第6話:大還丹

 風がそよぐ音、何処かから聞こえる鳥の声。ときおり黄豆こうずの遠吠えが聞こえてくるが、相変わらず桑縁たち以外に姿は見えないので徐老人は不安に思うかもしれない。

 押しかけてきた居候の幽鬼の犬は、ただぐうたらとしているようで案外賢い面もある。以前、永王の部下が別邸の近隣までやってきた折には、黄豆こうずがいち早くそのことを察して明超に報せた。お陰で景王はうまく立ち回ることができ、桑縁の居場所は知られずに済んだ。

 彼らがどこまで桑縁のことを狙っているかは分からない。――が、少なくともおう司天監を恐れず奏上内容の誤りを糾弾してしまった時点で、これから起こる計画の障りになるであろうと思われているに違いない。


『なにせずいぶんと入念に立てられた計画のようだからな』


 とは景王の話。


 そして桑縁は、今宵も露台に出て星を観る。長時間立つことはできないため、休みを入れながらゆっくりと。それでも名医が処置を施してくれただけあって、傷の割には痛みも落ち着いている。


「桑縁」


 薬を取りに行っていた明超が戻ってきたようだ。煎薬の入った椀を盆に載せ、階段からゆっくりと姿を現す。立ち上がろうとひじ掛けに手を載せた段階で明超に止められた。


「座っていてくれ。いま準備をするから」


 怪我をする前とは立場が真逆。それまではだらしない明超の世話をずっと自分が焼いてばかりいると思っていた。


(いつの間にか、僕の方が明超に世話を焼かれてばかりだなぁ)


 申し訳ないような、くすぐったいような。

 そんなことを考えているあいだも明超は絶え間なく動き、小さい茶几を引き寄せてその上に煎薬の盆を置いた。


「すみません、何から何まで……」

「お前が無茶をしないでくれるなら、それでいい」


 暗に「だから無茶をするな」と言っているのが手に取るように分かる。日ごろから桑縁の無茶に対して怒っていた彼にとって、蔡府での出来事はよほど衝撃的だったと見える。


「命を懸けるような無茶はもうしませんって」


 苦笑いをしながら煎薬を受け取ると、渋い顔で一瞥された。


「それだよ、それ。『命を懸けない程度の無茶はします』って言ってるようなもんだろう」

「ははは……」


 見破られていたのだから、空笑いをするしかない。


「お前が星を観るのが好きなのは知っている。でも、いまは身体のことを考えたっていいんだぞ。二殿下だって交替で記録をつけるって言ってるのに……」

「二殿下の言葉は本当にありがたいと思っています。……ですが、二殿下にはやらねばならないことが僕よりもたくさんあるんです。観測記録をつけることは、劉宰相たちの今後の動きを探るために重要かつ必要なことです。ですが二殿下が抱えている責務もまた、そのときに必要になるものであると思っています」


 実際、景王以外にも水面下で様々な人間が動いている。水連棚の面々はもちろんのこと、珊林も、それに茗爛めいらん槐黄かいおうの二人も、いまだけは罪をいったん保留にして働いてもらっているらしい。罪を犯したとはいえ、父である蔡天文官も利用された上に口封じをされた。あまつさえ蔡府の人々は茗爛めいらん槐黄かいおう以外生き残らなかったのだから、二人とてこのままで済ませたくはないのだろう。

 明超は大きく溜め息をついた。


「全く……。それで、観測記録はどうだったんだ?」


 桑縁は空になった椀を茶几に置き、手元の観測帳を開いて見せる。全てを事細かに書くわけではないが、重要な部分は押さえているつもりだ。


「四月乙亥、六甲六星は明るく、天狗星てんこうせいは候一星から女床に至り、守る。六甲六星が明るいのは陰陽調和の良い兆候です。ですが女床三星は後宮であり、天狗星てんこうせいが守れば宮中で謀を……ああ、なんだか良くないことばかり口にしていると、本当になってしまったらって不安になってしまいます」


 臣が謀反を企て、後宮では謀を企て……それもこれも尾を引きっぱなしの天狗星てんこうせいのせいなのだが、これが天子に奏上する立場であったらと考えると頭が痛い。偽りなく真実を示すことを矜持にしていままで生きてきたが、悪いことばかり語るのはさぞ神経をすり減らすことだろう。

 そして、このような内容ばかり聞かされる皇上の心中やいかに――不本意ながら、『眼で見て心に知るも敢えて言わず』[*白居易 司天臺]の、太史官の気持ちが少しだけ分かってしまったような気がする。


「でも、お前はそれを偽ったりなんかしない。――そうだろう?」

「……」


 黒鑽石こくさんせきのように透き通る瞳が、桑縁を見つめていた。見透かすような明超の眼差しと柔らかく微笑む口元。もともとが美しいだけに、否が応でもその表情に吸い寄せられてしまいそうだ。そんなことばかり考えている自分を恥ずかしく思い、桑縁は視線を慌てて外す。


「そ、そんな顔で見つめるなんてずるいです……」

「はは、なんだよ。照れてるのか?」

「照れたらいけませんか! 初めの頃は、身なりなんかどうでもいいって言ってたのに……」

「そりゃ会いたい奴がいて、良く思われたいと思ったら、身なりも見た目も整えたくなるだろう?」

「…………………………もう、星に集中させてください……」


 色男のからかいをこれ以上聞いていては、何もできなくなってしまう。長らく言葉を迷った末、桑縁は観測に逃げることにした。


『意図的に観測結果を捻じ曲げ奏上の内容を変えたならば、自ずと彼らの目的が見えてくるはず。彼らの導き出した答えは、目的に忠実に奏上されるのですから』


 大見得切って豪語したものの、不安が全くないかといえば嘘になる。ただ、確証めいたものは心の内にある――彼らは星辰を捻じ曲げ、政を動かす気なのだと。


 厳重な監視下におかれた人間を易々と殺すことができ、尚且つ皇后の持つ犀角さいかく杯の図柄を知ることができた者。

 景王が刺客を捕まえ牢に入れた。ところが厳重な警備を掻い潜り、その刺客はあっさりと殺されてしまった。

 牢にいた刺客を殺した獲物は、曲刀だったと高雲は言っていた。庚国にも曲刀はあるが、少なくとも禁軍では扱っておらず、西域ではそのような剣が主流であるという。――恐らく西域の一座に違いない。


 いったい誰が、どのような手段を用いて彼らを介入させたのか?

 調べれば分からぬはずがない。景王が内密に調査させたところ、些細な理由で獄卒たちを呼び出し結果的に牢から目を離させたのは、永王の叔父である枢密使の寧潘ねいはんだった。彼はもともと身分の低い者だったそうだが、寧賢妃が妃賓となったことで一族は高い地位を与えられ、賢妃が永王を授かったことでさらにその地位を盤石なものにしていったときく。そして寧枢密使は劉宰相におもねり、劉宰相は永王派でもあり、さらには寧賢妃も少なからず劉宰相の恩恵に預かっているはずだ。


 つまり、全てのことは第三皇子の永王を中心に起きている。

 そして永王の母であり、自らの後宮にいる侍女を動かすことが可能な寧賢妃も、この件に関わっている疑いがより濃くなったということ。

 ただ、それでも彼らが殺したという明確な証拠が出てこない以上、迂闊なことはできない。……と、景王は言っていた。


 星空を仰げば、己がいかに矮小な人物であるかをまざまざと知る。天の雄大さに比べれば、人一人など小さき存在。ましてや皇城の中でさえ、桑縁の存在は取るに足らないものなのだ。


「なんだか、とんでもないことになってきたなあ……」

「どうした?」


 思わず零した言葉を、耳ざとく聞きつけた明超が問うてきた。そのままの言葉で彼にいうこともできず、なんと言ったものかと思案する。

 どうしてこうなってしまったのか。殺されたものこそ、宮女であったり店の主人ではあるが、関わっているのはほとんど皇城の中でも上位の存在である。そしてどちらかといえば桑縁は殺される側の弱い立場の人間だ。それなのに、どうして話の中枢に関わることになってしまったのだろう。


「いえ……。皇后娘々のことだったり、皇上のことであったり。三殿下に太子殿下、それに二殿下も劉宰相も。考えてみればみんな皇上の中でも雲の上の存在ばかりです。僕は完全にお呼びでない……はずなのに、どうして気づいたら巻き込まれていたんだろうって」

「そりゃ、お前が率先して面倒事に関わりたがるからだろう」

「……」


 それは、否定できない事実である。


「だ、だって、漏室ろうしつの件は不可抗力ですよ。だって僕は司天監ですし……職務の一環です。怠けて酒を飲んでいる人がいたら、注意するのも普通でしょう?」

「他には?」

「ほ、他には……天文台で、卓子の上のものを落としたのは僕の失敗です。下手なことを考えずに、その場から立ち去っておくべきでした。そうすれば刺客に命を狙われることもなかったでしょうから」

「ふんふん。あとは?」

「火事のときに燃え盛る店の中に入ったことは、反省しています……」

「本当だ。いくらなんでもあれは無茶過ぎる。……あとは?」

「……」


 まだ言わせるのかと言いたい気持ちを堪え、桑縁は明超を見た。


「まだ言わせるのか……って顔してるな」


 明超の肩が揺れている。


「笑わないでください」

「笑ってないよ。……それで反省してるって言ったけど、お前は後悔しているのか?」


 その問いかけの意味が分からず、呆然と明超を見る。笑みを湛えたままの明超は、静かに桑縁の答えを待つ。桑縁はもう一度考えて――一つの答えを口にする。


「……いいえ。反省はたくさんしました。でも後悔はしていません。……いえ、ただ一つだけ後悔したのは、貴方の忠告を聞かずに死んでしまったと思ったときだけ……」

「それは、お前のせいじゃない。あれは俺が、お前を危険に晒したのがそもそも間違いだったんだ。嫌なことを尋ねて悪かった。お前に意地悪をしようとしたわけじゃないんだ」


 慌てながら桑縁の頬を両手で包み、明超が詫びる。桑縁のせいではないというが、本当のところ、ためらう彼を無理やり先に行かせたのは桑縁だ。


「お前の真っ直ぐな性格が好きだ。でも、危なっかしくて無茶ばかりするところは心配だ。俺を利用しろと言ってもなお、お前は自ら危険に飛び込んでいく。……頼むよ。お前のことが心配で仕方がないんだ」

「明超……」


 頬に触れる明超の手に、そっと触れる。触れた手は明超の大きな手に攫われて、今度は彼の頬にぴたりとくっつけられた。


「お前を守るためなら、お前のためなら俺は炎の中にも飛び込んで行ける。どんなに炎が激しく燃えて、行く手を阻んだとしても必ず突破してみせる。だから、もう少し安全な場所にいてはくれないか」

「それは……」


 暫し考え、やはり桑縁は首を振った。


「それは無理です」

「どうしてだ?」

「僕は貴方に炎から守って欲しいのではなく、共に炎の中を歩んでほしいと願っているからです」

「そんな無茶な……」

「無茶を言っていることは重々承知しています。死にかけたいまとなっては、命を省みずに突っ込むようなことは二度としません」


 視線を上げれば、明超と目が合う。夜空の星、暗闇の中の星、それから――明超の瞳の中で瞬いている星。強く、優しく、何者にも屈しない信念と力を兼ね備えた、桑縁の憧れる男。普段はそう見えないが、やっぱり彼は義鷹侠士なのだ。


「その、さっきの言葉は凄く嬉しかったです。口では強気なことを言っても、結局のところ僕は無力です。貴方の助けがなかったら、とうの昔に死んでいたでしょう」


 無茶を言っているのは重々承知している。力の無いものが豪語したとて、何一つ為すこともできずに死ぬだけだ。それは雨の日におう司天監に殴られたときから理解していたこと。それでも――桑縁は思う。


「それでも、僕は諦めたくはありません。自分の矜持を守りたいからではないんです。……堂々と貴方の隣に立てる自分でありたい。貴方が好きと言ってくれた自分でありたいです。それを曲げてしまったら、僕は、貴方の想う僕では無くなってしまう。だから……」


 心配をかけているのは理解している。だからといって、彼が好きだと言った自分の全てを否定するようなことをしては、彼の隣に立つことはできない。


「悔しいな」


 言葉に次いで、溜め息が聞こえる。


「余計なこと言っちまった。……お前には敵わないよ」


 けれどその声音に怒りも諦めも感じられない。得心したような、苦笑しているような――。


「すみません……」

「謝らないでくれ。……桑縁の言う通りだ。心配ばかりかけるけど、それでもお前には、自分の思うように生きて欲しい。それを曲げて火の粉がかからない場所にいてくれなんて、無理筋だよな」


 頭上から聞こえる声。明超の掌が桑縁の髪に触れ、耳に触れ、後頭部を撫でてゆく。彼がどれほど心配してくれているのか、桑縁にだって痛いほど分かる。その心配を堪えて、言葉を紡いでくれているのだ。

 恐る恐る彼の胸に体を預け、それからしっかりと腕を背に回す。鼓動こそ胸の奥から聞こえてはこないが、これ以上ないほどの多幸感と安心感に包まれる。


「桑縁」


 言葉が終わるより早く、桑縁は抱え上げられた。あまりに唐突だったので慌てて明超の襟を掴む。明超は桑縁を抱えたまま露台からヒラリと飛び降り、音もなく院子にわに着地した。


「明超!?」


 何も言わず、答えずに明超は寝台がある部屋へと歩みを進める。いったい彼が何をする気なのか分からずに、ただ鼓動だけがどんどんと早くなった。


「っ……」


 ゆっくりと寝台の上に寝かされて、いよいよ心臓は痛いほど激しく暴れ始め、口から飛び出してしまいそうだ。そうしているあいだも、明超の顔に笑みはなく、彼が何を考えているのか分からない。開け放たれたままの扉の向こうから、白い月が覗いている。その凍るような冷たい光を受け、明超の美しい輪郭がはっきりと見えていた。

 寝台の縁に手をかけた明超の重みで、紅木が軋んだ音をたてる。覆いかぶさるような形で桑縁を見下ろす明超の瞳。やはりその瞳は真剣そのもので――。


「お前の願いを、叶えてやる」


 彼の言葉の、意図が分からない。


「願いって……? んっ」


 食らいつくような明超の唇に困惑しつつもそれを受け入れる。しかし、突如異物が口内に侵入したことで驚き、咄嗟に唇を離そうと桑縁は藻掻く。明超は少し目を細め、離れられぬようしっかりと両手で桑縁の顔を固定した。


「いいから飲み込め。……害のあるもんじゃないから安心しろ」


 わずかに離した唇から漏れる囁き。不覚にもそれだけで、桑縁の身体は熱くなる。


(そんな顔でこんなこと言うなんて、ずるいんじゃないか!?)


 そう言われたら――断ることなんてできやしない。

 再び明超の舌を受け入れながら、彼の与えたものをゆっくりと嚥下した。


「うん、ちゃんと飲み込んだみたいだな」


 何が起こったのか自分でもよく分からない。未だ夢の中にいるような心持ちだ。ボンヤリと明超を見つめながら、桑縁はうなずいた。


「よし。じゃあ起き上がって」

「はい!?」


 満足げに明超はうなずくと桑縁の手を引き体を起こす。

 ……というか、実のところかなり……かなり不安ながらも覚悟を決めたし、これから何が起きるのだろうと否が応でも期待していた。それなのに、いまの言葉も行動も、あまりにも桑縁の予想を裏切り過ぎている。この先何が起こるのかとドキドキしていた先ほどまでの感情は、寝台の上に趺坐ふざさせられたことにより、完全に吹っ飛んでしまった。


「運気調息はやったことないよな」

「……ないですけど」


 明超の問いに、不貞腐れながら答える。不機嫌な桑縁に気づいているのかいないのか、明超の様子は変わらない。桑縁の背後にするりと回って座り込んだ。


「なら、手伝ってやる。いいか、俺の言う通りにやるんだぞ」

「あの、僕は先ほどから何がなんだか……」

「……丹」


 聞き間違いかと思い振り返ると。その先に不敵に微笑む明超の顔があった。


「大・還・丹。……さっき飲んだモンさ」

「…………………………」


 その名を聞いたことが無いわけではない。世の人々が血眼になって探すほどの霊薬の一つ。さすがに驚いて問いただそうとしたが、どうしてか体が動かない。――きっと明超の仕業だ。


「いいから。黙って目を閉じて、俺がうまく導いてやるから、言う通りに呼吸しろ」


 以前彼は『不死の仙薬なんてものが、百歩譲って存在したとしてだ。そんなもんが、そう簡単に手に入るもんか』と言っていたが、同じような霊薬をよもや言った当人が持っているとは思わなかった。どうして彼が、そのような稀少な薬を持っているのかは分からない。


(まさかそんなとんでもない代物を飲まされたなんて……)


 桑縁にできることは、飲んでしまった以上、貴重な霊薬を無駄にしないことだけ。しかし、一介の文官が口にするには過ぎたものなのではないだろうか?


「あの、まさか不老長寿になったりとか昇仙したり……しないですよね……?」

「大丈夫だよ、傷を治す程度の粗悪品だから」

「……」



 粗悪品、と言うのはどうなのか。しかし、昇仙しないと聞いてほっとした。いやしかし――粗悪品だとしても、あまりに自分には過ぎたもの。そのような身の丈に合わぬものを口にして、大丈夫なのだろうか?

 そう思いながらも明超の助けのもと、桑縁はその霊薬を吸収するしかないのだった。


(体が、背中が、熱い……)


 先ほど明超に囁かれたときに感じた、身体の熱さとは違う。腹の奥底から燃え上がるような感覚。そしてそれを御するように、背中から冷たい感覚が広がって緩やかに体を巡りゆく。おそらくは桑縁のために明超が助けてくれているのだ。


「約束してくれ。自由に動けるようになっても、絶対に自分の身を危険に晒すようなことはしないと」


 背中から明超の切実な声が聞こえる。


「確実な約束はできません。ですが、善処はしたいと思っています。……僕は、ここで終わりたくないし、貴方ともっと一緒にいたい、ですから……」

「自分から危険に飛び込まなきゃそれでいい。……どうしようもないことに関しては、俺がお前を守るから」


 きっとそれが、彼の言う『心配ばかりかけるけど、それでもお前には、自分の思うように生きて欲しい』という言葉の答えなのだ。彼に心配ばかりかけることを申し訳なく思いつつ、その優しさをありがたくも思う。


「すみません。……それから、ありがとうございます」


 やがて腿と背中に受けた傷痕だけが余燼よじんを残し、時間とともにそれも燃え尽きるように消えていった。


 そうして全てが落ち着いたあと――桑縁の体から傷は消え、すっかり元通りになっていたのである。


    * * *


 景王から報せがもたらされたのは、それから数日後のこと。おう司天監が朝議で星図を献上し、こう言ったらしい。


熒惑けいこくが天子の居所を犯す兆しがございます。古来より熒惑けいこくは様々な災いをもたらす惑星であり、我が庚国においては前庚が壊滅的打撃を受けた折に、当時の太子が目にした凶星でもあります。災いが起こる前に、先手を打っておくことが大切かと』


 当然ながら官吏たちはざわついた。

 しかし、ざわめきの中から毅然とした声が聞こえてきたことにより、皆の注目はそちらに集中した。


『ならばいまの庚国を再興したのが前庚国の太子であったことに倣って、太子殿下が祭祀を執り行い、盛大な宴を開いて天をお慰めするのが宜しいかと存じます』


 その言葉を発したのは、他でもない劉宰相。

 そしてその言葉に『それは名案だ!』と便乗したのは永王の叔父である寧枢密使だった。

 それから賛同の声が相次いで、吉凶を鑑みた七日後に祭祀と宴を執り行うことに決まったそうだ。


 桑縁がその日調べた観測の記録とは全く異なるおう司天監の奏上内容。予想はしていたが、苦笑するしかないほど目的に忠実であった。


「ようやく奴らが動き始めたわけだが……全然意図が分からん」

「分かりませんか?」

「勿体ぶらずに言え」


 不服そうな景王に咳払いして桑縁は言葉を探す。


「彼らの目的は、太子殿下を陥れることですよ。皇后娘々の犀角さいかく杯を奪おうとしたのは、祭祀を行い宴の席で娘々を謀殺し――太子殿下が陛下に毒を盛ろうとした、と見せかけること。彼らは古の伝承を下敷きにして、自らが成り上がるつもりなのだと思います」

「なんだって!?」


 その昔、己の息子を太子に立てるため、策を巡らせて太子を死においやった寵妃の有名な昔話。

 ――そのとき使われたのもまた、ちん毒だ。敢えて同じ毒を使うことに何かしら意味はあるのだろうか。

 伝承では亡き母のためという名目で、寵妃が太子に祭祀を行うように勧めたはずだが、今回は太子の母である皇后が健在であるから、司天監の奏上する星辰の躔次てんじを利用して祭祀を行い、皇上の不審を誘うために、皇后を太子自らの手でちん毒によって殺すよう仕向けたいのではないか。


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