込んだ明超に、景王はうなずいた。


「そうだ。……その日の同時刻、天文台の脇には馬車が停まっていたという」

「じゃあ、劉宰相は天文台にいたんだな」

「おそらくは。……しかしその馬車が、劉宰相のものであるという証拠がない」

「なんだ、ないのかよ!」

「忍んで訪れているというのに、わざわざ一目で誰だと分かるような馬車に誰が乗る!?」


 思わずむきになった景王が声を荒げる。彼の言うことはもっともであり、劉宰相が仮に何一つ思惑がないのであれば、わざわざ夜中に屋敷を出たりなどしないだろう。 しかも開門の時間までいなかったのだから、何もないと思う方がおかしい。

 怪しいところがないとは言いつつ、ここまで調べ上げたのは大したもの。


「あ、では二殿下はおう司天監と蔡天文官、二人とも劉宰相の仲間であるとお思いなのですね」

「その通り。既に気づいていると思うが、蔡天文官が黒であったならば、必然的におう司天監も黒である。本来ならば独立していなければならないはずの双方の機関が、偽の奏上内容が常に通っている時点で、既にその前提も崩れた」

「……まえに霊台郎が丁度空席になっていたから、お前を推挙したと言ったことがあっただろう? 実はお前の前任者は不審死を遂げている」

「は!?」


 青天の霹靂。

 景王から出た言葉の衝撃に、『は』以外の言葉が出てこなかった。確かに空席だったとは聞いたはずだが、不審死だったことは聞いていない。


「ちょっと待った!」


 驚いた明超が割り込んで来た。


「ここまで警戒するってことは、二殿下はそれが殺しだと思っているんだろ?」

「概ね間違いはないだろう。物静かだが勤勉な男であったと聞いている」

「それって……」


 明超の顔が青ざめる。彼の顔色は幽鬼なので、もともと良くはないのだが、それでも分かるほど表情が変わったのだ。


「桑縁の真面目で、曲がったことが嫌いな性格を知っていて、霊台郎に推挙したってことか!」

「その通りだ。それがどれほど危険かも理解している。だからこそ高雲に密かに見張らせていた」


 怒りに燃える明超に顔色一つ変えず淡々と景王は言い切った。彼は太子ではないが、それでも皇子である。天子を支え、国を守る責務のある男だ。兄である晏王のような絶大な信頼や人気も、弟である永王のような華やかさも持ち合わせてはいないが、己のうちに鋭い刃物を持っている。時には非情にもなり、時には誰よりも寛大になり、いかなる者にも屈せずに悪を滅するための努力を惜しまない。彼の目指す先は桑縁と同じ、正義のために戦った義鷹侠士の志を継ぐことなのだ。

 いまの明超のように、囮にされたのが母――玉詠であれば、桑縁だって同じように激怒しただろう。しかしそれでも、いまこのときほど桑縁は、景王の気持ちを理解したことがなかった。


「明超、怒らないで。僕はもともと祖父の後を継ぎたかった。だから二殿下には感謝しています。それに、僕の願いが叶う、またとない機会をいただいたのですから」


 ――いつか彼のような素晴らしい侠客と共に、誠を貫き悪を正してゆきたい。


 景王にとっての義鷹侠士は高雲であり、貫くべき正義は既に目の前にある。立場は違えど、その志を貫こうとする景王の信念が、共に義鷹侠士を敬愛した同志として嬉しかった。


「お前……」


 明超の、声にならない呻きが聞こえる。彼は桑縁のために憤っているのだ。それでも真っ直ぐな眼差しで明超を見つめ、桑縁は語る。


「誠は天の道なり。之れを誠にするは、人の道なり。前に話しましたよね、僕も義鷹侠士のように誠でありたいと。二殿下に高雲さんや信頼できる部下がいるように、僕にも明超がいます。僕は自分の観測帳が差し替えられた理由が知りたい。紹玲さんを殺したのが誰なのか、犯人を突き止めたい。貴方と共に。……駄目ですか?」


 真剣に明超の目を見つめ、桑縁は懇願した。明超は困ったように頬を掻くと大きく溜め息をついた。


「……全く、お前は死にかけてもやっぱり、懲りない奴だな」

「命を懸けたりなんか、もうしませんってば。これだけは約束します」


 さすがに桑縁だって死にたくはない。ただ、怖いから、恐ろしいからといって逃げ続けることだけはしたくはなかった。


「黙っていて申し訳ないと思っている。知っての通り、翰林天文院は天子直属の機関であり、皇子である私が介入することは難しい。せめて司天監だけでも、なんとかして信頼できる者を入れておきたかった」


 景王は明超に向かい、頭を下げた。普段の彼らしからぬ真摯な態度だ。第二皇子とはいえ、彼も皇族である。その彼がここまで立場の違う桑縁に対し誠意を込めて謝るのは極めて異例のこと。


漏室ろうしつでの一件の日、僕は天文台で彼らが記録を差し替えたと思しき観測帳を、誤って落としてしまいました。そのことを知っていたからこそ、蔡天文官は僕を狙ったのだと思います。僕が襲われたのはその日の夜。二つの組織が結託していなければ、こんなにも早くその情報が彼に伝わるはずはありませんから」


 このことはもともと景王も危惧していたこと。しかし自体はここまで深刻なものであるとは思いもよらなかった。


「そうだ。そのとき……僕が天文台に行ったとき、紫星殿の卓子の上には差し替えた観測帳のほかに、飲みかけの茶碗が二つ置いてあったんです。もしその日、その前後に劉宰相が天文台にいたのなら、きっとおう司天監と二人で話していたのだと思います。おそらく、ですが……」


 それが劉宰相である、とは言い切れないのがもどかしい。


「ただ、ここまで怪しいと思っても彼らの目的が見えて来ない。皇后娘々を狙っていることは分かる。しかし、なぜそうしようとしているのか、何をするつもりなのかが分からぬのだ……。そして、決定的な証拠。何もかもが足りていない」

「劉宰相があの天文台にいたことが証明できればいいんだな?」


 口火を切ったのは明超だった。


「そうだが……天文台の連中に聞いても無駄だぞ。おう司天監は人払いをしていたそうだ」


 不機嫌そうに答える景王に対して明超は肩を竦めて笑う。


「何も中にいる奴だけが証人じゃないだろう?」

「明超、心当たりがあるんですか?」

「ああ、まあな。ほら、俺はお前と初めて会ったとき、ずいぶん汚い身なりをしていただろ?」

「ああ……」


 忘れもしない。初めて明超と出会ったとき、彼は泥や垢で真っ黒の、ボサボサを通り越してゴワゴワの硬くなった髪に、ボロボロの汚れた服を纏っていた。


(あのときは本当に変な人だと思ったけど……)


 こうしていま、目の前にいる綺麗な男が同一人物であると誰が思うだろうか?

 桑縁だって信じられないほどだ。


「あのとき俺は、天文台の脇で寝ながらお前がやってくるのを待っていたんだよ。結局雨が止んでもお前は来なかったから……それで義鷹侠士の墓まで行ったんだ」

「もしかして、あの雨の中で寝転がってたんですか!?」


 桑縁がおう司天監に殴られたあと、じきに大雨が降ってきた。雨は次の日の夜半過ぎまで止むことは無く、ようやく雨が止んだのを見計らって桑縁は義鷹侠士の墓で冥銭を燃やすために家を飛び出したのだ。

 しかし、雨の中彼が転がって寝ていたというのなら、真っ黒で泥だらけの身なりも納得だ。自分でも身なりに気を使わなくなったと言っていたので、当時真っ黒な上に異臭が漂ってきた理由は雨と泥のほかにも理由があっただろう。しかしさらに汚れた原因として、彼が天文台の外にいたからという理由が加わったのだ。


「ま、そういうことだ。それで、雨が止んだ時に立派な身なりの男が門から出てきたところを見たんだよ」

「それを早く言え! で、どうだったんだ!? 宰相だったのか?」

「二殿下! 落ち着いてください!」


 食い気味に明超に迫ってくる景王を、高雲が慌てて止めに入る。明超は組んでいた腕をほどき、右の掌を二人に向けた。


「筆と紙」


 急いで持って来た紙と硯を使って明超はさらさらと何かを描き始めた。景王と高雲の二人は食い入るように明超の描いた絵を見ている。桑縁も見たいのはやまやまだが、そこまで自由に動ける身でもないので、大人しく二人の様子を見守った。


「ふむふむ。七梁冠に玉帯、魚袋ぎょたい……」

「公服は二殿下と同じ色、魚袋は金だ。その他の細かいもんは、まあどっかに仕舞ってたんだろう。もちろん顔だって見ているが『宰相を見た』だけより確実だろう?」


 明超の言葉に二人は顔を見合わせる。驚き交じりに何度も紙を凝視したあと、万感の思いを込めるかのように景王は言った。


「驚いた……」


 必ずしもそうとは限らないが、纏う服装でだいたいその人物がどの地位にいるかを把握することができる。前庚国に仕えていた明超は、多かれ少なかれそのことを理解していたのだ。


「恐らく劉宰相は朝議に出仕するため身支度を調え、天文台から皇城に向かおうとしたのでしょう。敢えて天文台から正門である天徳門に回るようなことはしないでしょうから、劉宰相が入ってきた門を探せばおおむね確証が得られると思います」


 明超の言葉に付け加えるように、桑縁は言った。


「でも、まさか明超が劉宰相を見てたなんて……」

「それが重大なことだとは俺も全然知らなかったんだよ。なんせあれが劉宰相だって知ったのはそのあとの漏室ろうしつでの一件のときだったし、あいつは司天学生の失態を怒りに来ただけだったろう?」

「ああ……なるほど。そういうことでしたか」


 なぜあれほど劉宰相が怒っていたのか、桑縁にはようやくその理由が分かった。突然の『なるほど』の意味が理解できず、景王は怪訝な顔で桑縁を見ている。


「桑縁、どうした?」

「劉宰相が衛士まで率いて漏室ろうしつへ行った理由、そしてあんなに怒っていた理由が分かりました。……劉宰相は本当なら天文台を内密に訪れたあと、普段通りに朝議に朝参するつもりだったんです。ですが、司天学生の失態で禁門が開かず、困った官吏が劉宰相の屋敷を訪れました。そのせいで、前日の夜から劉宰相が屋敷にいなかったことが知られてしまった、と」

「劉宰相としては、できれば不在であったことは内密にしておきたかったということだな」


 桑縁はうなずく。


「はい。あのときなぜあれほど劉宰相は怒っていたのか、いえ怒るのは当然ですが、あまりにも激しかったのが気になって……。ああ、つまり司天学生は劉宰相の計画に穴をあけた腹いせで殺されたのかもしれません」


 桑縁を捕らえるように指示を出したのも劉宰相だったはずだ。己の計画を台無しにした司天学生を殺し、さらにおう司天監の奏上内容に異を唱える桑縁を排除しようとしたに違いない。


御史台ぎょしだいが動いたのも劉宰相の差し金だったな。あわよくば司天学生殺しの罪をかぶせ、さらにお前を始末しようとしたのだろう」

「僕もそのように思いました。二殿下が助け出してくださったお陰で、こうして生きながらえることができました」


 あのときは景王が助けてくれたからよかったものの、大人しく捕まっていたままであればじきに刑罰が下されていたことだろう。


    *


 屏門の方からぱたぱたと徐老人が走ってくることに気づき、全員がそちらに振り向いた。徐老人は息を切らせながら景王の元にやってくると、息の整わぬまま彼に揖礼した。


「二殿下。水連棚の白座頭がお見えになっておりますが、いかがいたしましょうか」

「通してよい」


 景王の返事を予想していたかのように、すぐに屏門から白老人が顔を出す。護衛代わりの役者を伴って、彼は桑縁たちの元にやってきた。白老人は桑縁と明超に軽く目で挨拶をしたあとで景王に向かって跪く。


「二殿下。ようやく西域の一座の行方を掴めましてございます」

「でかした! 詳しく聞かせてくれ」


 興奮のあまり景王が椅子から立ち上がる。桑縁も驚きのあまり白老人を凝視した。すぐにでも「どこにいるんですか」と尋ねたかったが、白老人が景王の依頼で動いていたことを鑑みて、まずは彼らのやり取りを見守ることに徹した。


「西域の一座は、永王府に客人として招かれているそうです」

「なんだと……?」


 景王の表情が硬くなる。


「蔡府が劉宰相によって壊滅させられたあと、すぐあとのことでございます。駱駝を伴った一座が堂々と永王府に入ったとのこと。隠す様子はなく、人々の話によれば一座の踊りの美しさを気に入った三殿下が、皇帝陛下に見事な踊りを披露させたいと仰せだとか……」

「西域の一座について、分かったことはあるか」

「刺客としての腕前は、白角会ばっかくかいと比べればさしたる脅威ではありません。しかし、彼らの一番の強みは妃賓や貴族たちとの繋がりが強いこと、それに踊りを披露するという名目であれば――」

「それ以上は言わぬでも分かる」


 景王の一言で、ようやく白老人は言葉を切った。景王は頭を抱え「参った」とつぶやいている。本心では参ったどころではないだろう。


「高雲、どう思う」


 微かに上擦った声で、景王が問うた。母が違うとはいえ、永王は彼の弟である。既に犯人となりうる人間は絞られているため、彼にも薄々の予想はあったに違いない。それでも、動揺は隠せないのだろう。


「は……。私見をお許しいただけるなら」

「構わぬ」

「では。……時期を考えても、蔡天文官が死んだことで確たる証拠が無くなったと確信し、堂々と西域の一座を客人として呼び込んだのでしょう。彼らは蔡天文官の息女と侍衛の一人が生き残ったことを知りません。おそらくそれ以前は、何処か別の場所で彼らを匿っていたのだと思います。ここからは単なる推測になりますが……蔡天文官と劉宰相は一枚岩では決してなく、劉宰相も永王殿下も白老人が蔡府に監禁されていたことも、秦公子が捕まっていたことも、知らなかったのではないかと……」


 ひときわ大きく溜め息を漏らし、額に手を当てた景王は首を振る。この話は彼にとっては頭の痛い話だろう。


「やはり私が蔡府に乗り込もうとしていたことを察して、蔡天文官を始末した上で全ての罪をかぶせた……ということだろうな。証拠が無ければ何を疑われようと、堂々と西域の一座を宴の華に連れてゆくことができよう」


 桑縁が口出しをしていい話ではないが、彼がどのように動くつもりなのか、気にならないわけではない。


 ――彗星が犯せば、臣は謀反を企てる。


 仮に永王がこの件に関わっているのだとしたら、臣どころの話ではなくなってしまう。確証のないまま迂闊なことを口にすることはできない。


「桑縁――意見を聞きたい」

「何でしょう、二殿下」


 神妙な顔つきの景王の問いかけ。桑縁はすぐさま返事を返す。その表情から窺えるのは、彼が途方もないことを尋ねようとしているということ。


「もしもちん毒が使われるとしたら……いつだと思う?」


 その言葉に息を飲む。

 これから話すことはとても大きな賭けである。桑縁の頭の中には、ある確信めいた予想があった。しかし、それを口にするのは大きな責任を伴う。


「二殿下は……それを桑縁一人の口から言わせるのか?」


 明超の手がいつの間にか桑縁の手を掴んでいた。手の震えに気づいたのか、それともその前に桑縁の不安を感じ取ったのか。冷たいはずの彼の手はとても温かく、心強く感じられた。


「済まぬ、桑縁一人に責任を負わせる気は毛頭ない。ただ、どう動くべきか考えあぐねてしまったのだ。だから、知恵を借りたい」


 首を振って「済まぬ」と言った景王は、迷い悩んでいるように見える。もしかしたら景王の中にも既に考えがあるのかもしれない。しかし、彼もまた指針を欲しているのだ。そのために自分の考えが役立つのなら……。

 桑縁は覚悟を決めると、勇気を奮い立たせるべくいっそう強く明超の手を握る。


「たった一つだけ――予想できることがあります」


 導き出された結論を、桑縁は口にした。どんな計画がその先にあったとしても、どれだけ変わったとしても、必ず兆候は訪れる。


「これから毎日、僕たちも観測記録をつけ、吉兆を占います。そして、朝議で奏上される内容と照らし合わせるんです」


 これまで記録が差し替えられていた事実や、起こりうる目的を考えて、桑縁には確信があった。


「彼らの目的がはっきり分からなくても、意図的に観測結果を捻じ曲げ奏上の内容を変えたならば、自ずと彼らの目的が見えてくるはず。彼らの導き出した答えは、目的に忠実に奏上されるのですから」

「確証は?」

「あります。そのために彼らは司天監と翰林天文院の両方を、仲間に引き込んだと思われるからです。二殿下も、二つの機関は極めて強い『言葉の力』を持っていて、悪い奴がそれを利用しない手はないと仰いましたね。まさに敵の目的は『それ』なのだと思います」


 しばらくのあいだ、景王は考え込んでいるようだった。

 その場にいた誰もが皆、景王が言葉を発するのを、固唾を飲んで見守った。

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