幽鬼は信者と出会う

第1話:御史台

 次の日。

 自称幽鬼の天明超は、いつまで桑縁に付きまとうつもりなのだろうか。そんなことを考えていたが、その考えが吹き飛ぶほど大変なことが起こってしまった。


 未だ夜も明けぬうち二人は天文台へと向かっていた。おそらくおう司天監に追い返されるだろうが、初めから避けていては職務が嫌で逃げ出した、などと言われかねない。殴られて死がよぎったときこそ止むを得ず引いたが、桑縁は何ら間違ったことをしてはいないのだ。だから、どれだけ厄介者扱いされようとも、自分から天文台に行くことを止めるわけにはいかない。


「ついてきても入れないですよ。あと、昨日は助けてもらって感謝してますが、天文台で荒事は絶対に止めてください。最悪お尋ね者になりますから」

「お尋ね者になったところで今さら俺には関係ないが……そうだな、お前に迷惑かけちゃ元も子もないしな」


 カラッとした笑顔で明超は答えたが、桑縁は彼の真意に薄々感づいていた。


(この人、『分かった』って言わなかった……。つまり、理解はするけど聞くとは言っていないってことだ……)


 自らを幽鬼と名乗るこの男。

 わずかのあいだの付き合いで桑縁が理解したのは、この男は自分の思うままに生きている……いや、死んでいるということ。要するに自由人なのだ。


「昨日の男たち、全員死んだんですか?」

「死んだな」

「どうして、誰一人生かさなかったんですか」

「生かしたところで、自分で死ぬだろうさ。あいつらはそういった手合いだろう?」

「……」


 昨晩は動揺のあまり、殺しに来た男たちのことを気にする余裕も無かった。ようやく次の日になって色々なことの整理を始めたとき、思い出したのは自分を殺しに来た男たちがどうなったか、だった。

 それに、何者なのか――も。


「生かしておけば何か話すと思ったか? 無理だな。それに生かしてやろうなんて考えていたら、足元を掬われる」

「なら、せめて……」

「手掛かりになるようなものはなかったのか、だろ? 身元が割れるような物を持って人を殺しに行くと思うか?」


 桑縁は何も言えなくなってしまった。明超の言う通りだと思ったからだ。桑縁は、学はあれど荒事には慣れていないし、対処の仕方も分からない。ましてや――自分を殺しに来た本物の刺客が、いったいどのような覚悟で自分を殺しに来たかなど、分かるはずも無かった。


「あまり気に病むな。……手がかりを探すとしたら、お前さんの中にしか無いだろうさ」

「僕の?」


 そうだ、と明超はうなずく。


「命を狙われたんだ。あんだけの手練れを使ってな。きっと、大きな力が動いているし、そうされるだけの何かしらの要因があるってことなんだ」

「何かしらの要因……」

「命を狙われる心当たりは?」

「殴られる心当たりはありますが……」


 ようやく痛みも腫れも引いてきた頬を摩りながら、桑縁は考える。


(まず、おう司天監を怒らせたこと? いいや、それだけであんな大人数の刺客を雇うなんてあるだろうか? なら、漏室ろうしつでの一件? それとも、荷物を落としたこと? いや……それか、昨日の書棚整理のときに秘閣の書物を扱ったこと?)


 思い出せば思い出すほど、『まさかとは思うが、無いとも言い切れない』といった微妙なことばかりが思い起こされる。


「う~ん……心当たりがあるような、無いような……」

「落ち着いて思い出せばいいさ。俺がついてるあいだは、誰も手出しはさせやしない」


 明超の言葉は心強いことこの上ないが、強すぎる剣技で目立つうえ、官吏ではない彼の存在は正直扱いが難しい。


    *


「秦司天霊台郎を殺人の罪で捕らえる!」

「は!?」


  天文台に着いた桑縁を待っていたのは、おう司天監と、殿中侍御史、それに彼らの率いる衛卒たちだった。


「ちょ、ちょっと待ってください! 何がなんだかさっぱり……」

「昨晩、司天学生三人が殺された。お前に復讐すると言っていた者たちだ」

「えっ……?」


 昨日の早朝に禁門が開かなかった原因、それが漏室ろうしつで酔っ払っていた彼らだった。そして、そのことを桑縁が指摘したことで、確かに彼らには恨まれただろう。


(でも、殺されたってどういうことだ……!?)


 驚き言葉を失い、暫し呆然とする。何が起きているのか、さっぱり分からない。|

 殺されかけた次の日には、殺人の疑いまでかけられてしまうとは。疑いならまだいいが、どう聞いても『殺人の罪』であるから、相手は疑う気すら無いのだ。おう司天監はしたり顔で桑縁を上から下まで見たあとでニヤリと笑う。その冷たい微笑みが恐ろしくて、喉の奥が詰まりそうになった。


「秦司天霊台郎、話は全て聞いているぞ。自分の管轄でもないのに、のこのこ漏室ろうしつまでやってきた上に、さんざんご高説をたれたそうじゃないか」


 口元こそ歪んだ笑みを浮かべているが、おう司天監の視線は桑縁を殺さんばかりの憎悪が込められている。恐ろしい、そう思うと体が動かない。


「ぐあっ!?」


 情けない声がすぐ傍であがる。声にハッとして顔を向けると、衛卒の手が桑縁の腕に触れるか否かのところまできていた。その腕を、明超が掴んでいるのだ。

 明超の腕がわずかに動いた次の瞬間、衛卒が目にも留まらぬ速さで仰向けにひっくり返った。地面にしこたま体を打ち付けた衛卒は、動くこともできずに体を痙攣させている。――驚くほど鮮やかで一瞬。


「おのれ! 反抗する気か!?」


 衛卒たちが気色ばむ。桑縁のを庇うように前に立つ明超は、鋭い視線を衛卒たちに向けた。


「触るな」


 凍り付くような冷たくて鋭い視線。

 それは、桑縁が初めて見る明超の表情だった。

 恐ろしいほどに殺意を込めた瞳が、衛卒たちを睨んでいる。もしも誰かが剣を抜いたなら、彼は迷いなく剣を抜き放つだろう。


「何者かは知らぬが、その者を庇いだてするならばただではおかぬ!」


 衛卒の一人が剣に手をかける。桑縁は明超の手が既に剣の柄に触れているのを見て、咄嗟に彼に飛びついた。


「駄目です!」


 驚いた明超が引き離そうと桑縁の肩を掴む。しかし桑縁は、明超の目を見て首を振った。


「……」


 諦めたように肩を落とし、明超は小さく溜め息をつく。彼の手が柄から離れたのを見届けて、ようやく桑縁は明超の身体に回していた腕を解いた。


    * * *


 御史台ぎょしだい台獄だいごく御街ぎょがいの脇にある。桑縁たちが入れられたのは東側の獄舎だった。主に官僚たちを拘留しておく場所であるためか、比較的環境は悪くない。とはいえ、桑縁たちは従二品や正三品の大物ではないし、扱いも粗雑なもので、殴られないだけマシなほうだろうか。

 少し離れた場所には獄卒たちがいて、にやにやと桑縁たちのことを見ている。どんな目で見られているのか、自分をどうするつもりなのか、知っているのかと考えるとうんざりとした。


「それで、なんで俺のことを止めた?」


 不服そうに明超が尋ねた。彼はいま後ろ手に縛られている。相手を一瞬で昏倒させた実力を目の当たりにした衛卒たちが、彼の逆襲を恐れて動きを封じた上で獄に入れたのだ。

 桑縁は明超の側ににじり寄ると、小声で囁いた。


「一瞬であれだけのことをやって……もし天大侠にいさんがあの場で剣を抜いたらどうなると思いますか。お尋ね者どころじゃなくなります」

「……」


 明超は口をへの字に曲げ、じろりと桑縁を一瞥する。本来なら衛卒たちなど歯牙にもかけぬほどの強さがありながら、甘んじて捕らえられねばならぬこと。彼が強ければ強いほど納得のいかぬことであっただろう。


大侠にいさんは強いです。助けてもらった僕は、身をもってその強さを理解しているつもりです。ですが行き過ぎるほど強い力は、相手によっては脅威と映ります。貴方が強くても、束で襲い掛かられたらいつか限界がくるでしょう。僕は地位も金もない貧乏な官吏だから、貴方のことを守るだけの権力を持っていません。だから……その……」

「つまり」


 消え入りそうな桑縁の声に、明超の言葉がかぶせられる。気まずさと恐れでしばらく声が出ず、おろおろとしていると、明超は桑縁に背を向けた。


「つまり……俺の身を案じたってことか」

「そう捉えてけたら」

「分かった、覚えておく」

「あ、あのっ、それに! 心配していることは他にもあります。僕たちに何かあったら母だって、ただではすまないんです。仮に僕はいいとしても……母まで巻き添えにはできません」


 桑縁の話を黙って聞いていた明超だったが、最終的には眉尻を下げて、


「はあ……自分のことより他人や母親のことばかりじゃないか」


 と、溜め息交じりに呟く。


「いけませんか? 母は僕にとって大切な家族です。それに、命の恩人を蔑ろにはしたくありません。自分のことも大切ですが、自分のことは自分で責任を持てますし決断できますから」


 自分のことは自分で決断するから、何かあったとしてもそれは自分の責任だ。ただ、誰かが自分のせいで被害を被るのは耐えられない。


「僕には義鷹侠士の欠片ほどの力すらありません。でも、彼の勇気と正義に恥じぬ生き方をしていくのだと心に決めています」

「重いな」

「放っておいてください。僕は僕の憧れる義鷹侠士が好きなんであって、別に天大侠にいさんに憧れてるわけじゃないんで」

「それ、本人の目の前で言うのか!?」


 それでも桑縁の意志は揺らがない。本当の所まだ彼を『幽鬼になった本物の義鷹侠士 天明超』であると完全に信じたわけではないのだ。半信半疑。半疑の部分は、義鷹侠士が幽鬼になったなど信じたくないと心の中で思っているのかもしれない。

 強い決意に満ちた視線に耐えかねたのか、明超がひときわ大きな溜め息をつく。


「お前には負けた。……俺が悪かったよ」

「分かってもらえたら、それでいいんです。……本当は守ってもらった身で偉そうには言えないですが……」


 本来ならば昨晩のうちに殺されていたのだ。命の恩人である彼にとやかく言うのは気が引けたが、あとのことを考えれば彼の強さに任せて彼らを一掃したところで、そのあとどうなるかは一目瞭然だ。

 しかし、これからどうしたらいいかというと、何も策が無い。何もせぬまま紹獄がおかれたら、あの司天学生三人を殺したという罪で死罪になってしまう可能性もある。


(せめて天大侠にいさんに頼んであの場から逃げておくべきだったかな……)


 全力で明超を止めることしか考えていなかった、今さらそのことに後悔しても遅いのだ。


「誰か来たぞ」


 不意に明超が顔をあげ、入り口に目を向けた。桑縁も『誰か』を確認しようと彼の視線の先を追う。獄卒たちが突然慌て始め、にわかに周囲がざわつき始める。どうやら彼らが驚くような人物がやってきたようだ。

 若い侍衛を連れたその人物は、優雅な足取りで桑縁たちに歩み寄る。紫の公服に玉帯を締めた、いかにも高貴そうな男――は、気さくに片手をあげて二人に微笑んだ。

 豪奢な身なりに反して、実に地味な顔の男である。


「捕まったと聞いたが、元気そうだな」

「どうやったらいまの状況が元気に見えますかね、二殿下」


 それは、今上である栄慧帝の二番目の皇子、景王けいおうであった。あとを追ってきた獄卒に目線で『開けろ』と促すと、慌てて獄卒は牢にかけられた錠に鍵を差し込んだ。何が起こったのか分からずに呆然としていると、景王は早く出ろと手招きをする。


「そう言うな。ほら、もう出られたであろう?」

「いいんですか?」

「私が父上に掛け合って紹勅を発していただいたのだ、いいに決まってるだろう。さあ、さっさと行くぞ」

「待ってください、彼の縄を……」


 明超の縄を解こうと急いで桑縁が振り返ると、彼は既に両手の縄を解いていた。驚く桑縁の視線に気づいた彼は、得意げに眼を細める。


「なんだ、動けないと思ってたのか? 騒ぎを起こして欲しくないようだったから、しばらく様子を見てただけさ」

「……」


 先ほどまで巻き添えで牢にぶち込まれ申し訳ないと思っていたのだが、全く気にも留めていないその様子を見てなんだか悔しい気持ちになる。


「拗ねるな。……心配されて、悪い気はしない」


 少し歯切れの悪い、彼の言葉が心に引っ掛かった。


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