第4話:事件発生

 東角楼を抜け景幽宮の脇を通り、御街に沿ってしばらく歩けば、右も左もたくさんの店が商いをしている。中には金持ちしか入れないような高級店などもあるが、桑縁たちが目指すのは市井の人々が気軽に入れる程度の安い店だ。


「あれ?」


 しばらく進んでいくうちに、何やら妙であることに気づく。通り一杯に溢れた人が道を塞いでいるのだ。普段から人の多い通りではあるが、脇道でもないのに歩く隙間も無いのは珍しい。ただならぬ様子を感じ取った明超が、すぐさま歩みを止めた。二人で顔を見合わせ、もう一度人ごみの向こう側に目を凝らす。

 ……気のせいかもしれないが、なんだか微かに焦げた臭いがするようなのだ。


「妙だな」

「何かあったんでしょうか? この臭い……もしかして」


 桑縁が答えを言う前に誰かの叫ぶ声がする。


「火事だ! 曹州漆陶器什物鋪そうしゅうしっとうきじゅうもつほが、燃えているぞ!」

「何だって!?」


 驚きのあまり、桑縁は声をあげた。


「知っているのか?」

「はい。曹州漆陶器什物鋪そうしゅうしっとうきじゅうもつほといったら、それなりに有名な食器店です。でも、あそこは火が出るようなものは無いはずですが……」


 春とはいえ、まだまだ寒い日もある。暖をとろうとして火事になるのはよくある話。しかし、野次馬に紛れて燃え盛る店を見たとき、桑縁は凍り付いた。

 うねる炎が渦を巻く。勢いは衰える様子はなく、家を支える大きな梁が火花を瞬かせるたびに、たくさんの火の粉が風で舞ってゆく。


「天大侠にいさん。……これは放火です」

「見ただけで分かるのか?」

「はい。失火にしては火の勢いが強すぎます。あの店に窯はありませんし、あんな燃え方をするのは、明確な意志を持ってたくさんの油を撒いて火を放ったに違いありません」


 曹州漆陶器什物鋪そうしゅうしっとうきじゅうもつほは、貴族相手ではなく近隣の店や家庭で使う食器などを主に扱う。職人が店の窯で焼くわけではなく、どこか失敗した食器や粗悪品を安く仕入れて売っているそうだ。


(そんな店でいったい何が……?)


 店の中に人はいるのか。誰か生きていないのだろうか――そんなことを考えていると、ふと窓の奥に人影が揺らめいたような気がした。


「誰かいる!」


 桑縁は弾かれるように走り出す。ほとんど衝動的に、明超が止めるのも聞かず店に向かって駆け出していた。


    *


「おい、何をしている! 命を捨てる気か!」


 店の側にいた邏卒らそつ[*巡回警備の兵士]の制止を振り切って、炎の中に飛び込む。


「げほっ……」


 入るなり黒煙を吸い込み、桑縁は咳き込んだ。慌てて懐から手巾を取り出すと、口元に充てる。邏卒がいたからには、火消しの部隊もじきにやってくるだろうが、この火の勢いを止められるとは思えない。


(あまり時間はないだろう、急がないと……)


 先ほど人影の見えた場所を思い出しながら、身体を低くして地面を進む。視界の上半分は黒い煙で覆われてほとんど視認することができないが、辛うじて下半分はどうにか見える。


「痛!」


 ほとんど屈むような姿勢で進んでいたのだが、片手をついた瞬間に掌に痛みが走った。どうやら床に割れた陶器が散っていたらしい。しかも、一つや二つではない。よく見ればあちこちに割れた欠片が散乱している。誰かが怒りに任せて割ったのか……それとも、何者かが押し入ったから割れたのか。

 どちらにしても、これでは手をついて進むことも難しい。

 戻れなくならないうちに、ここを出よう。

 そう決めて入口に向かおうとしたとき、奥のほうに誰かが倒れているのが目に入った。服装からすると、この店の主人かもしれない。


「しっかりしてください!」


 夢中で走り寄った桑縁は助け起こそうと手を伸ばしかけ、男の背に大きな傷がぱっくりと開いていることにようやく気づいた。血は既に流れてはおらず、服についた血はやや湿っている。つまり、この男を斬った人物がまだ潜んでいるかもしれないということだ。恐る恐る体をひっくり返してみると、鳩尾の辺りに刺し傷があった。


(正面から刺され、慌てて逃げようとして背中から斬られた……)


 ひゅう、と掠れた音が喉から漏れ出でる。叫びたい気持ちを必死で堪えながら、早鐘のように打ち付ける胸を掌で押さえつけ、辺りの様子に目を凝らす。

 煙で完全に見えるわけではないが、怪しい人物は見当たらない。


(いやいや……さすがにこの炎の勢いで、まだ残っているなんてそんな……)


 先ほど見た人影のことを思い出した桑縁は、わずかによぎった自分の考えを打ち消した。

 金目当ての強盗だろうか?

 ぱっと閃き、店の勘定台へ走る。桑縁の予想通り、台の内側に銭を入れる箱があった。ためらうことなく手をかけると難なく蓋が開く。中には多数の銭や交子[*紙幣]が入ったままで――つまり金取りが目的ではない。

 ふと煙の中に白いものが見えた気がしたよく見れば煙の向こうに、何かが横たわっている。それは地味な裙の上に控えめな半臂を羽織った女性の足で、妙に白い足が艶めかしく、それでいてなぜか素足のままであるのが気になった。


 行くべきか否か。上からは天井を支えている梁が軋んだ音をたて、限界が近いことを報せている。さすがにこれ以上は無理だろう。

 迷っていると、小さく足元で石が爆ぜるような音がした。ぎくりと身を固くして視界の端に神経をとがらせる。――大丈夫、誰もいない……はずだ。不安を押し殺し、いい加減戻らねばと歩き出した瞬間に、腕を引っ張られ引き戻された。突然の、あまりにも強い力の反動で反射的に振り返らざるを得ない。


「っ!」


 その先にいたのは、いままさに桑縁の首筋に剣を突き立てんとする黒服の男。

 もう駄目だとばかりに目を瞑りかけたとき、一陣の風が吹き抜けた。

 掴まれた腕の重みが消えたことに驚いて目を開くと、明超が片腕で桑縁をしっかりと抱えている。彼の片方の手には剣があり、血の一滴も付いていない。――にもかかわらず、先ほどまで桑縁に剣を向けていた男は、崩れた壁のさらに奥の壁に、背を預けるようにして座り込んでいた。恐らくは気を失ったか、死んだのだろう。男の右の肩から下は消えており、側には右腕が転がっている。


「行くぞ」

「待って!」


 間髪入れずに倒れた女の元に走り寄り、素早く彼女の様子を確認した。予想通り女は死んでいる。気になることは多いがじっくり見ている時間はない。落ちている粒を拾い上げ、腕や首回り、そして髪型などをざっと確認すると、慌てて明超の元に戻った。


「御免なさい、もう大丈夫!」


 明超は明らかに怒っている。それでも、桑縁が戻ってくると、すぐに剣風で道を切り開き、桑縁を抱えたまま店の外に飛び出した。


    * * *


 二人が出るや否や炎は勢いを増し、とうとう誰も近づくことができぬほどの炎に包まれてしまった。こうなっては火が鎮まるか、雨が降ってくるのを待つしかなく、せめてできるだけ周りの店に燃え広がらないことを祈るのみだ。

 有無を言わさず明超に手を引かれ、群衆から遠ざかる。先ほどのことを謝ろうと思ったが、明超は足を止めるなり桑縁を睨みつけた。


「どういうつもりだ」


 怒った明超は、やはり怖い。普段はへらへら笑っていたり、桑縁の言葉におどけることも多いので、怖いと思ったことは無かったのだが、いまこうして本気で怒っている彼を目の前にすると足が竦むほど怖い。桑縁は申し訳なさもあって、彼の顔をまともに見ることができなかった。


「どういう、とは……」


 やっとの思いでそれだけ吐き出す。


「お前、自分を囮にしやがっただろう」


 桑縁の鼻先に顔がくっつくかと思うほど顔を近づけ、低い声で言う。彼の予想は、当たらずとも遠からず。


「は、半分は本当に夢中だったんです。誰かが意図的に油を撒いて火を放ったのなら、ただの火事ではなく事件に違いないと……それで」

「あのな。それはお前の職務なのか? いいや、百歩譲って職務だったとしてもだ。あんなに燃えてる店の中に入って、どれだけ生きて戻れる可能性があると思ってるんだ!? よく考えろ! お前は禁衛兵でもなければ捕吏でもないんだぞ!」


 彼の言うことはしごくもっともだ。そして、これほど怒りを露わにしているのは、桑縁が無茶をしたから、心配しているからに違いない。


「でも……、でも、こうして生きて戻ってこられたじゃないですか」

「屁理屈を言うな。お前は、燃える店の中に怪しい奴がいることに気づいていたな。だからこそ、敢えてあの店の中に入ったんだ」

「……はい」


 助けてくれた明超に隠し立てすることはできない。怒られるなら纏めて認めておいたほうが後味が悪くないだろうと考え、桑縁は素直にうなずいた。


「なんで俺に相談しなかったんだ」

「相談したら、止められると思ったんです」

「……」


 だからこそ率先して炎の中に突入することで、明超が追いかけて来ざるを得ない状況を作ったのだ。


「もし……もし俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ! 下手したら死んでたんだぞ!?」

「それは……」


 ぎろりと明超が睨む。

 本気で怒った彼は、やはり怖い。

 それでも桑縁は勇気を出して顔をあげ、明超の顔を見た。


「絶対来てくれる、間に合わないわけがないと思ったので……」

「はぁ?」

「だって、さっきの縮地法ですよね? 義鷹侠士は一瞬で一里を翔けるって読んだんです。……以前刺客と戦ったときの動きを見て、天大侠にいさんなら絶対にできるって確信していました!」

「お、おま……お前は……馬鹿なのか!?」


 呆れたらいいのか、怒ったらいいのか、心底困っている。彼の叫びからは動揺がありありと読み取れた。


「天大侠にいさんの性格を利用して無茶をしたことは謝ります。すぐに許してもらえるとは思わないですが……その、信じていたので……」

「もういい。これ以上は頼むから心配をかけるなよ。……ったく、舌の根も乾かぬうちに平然と無茶なことをしやがって。それで――無茶をしたかいはあったのかい」


 不貞腐れたような言い方をしているが、彼がどれほど心配してくれたのか分からぬ桑縁ではない。本当はまだ怒り足りないだろうに、思う所あるがゆえに桑縁があの店に飛び込んだことを考慮して、敢えて話を変えてくれたのだろう。実際のところ、燃えたあとでは遅かった……と確信している。


「はい。まず、あの火は間違いなく放火です。そして倒れていた店主も、女性も、二人とも殺されています。おそらく、あの店に潜んでいた黒ずくめの男が犯人で間違いないでしょう。そして目的は金銭ではなく……売り物の磁器は木っ端微塵で、店の金にも手をつけた様子はありませんでした」

「磁器は敢えて割ったと思うか? それとも、争って割れたと見るか?」


 桑縁は少し考え「敢えて割ったのだと思います」と答えた。


「店主の傷は真正面からの刺し傷と、背中の大きな傷の二つ。背を上にして倒れていました。おそらくは前から刺されて逃げようとしたところを斬られたはずです」

「つまり、争うほどの余裕はなかった……ってことか。確かにあの男の腕前じゃひとたまりもないな」


 その男を一撃で、しかも店の外から風のように飛び込んで倒したのは、ほかならぬ明超だ。あのときの神業を思い出しながら、桑縁は渇いた笑いを浮かべた。


「あ――そうでした。これ……」


 ずっと忘れていたことを思い出し、桑縁は懐から紙を取り出す。実は、店主を助け起こしたとき、彼の重ね襟の内側に紙が入っていたのだ。


「何だ?」

「実はまだ中身を見ていないんです。ぱっと目に付いてほとんど反射的に抜き取ってしまったもので……もしかしたらただの交子だったりして……」

「よそではやるなよ……」

「ははは……」


 呆れた明超に苦笑いで返し、桑縁は畳まれた紙を開く。紙の端に血が染み込んでいて開くのに多少苦労したが、どうにか破らずに開くことができた。


「これ……」

「何だこれ」

「何でしょう……?」

「俺が知るかよ」


 二人で首を傾げ、紙に描かれた絵を見る。絵と言っていいのかも分からない、絵心の無い人間が描いた、率直に言って何を描いたのか理解するのが難しいような、そんな絵だった。人にしてはあまりにも不可解な形をしているし、動物にしては目が人間のようだ。


「怪異の類いでしょうか」

「かもしれないな……こんな容貌の怪異、記憶にないが」


 絵が何を表しているのか。それをすぐに理解することは難しそうだ。代わりに諦めた桑縁の目に飛び込んで来たのは、紙の隅に書かれた文字のほうだった。


「天大侠にいさん、この怪しい絵は、注文者が図柄を指定したのではないでしょうか。店主は注文を受けた際に値段と色を併せて書き記した。ほら、ここに金額と色が『赤』と書いてあります。それに……」


 どうやら、絵の衝撃が多すぎてしばらく文字が目に入らなかったらしい。いったん諦めたことでようやく文字の情報が頭の中に入ってきたようだ。


「それに?」

「この金額……ちょっと高すぎやしませんか?」


 曹州漆陶器什物鋪そうしゅうしっとうきじゅうもつほは庶民でも買いやすいような、安い食器を大量に仕入れて売っている店だ。なのに書かれた値段は高級な青磁などにも匹敵する金額だった。


「妙だな。……何か特別な物を注文したってことか」

「そうなります。ただ、高級なものが欲しいなら有名な店はたくさんありますし、敢えてこの店で、いったい何を注文したのか……」


 しかし、結果的に注文したものに何かしらの秘密があったからこそ、店主は死に女も死んだのだ。


「……それから、僕を襲ったあの男は、初めは姿を見せませんでしたが、僕が倒れていた女性の方に注意を向けた瞬間に殺そうとしました。きっと女性を調べて欲しくなかったのだと思います」

「それでどうだった? お前は俺が早く店から出ようと言ったのに、敢えて待てと言ってその女の死体を調べたんだろう?」

「はい。まず、あの女性は首の付け根に珍しい形の痣がありました。いまとなっては確認する手段はありませんが、僕が見る限り最近ついたものではありません。おそらく、もっと昔についたもの。きっと彼女がどこの誰であるかを探す手掛かりになると思います」

「形は覚えているのか?」

「もちろんです。記憶力には自信があるほうなので」


 桑縁は強くうなずく。首の痣を探すために近寄ったわけではなかったが、お陰で一つ手掛かりを得ることができた。この痣は彼女が何者なのかを知るために、きっと役立つに違いない。


「それから……これを見てください」


 桑縁は手巾の中に包んでおいたものを明超に差し出した。


「何だこれ?」

花鈿かでんです。装飾のようなもので、上流階級の女性や一部で流行っているんだそうです。染料で色を付ける場合もありますが、おそらくこれは真珠かと」


 女性の装飾品の話になると、明超の表情が途端に険しくなる。義鷹侠士は数多の女性と浮き名を流し――本人が全力で否定をしていたが、花鈿かでんも知らぬとなると、やはり彼は女性の身なりや事情に疎いようだ。


(なにより、女性のお洒落とか絶対気づかない性格だよなあ……)


 物語に出てくる義鷹侠士のような、歯の浮くような台詞を言う明超の姿が全く描けない。


「それで……その花鈿かでんとやらが、何か重要なものなのか?」

「ある意味で重要です。彼女はなぜか素足で、靴はどこにも見当たりません。花鈿かでんを施すくらいにはお洒落を気にしているはずなのに、服装はかなり控えめで、髪の毛の結い方もなんだか争って乱れたというよりは適当でしたし、全てがちぐはぐなんです」


 閃いたように明超が桑縁を見た。いまの説明で、彼も気づいたのだ。


「つまり……後から服を着せて髪を結ったって言いたいのか?」


 桑縁はうなずく。


「僕は仵作ごさく[*検屍官のようなもの]ではないので、はっきりは言えませんが、おそらく。彼女の襟元と袖口を少し確認しましたが、日の焼け具合も彼女が着ていた服と全く異なっていました。あと気になるのは……彼女の右頬は明らかに殴打の痕があり、腕や足にも痣がありました。古いものではなく最近のものです」

「つまり、死んでた女は服装通りの女ではない、いわくつき……と」

「全て燃えてしまえば髪も燃えて無くなります。髪型は適当でもいいと思ったんでしょう。花鈿かでんを残したままだったのもおそらく同じ理由のはずです」


 桑縁の説明に明超は多少なり感心しているようだ。話を聞く目つきも真剣そのもので、既に彼の頭の中には桑縁と同じように、昼間燃える家で見た光景が浮かべられている。


「もう一つ聞きたい。女も男も、全てが燃えたいま、お前が持っているその花鈿かでんは、死んだ女の正体を突き止めるのに役に立つのか?」


 実は多少不安だったのだが、それでも桑縁はうなずいた。彼を説得するためには、不安な顔をしては駄目だと思ったからだ。


「はい。噂で耳にした程度ですが、真珠の花鈿かでんは貴人や後宮の妃嬪、宮女たちが好んで施すのだとか。妓楼の女性などもそういった流行には敏感なので、同じような花鈿かでんを施しているかもしれません」

「なるほどな。問題は既に当人は炭になっていて、知ってる奴を探そうにも似顔絵を描くことも難しい……ってことくらいか」

「そこは、まあ。もし探す場合はある程度範囲を絞ったうえで、手あたり次第に行方不明の人物を当たっていくしかないかと……。とはいえ、後宮に関しては僕たちで探すことは不可能ですね……」


 しかし、最終的にはやはり少し頼りない言葉になってしまう。


「せめて死体を調べることができたらな……。それこそ昔は検屍の際に立ち会わせてもらったもんだが、義鷹侠士の名声あってこそ、だよなぁ」

「さすがに『孫』と言っても『本人です』と言っても、難しいでしょうね……。あ、そうだ! 大侠にいさんはあの男について気づいたことはないんですか?」


 明超が一撃で倒したあの男。黒ずくめという特徴的な服装ではあったが、忍ぶものはだいたい黒い服に身を包むので、服装について言及してもあまり意味がない。


「それなら……お前を襲った一味と、おそらく同じ一派だろうな。型がよく似ていた」

「は!?」


 その答えは全く予想をしていなかったため、桑縁は思わず素っ頓狂なこえを出してしまった。同時に大きい声を出し過ぎたと慌てて口を押さえ、声を低くする。


「待ってください、僕を殺そうとした奴らと同じって、どういうことなんですか!? っていうか、何でいままで言わなかったんですか!?」


 さあ、と明超は肩を竦める。彼は桑縁ほど驚いてはいない。


「さっきはお前が無茶ばかりするんで、腹が立って忘れてたんだよ。前にお前が襲われたときも、今回もかなりの手練れだったが、ある程度動きに法則があった。さっきの奴が特に強かったが……きっと誰かしら、あいつらを鍛え上げている奴がいるんだろうな。そして、そいつらを纏めて抱えている誰かがいる……ってことだ」

「でも、僕が襲われることと、曹州漆陶器什物鋪そうしゅうしっとうきじゅうもつほが火をつけられたことと、何の接点もないですよ!?」

「そこはこれから探すしかないだろ?」


 明超は桑縁の額に拳を向ける。咄嗟に両手で額を覆ったが、指の節が当たることはなく、開いた掌は桑縁の頭をかき混ぜる。


「いいか、次からは絶対無茶はするなよ。……死んだらお前の母君がたった一人になるんだぞ。お前は母君が旦那を亡くし、唯一残った息子まで事故や事件で死んだらどんなに悲しむか。ちゃんと考えろよ。分かったら行くぞ」

「……天大侠にいさんでも、真っ当なこと言うんですね」

「馬鹿にしてるのか。俺だって色々考えるんだぞ」


 口ではそう言うが、先ほどよりは怒りも収まっているようだ。


「いえ、そうなんですけど……」

「まだ何か言いたいのか?」

「いいえ、大丈夫です!」


 言おうか迷った言葉を、桑縁は言わなかった。明超は、義鷹侠士はかつてたくさんの仲間や兵士を率いて死地に赴いた。そのとき彼に思う所はあったのか。仲間や兵士たちの家族のことを考えたのだろうか。彼の背にはいつだって彼を信望している者たちがいたのだ。背負う重圧も生半可なものでは無かったはずだ。


(辛くなかったのかな……)


 桑縁一人のことでもあれほど心配してくれた彼の優しさと思いやり。真剣に怒ってくれたのは、それだけ桑縁と母のことを思ってくれたからだ。

 明超の背を見ながら、桑縁は彼に呼びかける。


「天大侠にいさん

「何だ」


 立ち止まり振り返った明超に、桑縁ははにかんだ。


「さっきは追いついてくれて、ありがとうございます」


 目を丸くした明超は、しばらく口を開けたまま呆然として、それから慌てて背を向けた。


「当然だろ。行くぞ」


 ぐいと桑縁の腕を掴み、速足で歩く。桑縁は明超と離れぬように小走りで、おそらく照れているであろう彼の横顔を見つめていた。

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