第6話:白角狐

「なんて人騒がせなことをするんですか! こっちは別の黒衣の奴らに殺されかけてるんですよ! いい大人なんですから、ふざけるのは止めてください!」


 全員を芝生に正座させた桑縁は、怒りのままに彼らに言い放つ。


「よもや秦公子がそのような事件に巻き込まれていたとは露知らず……ご迷惑をおかけして申しわけございません」

「それだけじゃありません! 貴方たちが使っているのは人を傷つける武器なんですよ!? 天大侠にいさんの実力を知りたいなら、別の方法があるでしょう! しかもいま、いつだと思ってるんですか!? 夜中ですよ!?」


 桑縁の説教はしばらくのあいだ続き、明超ですら口を挟むことはできなかった。とはいえ白老人は歳も歳なのでさすがに正座させたままにしておくわけにもいかない。怒りは収まらなかったが言いたいことを全て言ったあと、桑縁は彼のために椅子と茶を用意した。


「お待たせしました、天大侠にいさん。あとはお任せします」

「お任せされてもなあ……」


 託された明超の方が眉尻を下げ困り顔だ。それでも、彼等は明超が目的で桑縁の家に押しかけたのだから、ちゃんと聞くべきところは聞いて欲しい。それにしても、驚いたのは白老人だ。桑縁が幼い頃から知っている彼が、あのように戦う姿を見たのは初めてだった。


「お前たち、ただの役者と座頭じゃないだろう。何者だ」

「儂は人呼んで白角狐ばっかくこ。確かに水連棚は、ただの劇場ではない。庚央府の……いや、庚国屈指の情報網を持ち、場合によっては只人から貴人まで幅広く様々な依頼を請け負う。あらゆる裏の世界の情報に通じ、約七十年にわたって庚央府を裏から支えている白角会ばっかくかいの拠点。水連棚の役者たちは皆、白角会ばっかくかいの同胞じゃ」

「つまり……表向きは劇場を経営し、裏では白角会ばっかくかいとして活動していた……ってことか」


 そうだ、と白老人はうなずく。

 明超は鞘に入れたままの剣先を彼に差し向ける。


「それで、何が目的だ? 正直に答えてみろ」

「それは……」


 白老人の身体がふるふると震え、次の瞬間には号泣しながら明超に飛びついていた。


「うわああああああああん、逢いたかった! 天兄ぃぃぃぃ!!」


 ぎょっとしたのは明超だ。なおも号泣しながら腰にしがみ付く白老人に顔色を変え、引き剥がそうと試みる。……が、相手はなにせ高齢の老人だ。無碍にもできず、どうしていいのか困っているようだ。


「おいこら離せ! 爺の弟なんざいねえよ!」

「儂を、儂を忘れたとは言わせぬぞ! 儂じゃ、薄明じゃ! 天兄と共に旅をした、薄明じゃ!」


 その言葉に驚くあまり、桑縁も明超も固まった。しばらく白老人の言葉を反芻したあと、夜中であることも忘れて驚き叫んだ。


「は、薄明!?」

「えええええええ!? それ、義鷹侠士の末の弟分の名前で……!?」


 明超の腰に、なおもがっちり腕を回したまま白老人は振り返る。


「そうじゃ。儂こそ……義鷹侠士の末の弟分、薄明その人じゃ」

「弟子にした覚えはない! いや、俺は天明超の孫で、ただの三代目だ。悪いがあんたの兄貴分にはなれない」

「儂の目が誤魔化せるものか! 共に旅をした儂だから分かる! ……あんたは間違いなく天兄じゃ!」


 この老人――鋭い!

 八十年経っているにもかかわらず、彼を一目で本人と見抜き、あまつさえ自ら彼の実力を測りにやってきた。そのうえで彼、明超を本物だと言っているのだ。しかし、八十年前に薄明くらいの年齢だったとすると……白老人は九十前後ということになる。


(でも、天大侠にいさんも困っているようだし……)


 白老人の執念、いや想いは分からないではないが、当の本人が隠したがっているのだ。仮に本当のことを話す日が来たとしても、それはいまではないだろう。

 桑縁は二人のあいだに割って入り「まあまあ」と白老人を宥める。


「よく考えてください。仮に義鷹侠士が生きていたら、貴方よりも年上のはずなんですよ? 天大侠にいさんはどう見ても二十台半ばでしょう?」

「しかし秦公子。お言葉を返すようじゃが、彼はあまりにも儂が幼い日に見た義鷹侠士と瓜二つ。いや、似ているという次元ではなく本人なのだから当然だ」

「落ち着いて。彼はお孫さんですからそっくりなのも当然です。歳が若いことに説明がつかない以上、彼を本人と断定するのは早計ではないでしょうか」

「ぐっ……」


 明超と同じ時間を過ごしたことのある白老人ならば、桑縁の話が理解できぬわけがない。桑縁だって、未だに彼が幽鬼であることについては「本当なのか?」とずっと思っている。


 白老人こと白角狐は、これまでの経緯を懇々と語った。

 明超と、仲間たちと共に死地に赴くつもりであったが、一人だけ置いていかれたこと。気づいてすぐに追いかけようとしたが、明超から彼のことを頼まれた者たちによって、後を追うことを阻止されてしまったこと。明超や仲間たちは、彼を除いて誰一人生きて帰ってはこなかったこと。


「確かに天兄たちの犠牲によって太子は救われ、庚国は再興された。しかし、天兄の強さや優雅さ、美しさは誰かが真実を伝えていかねばどこかで曲げられてしまうかもしれない。儂が生きているあいだだけでも、天兄の勇姿をできる限り芝居の中に残して行きたい。そう思って、水連棚を作ったんじゃ」

「その割に真実の上に滅茶苦茶盛りまくってたじゃねえか。……いや、水連棚はいいとして、白角会ばっかくかいはどうなんだ」

「唯一生き残った義鷹侠士の仲間として、果たさねばならない使命があると儂は思った。天兄に教えてもらったことを少しずつ自分のものに、そして自分なりに発展させて腕を磨いた。いつか生まれ変わった天兄に再び逢えるなら、今度こそ儂も天兄の役に立ちたかったんじゃ」


 複雑な表情で明超は白老人のことを見下ろしている。彼の言葉に、想いに、なんと答えていいか分からないのだろう。

 桑縁には白老人の気持ちが痛いほど分かる。

 義鷹侠士の仲間でありながら唯一消息の掴めなかった人物。彼は当時十歳前後であったから、明超は彼を最期の地には連れて行かなかった。……いや、連れて行けなかったのだ。


「それでも俺は本人じゃなくて孫だ。……気持ちは分からんでもないが、天明超は既に八十年前に死んでいる。すまないが諦めてくれないか」


 どこか寂し気な、しかし明瞭な明超の口調。それでも彼は『自分がは天明超本人であり、幽鬼だ』とは白老人に告げなかった。


    *


 ようやく明超を本人だと主張することを止めた白老人であったが、自称、孫である明超のことを諦めたわけではないらしい。かつての義鷹侠士と自分のように、共に白角会ばっかくかいで働かないかと、何度も彼を仲間に引き入れようと試みたが、その都度はっきりと明超には断られてしまった。


「死んだ俺の爺さんがどうだったかは知らないが、俺は桑縁の側にいるって決めているんだよ。悪いがお前たちとつるむ気はない。悪いが諦めてくれ」


 明超のかつての仲間を前にして、桑縁とて複雑な感情を抱いている。

 幼い頃に仲間たちに置いて行かれ、生き残った負い目をずっと抱えてきた白老人。彼の気持ちが分かるからこそ――桑縁は明超の背を押すべきか、ずいぶんと悩んだ。あれこれ言いつつも、もしも彼が白角会ばっかくかいに行ってしまったら、かつての仲間の元に帰ってしまったらと思うと、一抹の寂しさを感じぬわけではなかった。だからこそ、彼がどのように説得されても頑なに誘いを固辞した言葉に、申し訳なさと嬉しさがない交ぜになったことは否めない。


 それでも、さすがに空の端が白んでくるころには白老人も彼を説得することは断念し、引き上げることにしたようだ。


「諦めたわけではないが、そろそろ水連棚を開ける準備をせにゃならん。ここにいる皆のこともある。……此度の話は日を改めてまたしよう」


 諦めてなかったんだ、と苦笑しながら桑縁と明超は去り行く白老人と水連棚の役者たちを見送った。


「付き合わされる方も大変だな」


 ぼやきながらも、彼らの背を見送る明超の目は笑っている。小さな声で「あんなにたくさんの、我が儘に付き合ってくれる仲間ができたんだな」と彼が呟いたのが耳に残った。


「あ、そうそう――」


 去るのかと思いきや、立ち止まった白老人は二人の方へ振り返る。


「秦公子が必要としているものを用意しております。是非、天兄と共に水連棚にいらっしゃい」


 それだけ言って、水連棚の役者たちに付き添われ、白老人は今度こそ去って行った。


「僕をダシにしましたね、白先生……」


 敢えて明超に言わずに桑縁を名指しした上で、明超と共に来いと言ったのは、明超に直で言えば断られると分かっているからだ。しかし、彼が言う以上桑縁に関係する何かがあるというのは嘘ではないだろう。


「まぁ、お前が必要としている……というのが本当なら行くしかないだろうな」

「すみません、僕のために」

「別に気に病むことはないさ。ともかく、やってきたのが刺客じゃなくて安心したよ」

「確かに。本当に最初はどうしようかと思いましたが……」


 笑ったあとで慌てた明超に支えられ、自分の視界がぐるぐると回って……まともに立ってさえいないことに気づく。


「安心したら、眠くなりました……」


 薄れゆく意識の中で、やっとの思いでそれだけ言うと桑縁は意識を手放した。


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