第3話:劇場
「俺をどんな奴だと思ってるんだよ……」
心底不服そうに明超がぼやく。意外だったのは、これほど見目も良く人当たりのいい男が『浮き名を流した女など一人もいない』と力説したことだった。いつも溢れんばかりの男と女に囲まれていて、酒盛りをすれば都中の提灯に灯が灯る。彼を想う数多の女を振り切って死地に赴いた義鷹侠士――。
「違うんですか?」
「あのな。どんな伝えられかたをされてるのかは知らないが、下手に名前が売れてからは年がら年中狙われていたし、どこにいても誰かしらに見られてるから、そんな余裕なかったんだよ。死ぬ前の数年はそれこそ陛下の侍衛もやってたし、暗躍していた奴らを調べ上げたり、それどころじゃなかったぜ」
「えええ……本当に? 残念だなあ……信じてたのに」
「俺が一番残念だよ。もっとのんびり楽しく暮らすはずだったんだがなあ……」
「天
桑縁はずっと、物語の中の義鷹侠士は全身全霊を賭け己の信条のために命を燃やしきった男だと、そう思っていた。しかし、彼の先ほどからの答えは、不服がちらほらと見え隠れしている。
「楽しくなかったわけじゃない。悪いことばかりでもなかったさ。ただ……次にこの世に生を受けるなら、今度は違った生き方をしてみたい。人に尊敬されなくてもいい、憧れられなくてもいい。ときどきうまい物食って、気の合う奴らと気兼ねなく酒を飲み、畑なんか耕すのも悪くないかもしれないなあ」
彼の言いたいことが、桑縁にはなんとなく理解できた。生前の彼を完全に知ることはできないが、彼はずっと『義鷹侠士』の名声と使命に縛られて、皆の期待に応えてきたのだ。それがどれほど重いものであったか、彼を最も信頼した相手が皇帝だったのだからなおさらだ。
「天
「劇場?」
「義鷹侠士の題目はかなり多いです。……せっかくなら、どれだけ自分の人生が脚色されているか見てみるのも面白いと思いますよ。どうです?」
桑縁の申し出に明超の瞳が瞬いた。
*
――天明超の物語は、彼が十代の頃から始まる。
小さな村に生まれた明超は、悪戯が好きで、食いしん坊な、どこにでもいる少年だった。他と異なっているのは、天性の才能を持っていたこと。
十五のとき初めて江湖に出た彼は、たちまち頭角を現した。一帯を支配する盗賊たちを駆逐し、彼の功績を妬む者たちを跳ね返す。
彼を慕う者、彼を倒し名声を得ようとする者。幾多の出会いと別れを繰り返し、やがて彼は『義鷹侠士』と呼ばれるようになった。
彼の名声を聞きつけた皇帝は、自分に仕えるように命じたが、自由を愛する彼は皇命とて承諾することはない。しかし、皇帝の命だけではなく国そのものが狙われていることを知った彼は、皇帝を守り国を守る決意を固めたのだった。
幾多の事件を解決し、幾多の苦難を超え、暫しの平穏が訪れる。どんな事件も解決する彼と仲間たちを見て、人々は英雄であると彼のことを讃えたという。
それでも平穏は長くは続かない。
義鷹侠士が在ってなお、歴史の奔流には逆らえなかった。
炎に包まれた皇城を捨て彷徨う太子と民たちを守るため、最後まで命を燃やし尽くした義侠の士。
旅立ってからほんの二十年と少し。
その二十年間の彼の生きざまは、いまもなお物語として語り継がれている。
* * *
皇城の東側では高級店のほかにたくさんの店や施設が揃っている。劇場の大きさも数も様々なものがあり、催される演目もまた様々だ。歴史を語る講史、人気の役者たちによる雑劇、人形を用いた芝居や、華麗な剣舞に歌や楽器の演奏。とにかくどこを歩いても誰かの声か歌か、あるいは人々の歓声がやむことはない。折しも今日は教坊の楽師たちによる演奏がお披露目されることも相まって、いっそう賑わいを見せている。
「見事なもんだな」
劇場に向かって歩いていると、ふと明超が琵琶の音色に足を止めた。街の喧騒に花を添えるように、ひときわ美しい琵琶の旋律が響いている。優雅で華麗、それでいて切なくて物悲しい――他にも笛や太鼓なども聞こえるのだが、これほど心を打つ演奏も珍しい。きっと名のある楽人が演奏しているのだろう。
「皇城の教坊で演奏をしている方々ですから、腕前も相当なものなんでしょうね」
人ごみのあいだから垣間見えた美しい女性。銀の歩揺に華やかな襦裙を身に纏っているが、どこか憂いを帯びている――ように思えた。いや、そう見えただけかもしれない。
「どうした?」
明超に尋ねられ、はっと桑縁は振り返る。
「いえ。なんでもありません。目的の劇場はすぐそこです、行きましょう」
桑縁はその中で一番大きな劇場を指差し、そして明超を促した。
「水連棚は庚央府で五本の指に入る有名な劇場です。規模もさることながら、一番義鷹侠士の題材が豊富で、彼に関する講史を聞くために、三更から列を作るほどなんですよ」
今回の演目は、まだ義鷹侠士が仲間たちと共に江湖を流離っている頃の物語。義鷹侠士が、彼らを倒して名声を得ようとする悪人たちと戦うといった内容だ。美男の義鷹侠士と、彼を色仕掛けで落とそうとする傾国の美女との悲恋がこの劇の見どころであり、華やかな戦いが見どころの義鷹侠士の演目の中では異色の題材である。
はじめは美女の妖艶さと悪女ぶりが主に描かれるのだが、物語の後半では美女は義鷹侠士を狙う悪人に弟を人質にとられていたことが判明して、事態は一変する。さらには彼女の事情を汲み、敢えて彼女が酒に混ぜた毒を飲んだ義鷹侠士は窮地に立たされてしまう。あわやというところで義鷹侠士は、末の弟分の助けによってどうにか危機を脱し、最終的に美女は義鷹侠士を庇って命を落とす――。
義鷹侠士の恋を扱った話とあって、水連棚の中でも高い人気を誇る題目の一つだ。
実はこの物語の見どころは、義鷹侠士と美女との悲恋の物語のほかにもう一つある。それは義鷹侠士の仲間たちの中で最も若い、義鷹侠士の弟分である
桑縁自身も幼い頃は、薄明のように義鷹侠士と共に冒険をしたい思っていた。義鷹侠士の仲間たちは、ほぼその全員が最後の戦いで義鷹侠士と共に命を散らしてしまうのだが、唯一薄明のその後だけは語られていない。
初めは自分を題材にした物語に嫌悪感を露わにしていた明超だったが、次第に盛り過ぎた内容が面白くなってきたのか、物語が終わりに近づくころには話に聞き入っているようだった。
「八十年も経てば大したことない話でも、ずいぶん面白おかしく話されるようになるもんだな。意外に雰囲気が似てる役者も多くてびっくりだ」
ようやく一つ目の演目が終わり、満足げに明超は伸びをする。
「天
「そうだな……とある貴族の屋敷に招かれて、傾国と名高い美女が色仕掛けで迫ってたところ。怪しい薬を盛られたのは本当だし、おおむね話の流れは合ってるんだが、色仕掛けに現れたのは傾国の美女じゃなくて屋敷の主人の女房だったんだ」
「ええぇ……」
「あのときは本当に恐ろしかったぜ。仲間が気づいてくれなかったら、社会的に死ぬところだったんだからな」
「ぶはっ、あっははは……」
我慢できずに思わず桑縁は噴き出してしまった。おどけてみせたあと、明超は腕を組み「笑い事じゃなかったんだぞ」と鼻を鳴らす。
「すみません。でも、義鷹侠士も人妻は怖いんだなって思ったら、つい……」
「人妻が怖いわけじゃないぞ。怪しい薬を盛った上で人の退路を塞いでこっちの意志を完全に無視した状態で……ただのやばい奴だろ」
「確かに。天
「あんな感動的な登場はしてないが、人妻に迫られて逃げる俺に、一番最初に気づいたのはあいつだったな。確かそのあと急いで仲間を呼びに走ってくれたんだ」
事実というのは、ときに残酷だ。
「……なんか、脚色されていることは承知の上で楽しんでいるんですが、事実を知るとある意味衝撃を受けます」
ただ、驚きの度合いでは真実のほうが度肝を抜かれたかもしれない。
それから、義鷹侠士にかかわらず二人は講史やいくつかの演目を鑑賞した。思えば誰かと共通のものを楽しむことなど、本当に久しぶりだった気がする。
それこそ、最後の思い出は景王に無理やり連れていかれたとき以来だ。
気づけば日は傾きかけ、腹も少し減ってきた。瑛月楼であれほど豪華な料理をたらふく食べたというのに、不思議なものだ。
「天
「そうだな……。まだ見たことない場所も多いし、どこかで休憩を……」
明超が言い終わる前に背後から覚えのある声が掛けられた。
「おや、秦公子じゃないかね。いままでどうしていたんだい」
舞台袖から現れた白髪の老人を見て、それが知り合いであることに気づく。
「白先生!」
慌てて桑縁は老人に向かって頭を下げた。
「ご無沙汰して申しわけありません。実は……科挙の準備に集中するために、しばらく劇場に行くのを控えておりました」
慌てて桑縁は老人に向かって頭を下げた。この老人は水連棚の座頭であり、桑縁が幼い頃より世話になっている男だ。いくつなのかは分からないが、桑縁が幼い頃、祖父に初めて水連棚に連れられてきたときから、彼の容姿はいまとそう変わらなかった。
「知り合いなのか?」
「水連棚の座頭さんです。もともと祖父がこの劇場を懇意にしていて、その縁でいつもよくしていただいていたんです」
祖父が亡くなったあとは、何だか気まずくて進んで会おうとはしなかったのだが、それでも時たま桑縁を見かければ、彼は温かく接してくれたものだ。
「随分長いこと見かけなかったんでとても心配したんだよ。それで、そちらの方はどなただい?」
「こちらは天明超のお孫さんで、三代目義鷹侠士の名を受け継いだ方です。ちょっとした縁で知り合いまして、今日は彼に祖父上の活躍を楽しんでもらおうと思いまして」
「義鷹侠士――天明超のお孫さん、とな?」
白老人の目が瞬き、明超に視線が向けられる。桑縁に小突かれて慌てて明超は彼に向かって頭を下げた。慌ててそれを止めた白老人は、明超を上から下までしげしげと見たあとで、緩やかに微笑んだ。
「それは興味深い。よかったら今度、祖父上の話を聞かせて欲しいものだよ。そうすれば、より良い脚本が書けるかもしれないからね」
また来るんだよと言いながら、白老人は二人を見送ってくれた。
*
水連棚を出てしばらく歩き、振り返った先に白老人がいないことを確認する。
「実はもっと引き留められるかと思いました」
「どうしてだ?」
不思議そうな顔の明超に桑縁は気まずそうに笑う。
「実は――白先生は祖父の友人であり、義鷹侠士好きの同志だったんです」
「また!?」
ぎょっとして一歩下がった明超を見て、桑縁はさらに申し訳ないような気持ちになる。なぜなら、次の一言で彼はさらに驚くだろうからだ。
「はい……。もともと白先生は、義鷹侠士の伝説を世に広めるためにと劇場を始めたそうです。人気の演目のほとんどは白先生が書いたもので、義鷹侠士が生き生きと書かれていると評判なんです」
「大分盛ってたじゃねえか」
「ははは……なにせほら、もう八十年も前の話ですし……」
「ったく……」
「でも、天
がっくりと肩を落とし「はあ、分かったよ……」と力なく明超は答えた。気の毒ではあるが、こうなった以上『義鷹侠士の孫』を貫くしかないだろう。
「それより、さっきどこかで休憩したいって言ってましたね。どこかお茶でも飲みながらで菓子でも食べましょうか。庚央府で人気の店に案内します」
義鷹侠士の話の中では、彼が甘味を口にする機会は無かった。果たして彼は生前菓子など食べたことがあったのだろうか?
それとも、好まなかったのだろうか。
そんな興味心から、桑縁は休憩場所に菓子のある店を選ぼうと考えた。
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